裏 顕示

 メーテルがアクアと和解することに乗り気になったので、ステラはメルセデスに干渉をはじめることを決めた。

 メルセデスがアクアを受け入れたならば、状況は大きく進歩する。

 仲間となった人数で完全に残り人数を上回っているので、同調圧力のようなものを仕掛けやすいからだ。

 無論、本心からアクアを受け入れてもらったほうが良いことは確かである。

 それでも、取れる手段が広がるということは大きかった。


 これから説得しなければいけないのは、難しいことがはっきりしているオリヴィエと、何もわからないフィーナだからだ。

 オリヴィエの人間不信の心がアクアから伝わっていたし、フィーナが最初から操られたことも同様だった。

 だから、その2人を説得することは難題だ。取り掛かる前に1つでも良い条件を整えておきたい。

 そのためにも、まずここで結果を残し、勢いをつけておきたいステラだった。


 そして、メルセデスが目覚める時間がやってきた。

 メルセデスは意識がはっきりしてすぐ、流れ込んだアクアの感情に複雑な心持ちになった。

 アクアが自分を好きでいることがとても良く伝わる。それなのに、とてもおぞましい行為を自分に行った。

 それは、自分に気を使った結果でもあった。だから、今になって自分は状況に気づいた。

 眠っている間に自分の体を乗っ取るというアクアの判断には、良さも悪さも感じる。

 メルセデスはアクアに怒りを抱いたし、感謝も抱いた。

 だからこそ、これからどのように行動するかが悩みどころだった。


(アクアはあたいにひどいことをしたっす。それは事実。でも、アクアがあたいたちが大好きだってのも伝わってくる。ずるいっすよ。ここまで好きになってもらえるなんて、嬉しいに決まってるじゃないっすか)


 メルセデスたちはスライムとスライム使い。どちらも弱いとされている存在である。

 それゆえに、メルセデスたちは誰からも相手にされていなかった。

 メルセデスにとって、ユーリだけが例外であった。だからこそ、ユーリを尊敬していた。

 それなのに、アクアが自分たちを好ましく思っていたことが流れ込んできた。

 嬉しくて、悲しくて、それでも、とても恐ろしくて。

 アクアの好意を信じたい。そのためには、これから和解できるかどうかが大事。

 メルセデスはどうしても、自分を好きでいてくれる人を信じたかった。だから、アクアと仲良くしようと考えた。


(あたいがどれだけ弱いか知って、それでも好きになってくれたっす。アクアはオメガスライムだから、あたいなんて蟻みたいなもののはずなのに。弱くても認めてくれるなんて、そんな人、ユーリさんだけだと思っていたのに。うう~っ、あたいはどうすればいいっすか? アクアはあたいを解放したいと思ってくれるっすか?)


 メルセデスはアクアと和解することに前向きだった。最大の要因はユーリとまた過ごしたいことだった。

 それに、アクアからの好意に絆されそうになっているということも大きい。

 人から好かれるという経験の少ないメルセデスは、恐るべきアクアといえども、向けられる好意は失いたくなかった。

 それだけではなく、アクアとユーリの関係に憧れているということもあった。


 アクアとユーリはお互いがお互いを強く信じあっている。

 自分はメーテルをそこまで信じられているのか。あるいは、メーテルは自分を信頼してくれているのか。

 メルセデスにはそんな疑いが浮かんでしまい、だからこそ、メーテルともっと関係を強めたいという思いがあった。


(メーテルとあたいは、もっともっと仲良くなれるはずっす。ユーリさんとアクアという手本が目の前にいるんすから。強い絆で結ばれること、どうしても目指したくなってしまったっす。だから、アクアと早く和解して、少しでも先に進みたいっすね)


 それだけではなく、メルセデスからしてみれば、ユーリが最強のスライム使いであることは明らかだ。

 その軌跡を誰よりも近くで見たい。そして、ユーリの1番弟子として、世界で2番めのスライム使いになってみせる。

 アクアがオメガスライムだからというのは、少し卑怯にも感じてしまう。

 それでも、ユーリという輝ける存在の弟子であるという事実、ユーリに認められているという実感。

 それらがメルセデスに強い勇気を与えていた。


(ユーリさんは最高のスライム使いっす! だから、あたいはスライム使いとして誰よりもユーリさんを理解できる。どれほどアクア水がすごい技なのか、ユーリさんの技術の圧倒的な素晴らしさも、全部全部。人間としてのユーリさんなら、アクアやカタリナさんの方がわかっている。それは仕方ないっす。でも、スライム使いとしてのユーリさんは、あたいが一番知っているっすからね!)


 かつてメルセデスがユーリに憧れるきっかけになった王都での大会。

 メルセデスがユーリに弟子にしてもらったとき、ユーリは更に強くなっていた。

 あまつさえ、自分が乗っ取られた後にまだ進歩していたのだ。

 ユーリが己の師匠であることを、メルセデスは何よりも誇りだと感じていた。


(あたいはやっぱり、またユーリさんと一緒に冒険したいっす。そのためにも、ちゃんとアクアと和解しないとだめっすね。恨みはなくはないっすけど、許さないことには始まらないっすからね。それで、またユーリさんにいっぱい褒めてもらうっす!)


