裏 オメガスライム
かつて3つの国を滅ぼしたとされるオメガスライムは、自らの手でそれらの国を滅ぼしたわけではない。
とある大陸に突然生まれたオメガスライムは、特に目的もないまま、その大陸に住まう人々を乗っ取っていった。
そして、徐々に支配する範囲を広げていく。数年が経過した頃、とある人物がその大陸の実情に気づく。
それゆえ、大陸外にある故郷にそれを報告することにした。
その報告を受けた当時の大国は、自国に被害を及ぼさないために、その大陸の人間ごとオメガスライムを滅ぼすことに決めた。
その頃の調査では、本体らしきものを倒した程度ではオメガスライムにダメージを与えたとは言い切れなかった。
残りの部位が存在していると、そこから再生することが判明したからだ。
結果として、その大陸の人間たちは、オメガスライムもろとも吹き飛ばされることになった。
それでも、大幅に弱体化しながらも、オメガスライムは僅かな断片を残していた。
それが海を流れて、ユーリたちの住むことになる大陸へとたどり着く。それが、いずれアクアと名付けられる存在だった。
オメガスライムの断片は、長い長い時間をかけて徐々に力を取り戻していく。
それから気の遠くなるほどの時間が経って、プロジェクトU:Reという計画に携わるユーリの両親がアクアを発見した。
オメガスライムの創造を計画していたユーリの両親ではあるが、そのスライムがオメガスライムの断片であるなどとは想像すらしていなかった。
ユーリの両親は他のスライムより優秀なスライムとして、モンスターの生まれる原因で、その成分が多いほど強いモンスターとなる物質を吸収させることに決めた。
そのための仕込みとして、ユーリにその成分を生み出す期間を埋め込んでいた。
アクアと名付けられたオメガスライムの断片は、その成分を吸収するためにいつでもユーリの傍にいた。
アクアにとっては、ユーリは卵を産む鶏でしかなかった。
だが、それゆえにユーリを守ることには全力だった。なにせ、美味しい卵を産む鶏が死ぬことを嫌うのは当然のことなのだから。
アクアの行動がユーリの心を癒していることなどアクアはまるで理解していなかったが、だからこそアクアはユーリの好意を素直に受け止めることが出来たのだろう。
アクアが感情に芽生えるまでは、それからも長い時間が必要であった。とはいえ、アクアはユーリの好意にずっと触れ続けていた。
だから、アクアの感情が芽生える前にユーリからアクアの好む成分が失われたとしても、アクアがユーリを傷つけようとすることはなかっただろう。
ユーリはアクアの好む成分を生み出す器官を持っていることで、身体などの性能がただの人間と比べて大幅に劣ることになっていた。
それゆえ、アクアはユーリを守るために行動することが多かった。
カタリナもユーリに1度助けられてからは、ユーリを守るために行動していた。
目的が似たようなものであるため、アクアとカタリナは協力する形になることも珍しくなかった。
その時間が、やがてアクアにカタリナに対する情を生み出させることになる。
とはいえ、アクアに感情が芽生える日は遠かった。
アクアが進化する直前まで、アクアにとってはユーリもカタリナも単なる便利な存在くらいの認識でしかなかった。
それでも、だからこそアクアはユーリもカタリナもしっかりと守った。ユーリにもカタリナにも相応に従順だった。
ユーリの求める遊びにずっと付き合っていたし、人間生活に溶け込むための指示も守っていた。
そんな日々の中で、アクアはユーリに守られるという経験をする。
アクアにとって、襲いかかるモンスターの攻撃などなんの驚異でもなかった。
だからこそ、モンスターがユーリに攻撃しないうちは無反応でいたのだが、それを見たユーリがアクアを守るためにモンスターに攻撃する。
そして倒れたモンスターを見て、アクアは少しだけいつもよりしっかりとユーリのことを五感で認識した。
それはアクアにいずれ芽生える感情の、ほんの少しの発露だったのかもしれない。
それからもアクアはユーリやカタリナとともに生活し、学園に通うことになる。
学園の中では、ユーリはカインに傷つけられていることが多かった。
そのころにはアクアにとって邪魔物くらいの認識でしかなかったから、カインは無事でいられた。
アクアに感情が芽生えていたら、数年もの間を我慢することなど決してなかった。
それがカインにとって幸運だったのかは誰にもわからないであろうが、世界にとっては好ましいものだったはずだ。
なぜなら、アクアが進化した後よりも遥かに低いハードルで、人を殺したり支配したりすることになっていただろうからだ。
それからの日々でもずっとユーリはアクアに対して全力で好意をぶつけていて、それがアクアにユーリを大切に思う感情を芽生えさせる。
それからのアクアは本当に幸せだった。
これまでは何とも感じていなかったユーリの好意が嬉しくて、ユーリと触れ合う時間は楽しくて。
