裏 解放

 カタリナを解放することに決めたアクアは、まずはノーラと話をすることに決めた。

 ノーラはカタリナをとても大切に感じているし、カタリナの契約モンスターでもある。

 ユーリ以外でカタリナの話をするならば最もふさわしい相手だとアクアは考えていた。

 ユーリに嫌われる覚悟を決めたつもりのアクアではあるが、直接ユーリにカタリナを支配していることを話せはしなかった。

 せめてユーリに嫌われずに済む可能性だけは残しておきたいという、いたって当然の感情からだった。


「ノーラ、カタリナを解放したら、カタリナは喜んでくれると思う?」


「うちはカタリナではないから分からんぞ。だが、ご主人にとって良い話だとは思うぞ。アクア様にとって良い話かはわからんが」


「そう。実は、カタリナはアクアが支配している間もずっと意識は残っている」


「それは……アクア様はなぜそうしたのだ?」


「どうしてもカタリナを殺そうとは思えなかったから。せめて意識だけでも残したかった」


「アクア様はやはりカタリナのことが好きだったのだな。だが、そのやり方は……」


 言葉に詰まったノーラを見て、アクアは自分の行動になにか問題があるのだろうかと疑問に思い、ノーラの思考を読んだ。

 すると、ずっと意識を持ったまま自分の意志ではなくユーリに触れ続けるイメージが流れ込んできた。

 ユーリのそばにいるのに、ユーリの声も笑顔も自分以外に向けられている。

 自分の声は届かなくて、他の誰かの言葉にユーリが反応を返す。

 自分でない誰かのことを自分だと思いながら気がつかないユーリをずっと眺めているのだ。


 そのイメージが流れてきたことによって、アクアは自分がどれほど残酷なことをしたのかを理解した。

 カタリナに申し訳ないという思いが湧き出してきて、カタリナのつらさを想像するだけで、アクアは自分のことのようにつらく感じた。

 もうカタリナと和解することなどできないかもしれないという思いも浮かんできた。

 だが、それ以上にカタリナをその苦しみから開放してあげたいという思いのほうが強かった。

 やっぱり自分はカタリナのことが好きなのだ。ずっとユーリをともに支えてきた仲間で、ユーリのことを好きな同志でもある。

 カタリナに憎まれていて、ユーリにもそれが伝わってしまうという恐怖はあった。

 それでも、カタリナの苦しみを無くしてあげたかった。

 だから、アクアはカタリナを解放することをはっきりと決意した。


「ノーラ、決めた。すぐにでもカタリナを解放する」


「そうか。これから大変になるだろうが、頑張ってくれよ、アクア様」


「うん。カタリナに謝りたい。許してもらえないかもしれないけれど、それでも」


「まずはカタリナと2人で話しておいてくれ。うちは邪魔になるだろうからな」


「わかった。ノーラ、ありがとう」


 ノーラが去っていったので、カタリナとふたりきりになって、アクアはカタリナを解放した。

 カタリナは倒れそうになるが、すぐにアクアはそれを支える。

 少し自体を理解していなかった様子のカタリナだが、アクアの方を見て笑顔になる。


「アクア、あたしを解放してくれたのね。ありがとう」


「ううん。ごめん、カタリナ。アクアはカタリナにひどいことをした」


「いいのよ。こうしてあたしを解放してくれたんだから。あのヘタレをあたしの手で守ってやることができるのよ」


 カタリナの憎まれ口を久しぶりに聞いて、アクアは素直に喜んでいた。

 カタリナが本気でアクアを許すつもりなのかはわからない。それでも、あのカタリナが帰ってきた。

 そう感じて、懐かしさと暖かさと嬉しさが湧き上がってきた。


「アクアがあたしのことを好きでいてくれるのは、その顔を見れば分かるわ。だから、許してあげる。あなただから特別なのよ?」


「カタリナ……ありがとう」


「ええ。また、あたしたちでユーリを支えてあげましょう?」


「うん! カタリナも、いっしょの部屋で過ごす?」


「悪くはないけど、急ぎすぎても良くないわ。これから、ゆっくりと決めていきましょう」


 そのカタリナの言葉が、アクアにカタリナとの未来をしっかりと感じさせた。

 ユーリに悪口を言いながらも、なんだかんだでユーリを助けるカタリナの姿がまた見られる。

 カタリナがユーリを引っ張って、アクアが後ろから支えるといういつか夢見ていた景色を見られるのだ。

 自分とユーリとカタリナの3人なら、きっとどんな相手にだって負けることはない。アクアはそう信じ切っていた。


「それで、アクアに提案があるの。あたしとユーリが子供を作る。アクアのことだから、あたしの体に入ってその子供にアクアの要素を植え付けるくらいできるでしょう? そうすれば、あたしたち3人の子供になるわ」