 メルセデスは生まれてからずっと蔑まれ続けていた。

 だからこそ、ユーリからの褒め言葉がとてつもない快感になっていた。

 承認欲求のようなものが満たされていく感覚は癖になっていて、もうもとの生活に戻ることに耐えきれそうになかった。

 もしもユーリに見捨てられてしまったなら、すぐに人生をはかなんでしまうかもしれない。

 そう考える程度には、メルセデスのユーリに対する依存心は強かった。


(ユーリさんは優しいっすから、どうやって褒めてもらうかおねだりするのもいいっすね。頭をなでてもらうとか、お祝いにアクセサリーなんて買ってもらったりして! あたいですらいっぱいお金持ってるんっすから、ユーリさんなら何でも買ってくれそうっすよね。まあ、見捨てられたくないから、程々にしないといけないっすけど)


 メルセデスはアクアを怒らせた原因について反省していた。

 だから、ユーリに見捨てられるという考えが頭の中に浮かんでいた。

 自分の嘘や軽口はユーリなら笑って許してくれると思っていた。

 それでも、もしユーリの怒りに触れてしまっていたならば、オーバースカイに入るどころか、弟子ですらなくなっていたかもしれない。

 そんな事態は考えるだけで震え上がりそうで、だから、メルセデスはユーリに気を使うと決めていた。


(ユーリさんに嫌われてしまったら、もう生きる意味なんて無いっすよ。だって、そんな事になったらもう誰からも褒めてもらえない。それどころか、見捨てられたことで前よりも低く見られてしまう。あの笑顔と優しい声を失って、あたいは何を楽しみにすればいいっすか?)


 メルセデスの本当の望みは、オーバースカイに加入できなかったとしてもすでに叶っていたのだ。

 それに気が付かなかったから、アクアに乗っ取られる行動を起こしてしまった。

 ユーリに好かれてさえいるのならば、それで満たされていたのに。

 それ以上とは言い切れないつまらない欲望がきっかけで、全部壊れるところだった。

 その後悔が、メルセデスのユーリへの執着を強めていた。


(あたいはバカだった。それはもう分かりきってる。でも、まだやり直せるから。またユーリさんと訓練したり、遊んだりしたいっす。そして、ユーリさんに認めてもらえるくらい強くなる。今度は間違えないっす。よそ見はもうしないから、それでユーリさんに喜んでもらえたらいいな)


 かつては誰かから認めてもらいたいということがメルセデスの願いだった。

 今では、ユーリから認めてもらいたいということが飛び抜けての一番。

 それから、メーテルともっと仲良くすること、オーバースカイの仲間を支えることと続く。

 自分の願いがはっきりしたメルセデスにとって、未来は希望に満ちていた。


(前はユーリさんくらいとしか仲良くしてなかった。でも、オーバースカイのみんなもきっといい人だから。だって、ユーリさんを大切に思う仲間っすからね。あの優しい人を好きになるのなら、悪人とは思えない。アクアはちょっと違うかもしれないっすけど。でも、たぶんアクアだってあたいには優しくしてくれる未来がある。だから、信じてもいい)


 メルセデスはアクアを信じるつもりになっていた。

 ユーリを大好きだという気持ちは同じなのだから、きっと分かりあえる。

 そうでなくても、自分を好きでいてくれるという事実は勇気をくれた。

 だから、恨みはもう忘れていい。次に似たような事態が起こらないことは、きっと保証されているから。

 アクアの感情は理解できる。ユーリを傷つけるものを許さないというのは自分も同じだ。

 ただ、力と取れる手段に違いがあっただけ。同じ力があったのなら、自分ならば殺していたのかもしれないから。


(ユーリさんにまた褒めてもらうことを邪魔する人は許せない。だから、もっと力が欲しい。ユーリさんのそばを奪われないための力が。オーバースカイの仲間は特別だけど、ただの他人には絶対に妨害なんてさせない)


 メルセデスはユーリを信じているからこそ、ユーリ以外が自分の喜びを奪うと考えた。

 それでも、ユーリの周りを排除することはできない。ユーリに嫌われることは目に見えているから。

 だが、現状ユーリが好意を持っていない相手ならば別だ。

 人殺しはユーリが嫌悪するだろうが、うまく排除するのならば話は別だ。

 そのためには、さらなる努力が必要だとメルセデスは判断した。


 そして、メルセデスがユーリに求めるものは他にもあった。

 自分が死んで悲しむこと。すなわち、自分の苦しみをユーリ自身の苦しみのように思ってもらえること。

 そのために、ユーリに対してしたいことがあった。


(ユーリさんに、あたいのすべてを知ってもらうっす。悪いところも、恥ずかしいところも全部。そして、その変化に気づいてもらう。ユーリさんがあたいを憶えててくれるのなら、どんな死に方をしてもかまわない。だから、その時まで、ずっとあたいを見つめていてくださいね)

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