追憶 きっかけ

 かつてユーリは幼いうちに両親に捨てられた。オメガスライムに進化しないアクアを失敗作とみなして捨てると同時に、アクアの相方として調整したユーリも不要になったためだった。

 アクアの相方としての調整がなかったとしても、ユーリはアクアと離れることを嫌がっていたので、結局のところ捨てられていただろうが。

 両親から捨てられたユーリだったが、その事実をよく理解しておらず、それでもアクアの横で寂しさに促されるままに泣いていた。


 カタリナの両親がユーリの両親が残した財産を管理して、ユーリの世話もしていたので幼かったユーリは生き延びることができていた。

 カタリナの家で過ごしていたユーリだったが、まるで悲しさは埋まらなかった。

 カタリナの両親にはユーリに対する愛情などまったく無く、単にユーリの両親が残した資産を利用したいがためにユーリを生かしていた。

 ユーリが死ねば監督不行き届きを咎められて、その資産を失うことになるだろう。

 だから、最低限ユーリが死なないように配慮はしていたが、ユーリのことは煩わしいとすら考えていた。

 その影響を受けたカタリナも、ユーリに対して冷たく当たることが常だった。


「あなた、着いてこないでくれる? あなたみたいなヘタレと一緒にいたら、あたしまで同じだと思われちゃうじゃない。迷惑なのよ、ユーリ」


 ユーリはカタリナの両親とそれなりに接する都合上、カタリナとできる限り親しくなろうとしていた。その関係上、カタリナについて回ることが多かった。

 だが、それが実ることはないまま、ほとんど誰からも顧みられることはないユーリは徐々に追い詰められていった。

 そんなユーリにとって、唯一親しいと思える存在がアクアだった。アクアはいつでもどこでもユーリのそばにいて、それがユーリの心を癒やしていた。

 ユーリは誰からも疎ましく思われていることを察していて、それでも1人でいることには耐え難いつらさを感じていた。

 だからこそ、いつでも着いてくるし、声をかけてもかまっても邪魔者扱いしないアクアといる時間だけが救いになっていた。


「アクア、ぼくはどうすればいいのかな? アクアだけがぼくの味方だよ……」


 アクアは何も答えなかったが、それでも頭の上に乗ったり隣で跳ね回ったりしている姿から、ユーリは自分を肯定してもらえていると感じていた。

 それがユーリの心を癒していたし、だからこそユーリはアクアに好意的だった。

 始めは目についたものを気に入るような感覚でアクアのそばにいたユーリだったが、もはやユーリにとってアクアは切っても切り離せないほどの存在になっていた。

 アクアと球遊びをしたり、アクアに話しかけたり、アクアにへばりつかれたり。そうしている時間だけがユーリにとって唯一と言っていい楽しみで、徐々にユーリはアクアに依存していった。


「アクア、楽しい? ほら、次の球だよ。とってこーい!」


 アクアはユーリの言葉には従順に従っていて、ユーリやカタリナにとって、それがモンスターの基準になっていた。

 ユーリは自分の言葉に従ってくれる唯一の存在としてアクアのことを大切にしていたが、モンスターならば仲良くなってくれるのではないかという希望をわずかに抱いていた。

 ただ、町中にモンスターが現れることはなかったし、当然ユーリが他のモンスターと仲良くなることもなかった。

 そんな中でユーリは毎日アクアと遊んでいて、アクアはそれにずっと付き合っていた。


 アクアがいなければ、ユーリは完全に心を閉ざしていただろう。だが、そうならないままいくらかの時間が過ぎていった。

 それがユーリとアクアとカタリナの運命を大きく変えることになるなど、その時は誰も知らなかった。


 ある日、ユーリはいつものようにカタリナについて回っていた。アクアもユーリにへばりついていた。

 カタリナに嫌われていると自覚しているユーリだったが、それでもまだカタリナと良好な関係を築くことを諦めていなかった。


 カタリナはユーリの姿を確認すると見るからに嫌そうな顔をしていたが、それでもユーリがついてくることは諦めていた。

 ユーリに対して暴力を振るうべきではないと両親に言い含められていたし、単純にカタリナが暴力が嫌いだということもあり、口で拒絶するだけにとどまっていた。


「ユーリ、あなたは着いてこなくていいのよ。いい加減、あなたを誰も必要としていないことに気づいたらどう?」


 ユーリはカタリナの言葉に深く傷ついていたが、誰からも必要とされないことはもともと理解していたので、それで諦めることをしなかった。

 ユーリは人間の友達を強く求めていた。アクアが大切な存在であることは疑いようがなかったが、親しく言葉を交わすということに憧れていたので、アクアだけでは満足できないでいた。

 だから、最も近くにいるカタリナにそれを求めていた。ただ、それはカタリナには一切通じていなかったが。


「アクアはぼくを必要としてくれるよね? 誰もぼくを必要としていないなんて事はないよ」


「モンスターなんかに求められたからって何になるっていうのよ。哀れなものね」


 カタリナはアクアの態度を見ていたから、ユーリの言葉は間違いではないだろうと判断していた。モンスターは危険な生き物だという両親の主張も、アクアを見ているカタリナにとってはつまらない嘘のたぐいでしかなかった。

