裏 シィ

 θが目覚めないことにより、ユーリは深く傷ついていた。

 だから、アクアはθを目覚めさせるために力を尽くすことに決めた。

 自分がθのことを乗っ取って動かすことも検討はしていた。

 しかし、せっかくカタリナを解放できたのに、これ以上人を支配したくないという思いがあった。

 だからこそ、手間を惜しまずθの治療に全力を尽くしていた。


 オリヴィエの力と、アクアの力をともに活用することで、θの体は健康になったはずだった。

 それでも、θは目覚めない。その原因はおそらく、プランτの装置によってθの感情が封じ込められたから。

 だから、アクアはθの感情を刺激するために、自身の最も強い感情をぶつけることに決めた。

 すなわち、ユーリのことを大好きであるという感情だ。


 θがユーリを嫌っているのならば、感情が反発する都合上θに強い負担がかかり、おそらくθの精神は壊れてしまう。

 だが、θは初めて優しくしてくれた存在であるユーリに強い好意を抱いていた。

 だから、アクアは全力でユーリへの好意をθに叩きつけることができた。


 ユーリ、好き。大好き。

 永遠に一緒に居たいくらいに好き。

 食べて一つになってしまいたいくらいに好き。

 ずっといつでも優しくしてくれるところが好き。

 強敵に挑む時のかっこいい姿が好き。

 自分がオメガスライムだと知っても受け入れてくれるところが好き。

 ふれあっているだけで幸せがあふれてくるくらいに好き。

 自分に感情をくれたことが大好き。

 一緒にいる時の穏やかな顔が好き。

 触れた時にわずかに感じる暖かさが好き。

 どんなときでも何をしても信じてくれるところが好き。

 そもそも生まれてきてくれたところが好き。

 自分を何よりも大切にしてくれているところが好き。

 取り込んでいる時に咀嚼する際の感覚が好き。

 大好きだと言葉で伝えてくれるところが好き。

 優しく見つめてくれる目が好き。

 色々な遊びをいっしょにしてくれるところが好き。

 アクア水を様々な工夫をして使ってくれるところが好き。

 アクアジュースを美味しいと感じてくれているところが好き。

 おねだりしたことを何でも叶えてくれるところが好き。

 自分の寂しさや苦しさを感じ取ってくれるところが好き。

 アクアだけは絶対に裏切らないと信じてくれているところが好き。

 自分の嬉しさを本人以上に喜んでくれるところが好き。

 守ってくれるために全力で努力してくれているところが好き。

 何よりも、ユーリという存在そのものが大好き。


 このような感情をぶつけられ続けたθは、無意識のうちにアクアに強く影響を受けていくことになる。

 だが、それはアクア自身も想定していない出来事だった。

 だから、θは普通に目覚めるだろうと信じながら作業を続けていく。

 そのままθの感情は強く動いていくようになり、ついにθが目覚める瞬間が訪れる。


 シータは目覚める前からユーリのことを夢で見ていた。

 そして、目覚めてすぐにユーリのことを認識する。大好きなユーリがそばにいることを全身で感じて、シータは強い喜びに襲われた。

 だからこそ、そのユーリが離れようとする感覚がつらくて、苦しくて、もっともっとユーリにはそばにいてほしかった。

 ユーリが自分を捨てることなど絶対に許さない。大好きにさせた責任を取ってもらう。

 そのような思考のもと、ユーリにずっとそばにいてもらうことをシータは決意していた。


(シータはおにぃちゃんのことがだいすきなんだから、おにぃちゃんもシータのことは好きでいてくれるよね? そうじゃなかったら、シータはどうすればいいの?)


 シータにとってユーリは自分が初めて好きになった人だということ、アクアの感情に強く影響を受けていること、それらによって、ユーリに依存のような感情を抱いていた。

 ユーリだけが自分を助けてくれた。ユーリだけが大好きだと言ってくれた。

 存在しないはずの記憶も混ざりながら、ユーリを大好きに思う感情を何度も繰り返し思い返すことで更に増幅させていった。


 ユーリと共に眠ることができることになった時、シータは大きな安心を抱いていた。

 ユーリとだけは何があっても離れたくない。たとえ夢の中でだって。

 シータはユーリがともにいるのならば、どんな地獄にだって着いていくつもりでいた。

 ユーリを守るための力は持っている。ミリンとの契約技はきっと役に立ってくれる。そう信じていた。


 そのミリンが話しかけてきた時、シータはとても驚いていた。これまでには何度話しかけても反応すら返ってこなかった。

 それなのに、なぜ? 大きな疑問も思い浮かんでいたが、ミリンが話しかけてくること自体は嬉しいと感じていた。

 ユーリの興味を自分より引きかねないというところだけは警戒していたが、問題はなさそうなので、安心してシータはミリンと仲良くすることができた。


(ミリンちゃん、アクアちゃんのおかげで話せるようになったんだ。ミリンちゃんにはおにぃちゃんをとろうという感じはしない。だから、だいじょうぶだよね?)


