94話 θ

 ぼくの目の前には、ぼくに似ているらしい少女がいる。幼さを感じられるような顔つきで、ぼくより3つか4つは年下だと思う。ウサギのような人形を抱えているのが目に付く。

 まだ遊んでいてもおかしくない子供に見えるけれど、ここに居るという事は敵なのか? そうだとすると、こんな子供まで殺さないといけないのか?

 そもそも、ぼくに似ているという事は、ぼくと何か関係があるという事なのか? 何もかもが分からなくて、頭がうまく回らない。

 そんなぼくに、少女の方が声をかけてきた。


「おにぃちゃん、シータがおにぃちゃんをやっつけないといけないの。だから、やっつけちゃうね」


 そのままシータとやらは電撃をぼくに向かって放ってきた。反射的にアクア水で壁を作れたから助かったものの、とんでもない攻撃だ。

 シータはお兄ちゃんとぼくの事を呼んでいた。本当に血がつながっている? いや、そんな事を考えていて勝てる相手とは思えない。

 ぼくは気を取り直してシータに対峙することを決める。シータはそのまま何度も電撃をこちらに放ってきた。

 それらをアクア水で何とか防御しながら、シータへの対抗策を考える。電撃は間断なく放たれる。だから、うかつに攻撃に転じればその隙をつかれかねない。

 ぼくは反射で追いつかなくても対応できるように、水の壁を多めに用意していた。少なくともシータとぼくたちを繋ぐ直線には、常に水の壁があるようにしていた。


 そのまま防御を続けていると、シータはあまり動かずに固定砲台として攻撃を続けていることに気が付いた。

 それとほぼ同時に、カタリナがシータに向かって矢を放つ。そのままだと突き刺さってシータが死んでしまうので、ぼくは焦っていた。

 だけど、ぼくの心配など関係なく、シータはどうやってか矢をあらぬ方向へと飛ばしていった。

 カタリナがシータを殺さなかったことには安心したけど、このシータの技がどういうからくりかが分からないと、うかつに攻撃できない。

 さっきは滅茶苦茶な方向に飛ばすだけだったけど、もしシータがこちらに向けて攻撃を跳ね返して来たら。

 その懸念がある以上、シータに向けて強い攻撃を撃つことは出来なくなった。少なくとも今は、シータを殺すような攻撃をしてはいけない。

 それがぼくの心を軽くしてくれているのを自覚して、やっぱりぼくは覚悟を決め切れていないのだなと自嘲した。


 まあ、それは今考えるべきことじゃない。どうやってシータを無力化するのかを考えないと。

 シータの能力。契約技は恐らく電気を操るもの。そうなると、金属で攻撃するのは厳しいのか?

 よく分からないけど、金属は電気を通すものが多かったはず。アリシアさんが言っていたんだっけ。電気を通さない金属もあるのかもしれないけど、ぼくはその光景を見たことがない。

 ただ、金属が電気を通すこととさっき矢を弾かれたことに何らかの関係性を見出すとすれば、鏃の金属か?

 だとすると、鉄片を仕込んだアクア水をぶつけるのもまずいのだろうか? いや、そもそもなぜアクア水で電撃を防げているんだ。水にぬれると電気を通しやすいって聞いたことがあるんだけど。

 ぼく達とアクア水の間に距離があることが大切なのか? それとも、アクア水が特別なのか?

 いや、その理由は何だっていい。アクア水でなら攻撃が通じる可能性があるという事が大事だ。

 ぼくは水の塊をシータに向けて放つ。すると、シータは弾き返したりすることもなく水を受けていた。


「おにぃちゃん、どうしてシータをいじめるの? おにぃちゃんなんて嫌い!」


 そう言ってシータは滅茶苦茶に電撃を放つ。これは相当怒っているな。アクア水でうまく防げているとはいえ、どれだけの時間シータは電撃を放っていられる?

 まだ本命の敵は残っているだろうと思えるから、出来るだけ消耗しないうちにシータを無力化してしまいたい。

 できれば殺すことは避けたいとはいえ、そんな余裕があるのだろうか。先行きが見えないこともあり、ぼくはどうすればいいのかすぐに決め切れなかった。


 それにしても、どうしてシータをいじめるのと来たか。いじめられているのはぼくの方じゃないかな?

 なにせ、先に死ぬかもしれないような攻撃を仕掛けてきたのはシータなのだ。

 とはいえ、こんな小さな子供にそんな理性を期待するのもおかしな話か。ぼくだって、シータくらいの年に自制がしっかり効いていたのかは怪しいのだし。

 まあ、シータだけを倒すことならば今の様子だと簡単だろう。問題は、これからの戦闘に備えてどれだけ消耗を減らせるかという事になる。

 まだ厄介な人型モンスターがいるかもしれないし、凶悪な契約技を持つ契約者もいるかもしれない。

 それを考えると、出来るだけ持久戦の様相にはしたくないのだけれど。

 そうはいっても、急いでことを仕損じるのはもっと問題だ。シータの攻撃はどう考えても命にかかわるものなんだ。アクア水がたまたま相性がいいだけで、本来もっと警戒してしかるべき契約技なんだよね。


 シータが感情的になって滅茶苦茶に契約技を撃っているのは、幸運なのか不運なのか。うっかり近づくことはとっても危ないし、完全に電撃の軌道を読み切れないからある程度反射に頼らなければいけない。