 それゆえ、町中に入り込んでいる犬型モンスターの姿を見ても、平気で近づこうとしていた。

 無警戒にモンスターに近寄ろうとしたカタリナに、モンスターは鋭く吠えたあと、走って噛みつこうとする。


 その姿を見たユーリは思わずカタリナをかばっていた。カタリナとモンスターの間に入り込み、それによってユーリはモンスターに足を噛みつかれる。

 動揺するカタリナに、ユーリは痛みを堪えながら必死に叫んでいた。


「カタリナ、逃げて!」


 ユーリは自覚していなかったが、ユーリがカタリナを助けた理由として、誰かに認めてもらいたいという思いがあった。

 カタリナを助けるという善行はそれにピッタリと当てはまっているとユーリは無意識に感じ取っており、だからとっさに体が動いていた。

 ユーリにとって助ける相手など誰でも良く、たまたまそこにいたからカタリナが対象となっていた。


 だが、カタリナにとっては自分を必死に助けてくれたという事実だけがあった。だからこそ、ユーリを助けるために全力で両親を呼びに走ることに決めた。


「ユーリ、すぐに助けを呼んでくるからね!」


 カタリナが助けを呼びに行っている間、アクアはユーリに噛みついているモンスターに全力で攻撃していた。

 その結果、モンスターはユーリのことを放し、アクアをターゲットとしていた。しかし、アクアには犬型モンスターの攻撃は一切通じず、徐々にモンスターはアクアの攻撃により追い詰められていった。

 ただ、ユーリが徐々に衰弱しているという事実がアクアから余裕を奪っていた。ユーリを死なせる訳にはいかないと考えていたので、何を優先するか決めかねていた。

 少し時間が経過して、カタリナが呼んだ助けがモンスターをすぐに討伐した。ユーリの治療も同時にほど来られていたが、ユーリはとても弱っていた。


「ユーリ……あたしを助けるために……しっかりするのよ! あなたにはまだお礼も言っていないのに!」


 ユーリはおぼろげな意識の中でカタリナの涙する姿を見ていた。それがユーリに大きな満足感を与えて、落ち着いた心持ちで意識を失っていった。

 ユーリについた傷はとても大きいもので、ユーリの命は危ぶまれていた。それを理解していたアクアは、誰にも見つかることのないままユーリを癒やしていた。

 アクアにはすでにただのスライムにはない特別な力があり、それによってユーリの体を治療していった。アクアがユーリの傷口にへばりつくことで、ユーリの体を治す。


 いつかアクアが進化してすぐにも似たような手段でユーリの傷を癒やしていたが、ユーリが疑問に感じなかったのは、このことを無意識に感じ取っていたということが大きい。

 ユーリは眠りにつく中で、アクアが助けてくれる夢を見続けていた。だから、次の日に目覚めて怪我の痛みがずいぶん落ち着いていることを感じた時に、アクアのおかげだと確信していた。

 アクアは目に見えない部分を中心にユーリを癒していたため、傍目には大きく傷が治ったように感じ取れないでいた。


 カタリナがユーリの見舞いに来た際にも、ユーリの傷口は痛々しい様子に見えて、だからユーリに対する感謝を深めていた。


「ユーリ、目が覚めたのね。昨日はありがとう。あなたのおかげで助けられちゃったわね」


 カタリナのその時の笑顔を見て、ユーリは昨日の痛みが大きく報われたように感じていた。カタリナは自分に対して親しみを感じてくれている。そう信じることができていた。


「ううん。気にしなくていいよ。カタリナが無事で良かった」


 ユーリのその言葉を受けて、カタリナはユーリを改めてしっかりと見た。痛々しい傷跡に、優しげな顔。これまで忌々しいとすら感じていたユーリのことを、初めて好意的な目で見ることができていた。


「よし、決めたわ! あんたをあたしの子分にしてあげる! 親分は子分を守るものよ! あんたは安心してあたしに着いてきなさいよね。ヘタレなあんただからって、見捨てたりはしないわ」


 とても晴れやかな顔でそう言うカタリナを見て、ユーリはカタリナの子分になることに逆らわないことを決めた。


「わかった。これからよろしくね、カタリナ」


「それでいいのよ。あんたが弱っちい分もあたしが強くなってあげるから、アクア共々しっかりあたしに従うことね」


 それからというもの、ユーリを取り巻く環境は少しだけ変わった。カタリナがユーリに好意的になったこともあり、カタリナの両親の態度も軟化していた。

 最初は奪うつもりでいたユーリの資産を、カタリナとユーリの結婚資金として使うことに決め、カタリナには得難い友としてユーリを大切にするように語り聞かせた。

 カタリナを命がけで助けたユーリの行為はカタリナの両親にも響くものがあったため、カタリナがユーリを大切にしていることを喜んでいた。


 相変わらずアクアと遊ぶ時間が最も大切なユーリであったが、他にもカタリナと遊ぶ時間を大切に思うようになっていった。

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