そして、どんどんユーリのことを大好きになっていった。ユーリがくれた感情は、アクアにたくさんの幸せを与えてくれた。
だから、大好きなユーリのために何かをしたいという思いが強くなっていった。
それゆえに力を求めたアクアは、全力で進化のために力を蓄えた。そして進化という形で、本来の力を取り戻すことになる。
アクアは進化してすぐに、ユーリの中にあるモンスターのもとになる成分を生み出す器官を排除した。
そんなものが無くなったくらいでは、ユーリを大切に思う気持ちがなくなるわけがないと確信していたから。
それに、餌のようにユーリを見ている自分のことは嫌いだったので、ただのユーリを大好きな自分で居たかった。
それからの日々ではユーリとともにいくつもの冒険をして、いくつもの敵を倒した。
ユーリの幸せのために尽くしていたし、ユーリは幸せになってくれている。
ユーリはその幸せを全力でアクアに返してくれたし、だからアクアは幸せだった。
これまでの日々を思い返していたアクアは、やはり過去は忌々しいという思いを消せなかった。
ユーリのことを単なる道具くらいにしか感じていなかった頃の自分など消し去ってやりたい。
だが、過去に戻れたとしても、ユーリと離れ離れになる選択だけはしなかっただろう。
感情がはっきり芽生えていなかった頃だって、ユーリの傍にいたことは心地よかったはずなのだから。
ユーリと球遊びをした思い出、ユーリにずっとくっついていた記憶、ユーリに撫でられていた過去。
それらは本当は全て愛おしくて、幸せで、大切な時間だったはずだ。
そうじゃなかったら、自分に感情が芽生えたりはしなかった。ただの餌としてユーリを見続けていたに違いない。
そんなもしもは想像するだけで最悪の気分で、アクアはユーリがどれほど大好きか改めて理解した。
だから、アクアがユーリに出会えたことだけは、プロジェクトU:Reの誇って良い成果だと思えていた。
プロジェクトU:Reはアクアがオメガスライムの力を取り戻すためにほとんどなんの役にも立たなかったが、ユーリを生み出したことは素晴らしい。
ユーリを大切に思う気持ちだけが、アクアをオメガスライムにしたし、アクアを幸せにした。
アクアがただのスライムだと思いながらも、ずっとずっと大切にしてくれたユーリがいたからこそだ。
アクアが進化してからだって、ユーリはアクアを変わりなく大切にしてくれた。いや、今まで以上にずっとずっと大切にしてくれた。
ユーリはアクアの大好きだという気持ちをしっかりと受け止めてくれて、大好きを返してくれた。
ユーリにとって大切な人が何人も現れても、アクアを一番に思い続けてくれた。
それがアクアにとって大きな喜びで、ユーリとともにいる喜びを噛み締めていた。
結局ユーリの周りの人間をみんな支配することになってしまったが、その人達をある程度好きになれたのはユーリがいたからだ。
ユーリが人を接する喜びを教えてくれて、だから、アクアは人を傷つけることが全てにはならなかった。
モンスターにとって人を攻撃するというのは当たり前のことだ。
それを乗り越えるほどの好意を人にもてたことが、アクアにとってどれほど素晴らしいことだったか。
今でもこの胸にある悲しみを抱えていこうと思う程度には、アクアは皆が好きだった。
アクアは喜びも悲しみも苦しみも、様々な感情を知ることになった。
それでも、一番大きく感じていたのは喜びで、それには何よりもユーリの存在が大きい。
アクアは何度もユーリに嫌われる未来を恐れることになった。それでも、そのたびにユーリはアクアを安心させてくれた。
カタリナが一番ではないかと疑ったときも、ノーラとの約束を思い描いたときも、オメガスライムという自分の正体を考えたときも。
ユーリはアクアを暖かく受け入れてくれて、アクアのことを肯定してくれて、アクアを大好きだと言ってくれた。
ユーリと過ごしていた時間の全ては、間違いなくアクアの宝物だった。
それでも、ユーリと離ればなれになる可能性のあることをすると決めた。
アクアにとっての幸せは、全部ユーリがくれたものだ。ユーリがほんとうの意味で幸せになってくれるのなら、自分が不幸でもかまわない。
もし仮にユーリと離れ離れになったとしても、この思い出と幸せを胸にこれからも生きていける。そう信じていた。
だが、アクアは本当の意味で孤独の恐怖を知らなかった。もしそれを知っていたならば、そんな判断は絶対にしなかった。
結局、アクアが自分の恐怖に負けて、カタリナを支配したこと。これがすべての悲劇の始まりだったのだろう。
カタリナのことは大好きだったはずで、ずっと一緒にいたかったはずで、それなのに、カタリナのこともユーリのことも信じきれなかった。
自分にとってもユーリにとっても大切なカタリナ。ユーリの幸せの大きな要因。
アクアはユーリに嫌われることを覚悟しながら、カタリナを解放することに決めた。
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