 でも、シータが冷静でいるよりは彼女が大きな消耗をしているのは間違いない。さて、どうしたものか。

 このまま耐えていれば勝てるとは思う。でも、これよりぼくたちの消耗を減らす手段となると殺すことばかりしか思い浮かばない。

 こんな小さな子供を殺すことにはどうしても抵抗があるので、できればシータが敵意を失ってくれればいいのだけれど。

 そうだな、試しに言葉を投げかけてみるか。会話でここをくぐり抜ける事ができるのならば、それがいい。


「ねえ、シータ。ぼくに攻撃を仕掛けるのをやめてくれないかな? そうすれば、ぼくはきみに攻撃しなくていいんだ」


 シータはぼくの言葉を受けて、少し考えている。その間は電撃がとまっているので、会話自体には効果があるみたいだ。

 さて、シータはぼくの言葉にどう反応するのだろう。ぼくの言葉は本音ではあるけれど、相手がどう受け止めるのかはよく分からない。

 これで戦いを辞めてくれるのであれば、ぼく達は消耗しなくて済むし、シータを殺すことだってしなくていい。

 ぼくにとってはいい事ずくめなので、出来ればシータが話を聞いてくれると良いんだけど。

 シータは悩む様子を見せていたが、またぼくに攻撃を仕掛けてくる。ぼくはカタリナとアクアに合図して、いったん攻撃を止めてもらう事にした。


「ほら、ぼく達から攻撃するつもりはないよ。シータ、ここを通してくれないかな? ぼくはきみを傷つけたくないんだ」


 シータはまた電撃を放つことを止める。会話に集中すると攻撃できなくなるのか、それともぼくの言葉を真剣に考えて攻撃を止めているのか。

 どちらにせよ、ぼくは会話で攻めることを方針に決めた。こんな小さい子供に攻撃するのは気が咎めるし、何より、さっきまでの人たちと違って会話が通じそうなのが大きい。

 これまでぼくたちがここで戦ってきた契約者たちは、ぼくたちを手柄くらいにしか見ていないのはよく分かったから、対話の余地は感じ取れなかった。

 でも、シータはそうではない。ぼくの言葉をしっかり受け入れてくれているように見える。

 この交渉が決裂するにしろ、そうでないにしろ、対話をすることに意味がないとは思えなかった。

 それに、ぼくに似ているというアクアとカタリナの言葉、それとシータの語るお兄ちゃんという呼び名。それってぼくにとってシータが妹である可能性があるってことだ。

 両親の事はもはやどうでもいいと思っているけど、この子はまだ幼いこともあって、守っていくべき存在なのではないかと感じた。

 シータの様子を注視していると、シータはぼくに言葉を返してくる。


「信じられないもん! どうせ、おにぃちゃんもシータにひどいことするんだ!」


 そしてシータはぼくに攻撃を仕掛けてくる。カタリナやアクアは目に入っていないようだ。それなら、ぼくは説得を続けても問題ないな。

 カタリナやアクアを傷つけてまで、ぼくは出会ったばかりのシータを助けようとは思えない。でも、今のシータはぼくにしか攻撃してこない。ならば、ちゃんと話をして分かってもらうために力を尽くせる。 シータの言葉を受けて同情しているのかもしれないけど、ぼくはシータをことさら傷つけたいとは思えないようになっていた。

 シータがお兄ちゃんもと言う事からは、他の人たちからもひどい事をされてきたという事がうかがえる。

 そんなシータに、ぼくはシータを傷つけるつもりがない事をどうやって伝えるか。少し考えて、シータに近寄っていくことにする。


「こないで! こっちにくるのなら、もっとすごい事をするんだから!」


「シータ、ぼくはきみにひどい事をするつもりはないよ。だから、今だって君に攻撃していないでしょ?」


 シータは髪を振り乱しながら叫んでいる。その様子を受けてぼくはシータがこれまでに本当にひどい事をされていたんだと感じた。

 ぼくからこの子に攻撃すれば、シータは完全に心を閉ざしてしまうと思う。だから、シータが何をしても攻撃しないつもりでいる。

 もちろん、カタリナやアクアを傷つけないという前提ではあるのだけど。でも、本当にこの子を傷つけたくはない。


「うるさい! これでもくらえ!」


 そしてシータはぼくに向けてこれまでより数段強い雷撃を放ってくる。だけど、アクア水での防御は貫けなかった。

 ぼくはそのままシータに近寄っていく。シータは肩で息をしているので、この攻撃でとても疲れているみたいだ。

 シータに近寄って手を伸ばすと、シータは顔をかばうような姿勢を見せる。たぶん、これは殴られたりしたことのある人の反応だ。

 ぼくはそのままシータに近寄ると、ゆっくりと軽く抱きしめる。


「ねえ、シータ。ぼくはきみと仲良くなりたいんだ。お兄ちゃんってぼくを呼ぶんだから、きみはぼくの妹でしょ? 一緒に遊んだり、美味しい物を食べたり、楽しい事をいっぱいしようよ」


 シータはゆっくりとぼくの話を聞いていたが、また電撃を放ってくる。それでも、ぼくはシータを離さなかった。

 するとシータは力を抜き、ぼくに抱きついてくる。これは和解に成功したかな?


「おにぃちゃん。ほんとにシータと遊んでくれる? 一緒に居てくれる?」


「もちろんだよ。だから、一緒に来てくれる? ぼくはシータの事を必ず大切にするから」


「うん! だったら、おにぃちゃんをいじめる人はシータがやっつけてあげる! 変なおじさんたちより、おにぃちゃんと一緒がいい!」


 そのままシータはぼくに抱き着いたままだった。アクアやカタリナは周囲を警戒してくれている。

 さて、シータと和解することには成功した。でも、シータは本当にこの先の敵を倒してくれるだろうか?

 なんでもいい。ぼくたちにもう攻撃してこないのなら、全力でシータを守ってみせる。

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