 シータはユーリに強い執着心を抱いており、ユーリを奪おうとするならば、大切なミリンでも敵に回すつもりでいた。

 幸い、そのような意図はミリンにはなく、誤解が発生する余地もなかったために、ミリンとシータの関係が決裂することはなかった。


 それから、シータはユーリに飴を食べさせてもらう。

 これからシータが食べるものにはその飴よりも美味なものが多かったが、それでも、シータにとって大切な思い出の味になる飴だった。


(おにぃちゃん、これがおいしいっていってたこと、おぼえててくれたんだ。やっぱり、おにぃちゃんはやさしいな)


 その飴をもっと食べたいと感じてねだるシータだったが、それ以上ユーリは飴を持っていないようだった。

 少し悲しみを覚えるも、大好きなユーリのそばを楽しむことができる喜びにシータは浸っていた。


 それから、サーシャのもとへと向かうユーリと離れ離れになる時間を、シータは耐え難いと感じる苦痛の中で過ごしていた。


(おにぃちゃん……おにぃちゃんがいないとさびしいよ……はやく、はやくかえってきて……)


 ミリンと会話することである程度苦痛をごまかしていたが、それでもずっと悲しくて、心が冷たくて、シータにとってこれまでに感じたどんな苦痛よりもつらい時間となっていた。


(おにぃちゃんはシータをすてちゃうの? そんなわけない! ずっといっしょだってやくそくした!)


 シータにとってユーリとの距離感は近ければ近いほどよいものであり、離れることなど想定していなかった。

 それゆえ、強い不安がシータに襲いかかる。アクアならば問題なく耐えられる時間でも、幼く経験の少ないシータにとっては無限のように感じられていた。

 シータはアクアの影響によってユーリを自分の一部か、あるいはそれ以上の存在と認識してしまっていた。

 身を引き裂かれるような苦痛のなか、必死にユーリのことを考えながら過ごしていた。


 ユーリが戻ってくるまで1時間も経っていないにも関わらず、シータは数日を過ごしたような心地でいた。

 それでも、ユーリに嫌われたくない一心でその感情をぶつけることはできないでいた。

 そして、サーシャによって体の調子を診断される。

 サーシャはユーリにとって大切な人のようなので、嫉妬心と僅かな敵意をシータは抱いてしまった。

 それでも、できる限り抑え込む。ユーリはきっと人に悪意を向ける人が嫌いだからだ。

 それが功を奏したのか、ユーリには違和感を抱かれていないようだった。


 そのうえ、ユーリは新たな名前までくれるのだという。自分の名前の意味をある程度察していたシータにとって、シータという名は大事なものではなかった。

 だからこそ、ユーリに与えられたシィという名はすぐに自分のものとして受け入れられた。


(これから、シィのなまえはシィ。おにぃちゃんがつけてくれた、たいせつななまえ)


 シィという名をつけられたことによって、よりユーリのことを強く意識するシィ。

 その感情が独占欲のようなものをさらに深めていくが、ユーリはシィだけのものにはなってくれない。

 そのうえ、更にステラという人物まで紹介されることになる。

 シィは不満でいっぱいだったが、我慢してステラに挨拶をする。

 だが、ユーリがステラに頼んで作られた料理はシィを虜にした。

 ユーリが頼んで作られた魚料理が特に好みで、ユーリとの共通点を感じることがシィにとっては大きな喜びだった。


(やっぱり、シィとおにぃちゃんはきょうだいなんだ。だから、ずっといっしょにいてもいいんだ)


 シィはそれからもユーリにずっとひっついて過ごしていた。

 ユーリとふれあっていると楽しくて、暖かくて、ずっと感じていたい気持ちで溢れていた。

 そんななか、プロジェクトU:Reの事件を終えたことを祝うパーティがやってくる。

 美味しいものをたくさん食べて、ユーリにいろいろな世話をしてもらう。

 ユーリに甘やかしてもらっているという実感を得られて、シィはとても満足していた。


(おにぃちゃん、シィのことをいっぱいかわいがってくれてる。やっぱり、おにぃちゃんはシィがだいすきなんだ)


 そんな満足感もつかの間、シィは新たにユーリの知り合いたちを紹介されていく。

 どの人もユーリにとって大切な存在のように見えて、シィは嫉妬心を必死に抑えていた。


(おにぃちゃんはシィのことをいちばん好きとはかぎらない。もし、シィより好きなひととケンカしちゃったら、シィはきらわれちゃう? おにぃちゃん、シィをいちばんすきになって)


 シィの願いはただひとつ、ユーリとずっと一緒にいること。

 その願いが遠く思える瞬間は何度もあって、そのたびにシィは苦しさを感じていた。


(しぃがもっとつよくなれば、おにぃちゃんにたよってもらえる? もっとかしこくなればいいの? どうすれば、おにぃちゃんはもっとすきになってくれる?)


 シィはまだユーリのことを理解できていなかった。だから、ユーリをもっと知りたかった。

 そのためには、ユーリの周りの人と仲良くするのも大切かもしれない。そうして、ユーリにもっともっと詳しくなるんだ。


 ユーリを大好きだというシィの気持ちは、これからもどんどん大きくなることになっていった。

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