106話 願い

 ぼくが目を覚ますと、アクアは未だに苦しんでいる様子だった。


「ユーリ、嫌……許して……」


 きっとぼくと同じように悪夢を見ているのだろう。すぐにでもアクアのことを解放してあげたい。

 アクアに集中したかったけれど、一応敵の様子を見る。こちらに攻撃してくる様子はない。

 ぼくがもう一度悪夢に囚われるということもないので、今のところは大丈夫だろう。

 だから、アクアを助けることに全力を尽くす。アクアの苦しそうな顔を見ているなんて、絶対に嫌なんだから。


「アクア、起きて。ぼくはここにいるから。アクアとずっと一緒だから」


 アクアを抱きしめながら声をかけてみたけれど、アクアの様子に変わりはない。

 敵はなぜか何もせずにぼーっとしている様子だ。ぼくを妨害してくるわけでもない。

 ただ、相手が何もしてこないのは好都合だ。アクアのことに集中していられるのだから。


 アクアはぼくの名前を呼んでいる。つまり、ぼくに嫌われるという夢を見て苦しんでいるということだ。

 こんな状況だけど、アクアがぼくに嫌われることを悪夢だと感じてくれることは少し嬉しいと思ってしまう。いや、良くない考えだな。

 それよりも、どうやってアクアを助けるかだ。ぼくの声は届いていない。ぼくの感触も伝わっていない。

 このまま声をかけ続けるだけで効果はあるのだろうか。まあ、何もしないよりはましか。

 なにか思いつくまで、声をかけ続けよう。さて、どんな言葉がいいかな。


「アクア、ぼくはアクアが大好きだから。だから、心配しなくていいんだ」


「ユーリ、ごめんなさい……違う、違うから……」


 アクアの言葉から察するに、ぼくに対する罪悪感を抱えていて、それがぼくに嫌われる原因になっている?

 ぼくだってアクアに拒絶される夢を見ていた。だから、たぶん大きく外れてはいない。

 そうなると、アクアがぼくに隠していることを察しないといけない。

 そんな事がぼくにできるのか? カタリナにも、大事なことには気がついていないと言われたのに。

 こんなぼくに本当にアクアを助けられるのだろうか。いや、出来るかどうかなんて考えている暇はない。

 何が何でもアクアを助けるんだ! ここにすべてを賭けるだけだろう、ユーリ!


「アクアが何をしていても許すから。だから、帰ってきて。ずっとそばにいてほしいよ」


 アクアはやはりぼくの声を聞いていないようにみえる。声をかけるだけでダメならば、どうやってぼくの心を届ければいいんだ? いや、心だ!

 ステラさんの指輪でぼくの思いを届けたらどうだ? アクアが夢の中にいても届くんじゃないか?

 これ以上は今は考えなくていい。ぼくの思いが通じると信じて、進むだけだ!


(アクア、そこはただの夢でしか無い。ぼくのところに帰ってきて!)


(ユーリ……? 許してくれるの……?)


(アクアのことならなんだって許してあげる。だから、そんな悪夢じゃなくてぼくのところへ戻ってくるんだ、アクア!)


 アクアがわずかに動いたと思うと、ぼくとアクアが強くつながったような感覚があった。

 それから、アクアの恐怖が流れ込んでくるような感覚も。

 ぼくに捨てられてしまうんじゃないか、ぼくに嫌われてしまうんじゃないか、ぼくに見限られてしまうんじゃないか。

 そういった感情が流れ込んできた。だから、ぼくは指輪から通じると信じて、アクアを大好きだという思いを強く念じた。


 そして、アクアは目を開いた。少しだけ周囲を見回して、こちらに焦点を合わせてくる。

 それから、ぼくに抱きついてきた。そんなアクアからは、ぼくを大好きだという感情が強く襲いかかってきた。

 言葉にならないような恐ろしく強い感情で、だからこそアクアに大好きを返したくなった。

 ぼくだってきっとアクアのことが大好きなはずだ。アクアがぼくを想うほどかはわからない。

 それでも、ぼく自身よりも大切だとはっきり言えるくらいには好きなんだ。


 アクアのことに意識を集中していたけれど、敵のことを忘れてはいけない。

 オメガスライムかもしれないアクアに悪夢を見せられるほどのモンスター。

 だけど、今のぼくたちならば絶対に勝てるという確信を抱いていた。

 その通りに、アクア水を全力でぶつけるだけでモンスターは崩れ落ちていった。


 あんなにアクアを苦しめられていた割には、ずいぶんとあっけない最期だった。

 もしかしたら、悪夢を見せるだけのことしかできないモンスターだったのだろうか。

 それでも、アクアは苦しんでいたのだから許せないけれど。それにしても、あのモンスターは一切喋らなかった。

 ひょっとすると、プロジェクトU:Reと関係があるモンスターなのかもしれない。

 死んだ今でも恨みはあるけれど、おそらく指輪を使いこなせるきっかけになったことには感謝したい。


 今になってみると、前回指輪を使った時に感じた雑音が聞こえなかった。それに、言葉にならないような思いが伝わってきていた。

 思いを伝え合うという説明が正しいという証明のように感じる。さすがに、これ以上の思いを送るなんて想像できない。

 だから、これで指輪は完全に使いこなせているはずだ。ステラさんにも報告したいな。きっと喜んでくれるはず。


 楽しい未来は色々と想像できるけれど、まずは目の前のアクアだ。

 アクアは落ち着いているようにみえるけれど、きっと今でも傷ついている。

 だから、ぼくはアクアのことを癒してあげたかった。アクアに幸せを感じてほしかった。


(アクア、きみが何をしていたとしても、ぼくはずっとアクアのそばにいるよ。だから、安心してね)