 カタリナのその提案は、アクアにとってとても素晴らしいものだった。

 自分とユーリとカタリナの3人の絆の証がはっきりと形になる。そして、3人とその子供たちで、本当の家族になることができる。

 いつか夢見ていた未来よりも、もっとずっと素晴らしい未来になるとアクアは感じていた。

 ユーリとカタリナ、2人の子供にはフィーナのような力を与えるのがいいだろうか。

 それなら、様々な形でユーリたちの力になってくれるだろう。今の自分ならば、どんな契約技より優れた力を与えられる。

 だから、きっとユーリも喜んでくれる。そう信じていた。


「それは楽しみ。みんなで家族になるのは、きっと最高の時間」


「そうよね。あたしだって同じ気持ちよ。だから、何があってもユーリを守りましょうね。今回のような敵が現れたのなら、何が何でも始末しましょう」


 そう言うカタリナの目はとても濁りきっていて、アクアは少しだけ怖くなった。

 以前のカタリナならば、そう簡単に人を殺そうとはしなかったはず。それに、こんな目をすることも。

 やはり自分の行動でカタリナを傷つけてしまっていたんだ。だから、カタリナはこんな目をしている。

 自分にとってのカタリナの大切さをはっきり理解できていたアクアは、胸が締め付けられるような苦しみを味わっていた。


「アクア、どうしてそんな顔をするの? ユーリの敵なんて、いくら死んでもかまわないでしょう?」


「そうだけど、カタリナが苦しそうに見えて。ごめん。何度謝っても許されないことだけれど、それでも」


「確かにあたしはアクアに支配されている間ずっと苦しかったのかもしれない。でも、そのおかげで、ユーリとアクアがどれだけ大切な存在なのか分かったわ。だから、アクアには感謝しているくらい」


 何故かカタリナの目はとても澄んでいて、だからこそアクアはカタリナの苦しみが伝わってきたような気がしていた。

 おそらく、そうやって自分をごまかすしかなかったのだろう。だって、苦しいことをしてきた相手に感謝なんて絶対にしない。


 アクアはこれまでの日々で少しずつ人間を理解してきたことで、カタリナの心情に思いを馳せることができた。

 きっとカタリナは自分のことを恨んでいたはずだ。ユーリだって同じことをされれば自分を恨むだろう。

 それなのに、感謝しているなんて、それは本当の心なのか?

 でも、それを指摘してカタリナに恨みを思い出されてしまったら。

 カタリナと和解するという希望が生まれてきただけに、アクアはカタリナとの破局が恐ろしかった。

 これからカタリナの心を癒してあげたい。それならば、きっとユーリと接するのがいい。アクアはそう信じた。


「カタリナ、ユーリの一番がカタリナになってもいい。だから、ユーリの傍で過ごして」


「自分を騙しきれないような嘘をつくのは止めなさい、アクア。いいのよ。あいつの一番があなたなのは。それだけのことを、あなたはしてきたわ」


「だったら、2人で一番になればいい。ユーリなら、きっとそうしてくれる」


「どうかしらね。でも、あなたの気持ちは伝わったわ。あなたは一度間違えてしまっただけ。だから、これからの日々で償ってくれればいい。あたしとあいつといっしょに幸せになってくれればね」


「わかった。カタリナ、よろしく」


「ええ、よろしく。大好きよ、アクア」


「アクアも、大好き」


 その言葉を受けてカタリナは柔らかく微笑む。それを見て、アクア自身からも笑顔があふれてきた。

 カタリナのことは大きく傷つけてしまったけれど、きっとこれからやり直すことができる。

 ユーリだって本当のカタリナとふれあえることは嬉しいはずだ。たとえはっきり気がついていないとしても、きっと。

 だって、ユーリはアクアがカタリナを好きでいる以上にカタリナのことを好きでいるはずだ。

 かつてユーリの一番を奪われると心配するほどに、大切に思う感情があふれていたのだから。


 だけど、やっぱりユーリと離ればなれになる未来は恐ろしい。カタリナと和解できたことも嬉しかったが、何よりもユーリに嫌われないであろうことが嬉しかった。

 ユーリに嫌われる覚悟はしていた。これからをずっとひとりきりで過ごす覚悟も。

 それでも、目の前にその未来があると思うと恐ろしくて、寒くて、耐えられそうにない苦しみを感じた。

 もし本当にカタリナと上手くいかなかったのならば、もう一度カタリナを支配していたのかもしれない。

 今度は意識すらも残らないように念入りに。

 あるいは、カタリナの記憶を操作していたのだろうか。

 カタリナではない別人のようになってしまうかもしれないけれど、それでも、ユーリと離ればなれになる未来よりはいい。

 結局のところ、自分は恐るべき怪物でしか無いのだな。アクアは密かに自嘲していた。

 本当に自分はあの優しいユーリのそばにいていいのだろうか。恐ろしい考えが頭の中に浮かんできて、アクアはその考えを必死に振り払っていた。


「アクア、これから3人で、いっしょに幸せになっていきましょうね。あたしにとっても、ユーリにとっても、あなたは大切な家族なんだから。あなたがオメガスライムだとしても、そんなことは大した問題じゃないわ」


 カタリナのその言葉は、今の自分の感情を理解してのものなのだろうか。

 その答えはアクアには思い浮かばなかったが、今の言葉がはっきりとアクアの心を軽くした。

 やはり、カタリナの優しさはユーリにとって必要なものだ。だから、これからはユーリはもっと幸せになる。

 アクアは幸せな未来をしっかり想像しながら、今の幸せを噛み締めていた。

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