(うん、ユーリを信じる。ありがとう、アクアを信じてくれて)


(当たり前のことだよ。だから、感謝されるほどでもないかな。アクアに貰ったものに比べたら、大したことじゃないんだから)


(ユーリ、大好き。いつまでも、永遠に一緒にいる)


(そうだね。アクアとなら、どれだけ一緒にいたって飽きることはないよ)


 アクアからは言葉になっていない感謝の気持ちも伝わってくる。きっとぼくの気持ちもアクアに伝わっている。

 ステラさんのおかげでこの喜びを味わうことができた。本当に感謝したい。

 この指輪を通して伝わってくる感情こそが、ぼくとアクアの絆が最高である証明だ。

 もう何度思ったかもわからないけれど、アクアと出会えて本当に良かった。

 ぼくには色々と素晴らしい出会いがあったけれど、アクアとの出会いが最高だったと言い切れる。

 これからどんな試練が待ち受けていたとしても、アクアと出会ったことだけは後悔しない。


「アクア、これだけは言葉にしておきたいんだ。ぼくと出会ってくれてありがとう。ぼくと一緒にいてくれてありがとう。おかげで、ぼくはいま幸せなんだ」


「アクアも、アクアも同じ。ユーリと出会えたから、アクアはいま幸せ」


 指輪からもアクアの幸せが伝わってくる。ぼくたちはお互いに最高の出会いができた。

 お互いがお互いの幸せになっているんだ。これ以上の関係なんて、他の誰にも生み出せないだろう。

 それに、お互いに支え合うこともできているんだ。アクアがオメガスライムだとしても、ぼくはアクアの心を守ることができる。

 これからぼくがするべきことは決まった。アクアの幸せを全力で支えるんだ。

 アクアはきっと全能の存在ではない。どれだけ強いとしても、心の支えが必要なんだ。

 だから、ぼくがそうなってみせる。他の誰にも任せることはできない役目だ。


「ぼくたちが一緒にいるだけで、両方幸せになれるんだ。それって素敵だと思わないかな?」


「うん! だから、絶対にユーリと離れたりしない。もう何があっても諦めない」


 こんなセリフが出てくるなんて、アクアは諦めそうになっていたのだろうか。

 良かった。ぼくは自力であの悪夢から脱出できて。そのおかげで、アクアを守ることができたんだ。

 アクアはきっとこれからもぼくを助けてくれる。アクア水も、アクア自身も。

 だから、ぼくはアクアが幸せになるためになら、なんだってするんだ。

 もちろん、大切な人は傷つけないようにするけどね。でも、もうアクアの敵を攻撃することをためらったりしない。

 今回みたいにアクアが苦しむようなこと、絶対に二度と起こしちゃいけないんだ。

 ずっとずっと幸せにしてみせるからね、アクア。それが、ぼくの感謝の証だよ。


「ところで、アクアは本当にオメガスライムなの? 今までちゃんと聞いてこなかったよね」


「うん。でも、伝承よりももっと強い。だから、ユーリは安心していい。何があっても守ってみせるから」


「無理はしなくていいからね。ぼくが守られても、アクアが幸せじゃないと意味がないんだからね」


「わかってる。ユーリがアクアを大切に思っていることは。だから、アクアも幸せになる」


「それでいいんだ。アクアの幸せは、ぼくにとっても幸せなんだからね」


「ありがとう。ユーリ、大好き!」


 言葉とともに思いも一緒に伝わってくる。この指輪はやっぱり最高だ。

 アクアの気持ちをこんなに強く感じることが出来るのだから。

 ぼくの気持ちもアクアに同じように伝わっているはずだ。アクアはそれをどう感じているのかな。

 少し気になるけれど、流石にそれを聞くのは恥ずかしいな。でも、きっと喜んでくれている。

 ぼくがアクアを大好きだと思っていることは疑う気がないし、それをアクアが嬉しいと感じることは何があっても信じられる。


「ユーリ、キス、しよう?」


「いいけど、敵が現れたばかりだと、少し警戒しちゃうね」


「大丈夫。もうあの敵には負けない。それに、他の敵にも」


「なら、やっちゃおうか」


 そのままぼくはアクアにキスをする。アクアの唇は相変わらず柔らかい。

 夢中になってしまいそうではあるけれど、我慢しないとね。ぼくの欲望をぶつけるのは止めておきたい。

 アクアはきっとそういうことを理解していないからね。だから、遊びの一種くらいに感じているはず。


 しばらくのあいだアクアとキスをして、ぼくは離れていった。名残惜しさも感じるけれど、溺れてしまうのはいけないからね。


「ユーリ、カタリナのことは好き?」


 どうしていきなりそんなことを聞いてきたのだろう。でも、答えは決まっている。


「大好きだよ。でも、それがどうかしたの?」


「カタリナと結婚したい?」


「よくわからないかな。でも、他の相手は想像できないかもしれない」


「3人で一緒に過ごさない? シィを仲間外れにするつもりはないけど」


「カタリナがそれでいいなら……」


「じゃあ、カタリナにはアクアが伝える。ふふ。楽しみ」


 よくわからないけど、アクアもカタリナが大好きなのだろう。指輪で伝わる感情には制限があるのか、そのあたりは伝わってこない。

 でも、そうでないならばそんな提案はしないからね。

 だけど、そうか。カタリナと一緒に住む。それはきっと幸せなのだろうな。


「ユーリ、楽しみにしていて。アクアとカタリナで、ユーリを幸せにしてみせる」

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