裏 苦み

 カタリナがモンスターの異常発生により窮地にあると知ったとき、アクアは自身の端末を飛ばしてカタリナを守るために行動した。

 カタリナにもしものことがあれば、ユーリは傷つくだけでは済まないと理解していたからだ。それに、アクア自身もカタリナに死んでほしいとは思っていなかった。

 そのために、モンスターをカタリナから離れたほうに誘導したり、ある目的のための実験としてアクアがこれまでに溶かしたモンスターから作成した、デザインを調整したモンスターにカタリナを襲うモンスターを攻撃させたりと、カタリナが本当に死んでしまわないように影ながら守っていた。

 ユーリにカタリナの居場所を伝えれば、ユーリに自身の異常性が気づかれてしまうと判断したため、伝えることはしなかったが、焦ってユーリに何か起こってしまわないためのフォローも同時に行った。


 ユーリがカタリナを助けることに成功した時、アクアは素直に喜んだ。ユーリは嬉しそうだったし、自分がユーリの役に立っているという実感もあった。

 だからこそ、カタリナに自身の端末を張り付かせておいて、いざという時の備えにすることも検討していた。

 そうすれば、ユーリの見ていないところでカタリナがどうにかなってしまう可能性を減らせるだろうと。

 ユーリの幸福にカタリナが必要であることは分かり切っているし、それでいいだろうと思っていた。カタリナがユーリを抱きしめている姿を見るまでは。


 その時、その光景が本当に美しい物であるように思えて、自分が入っていけない世界を構築しているように思えて、アクアの胸はざわついた。

 ユーリとカタリナが会話を終え、カタリナが微笑んだ時のユーリの表情を見て、その思いはさらに深まった。羨ましかったのか、妬ましかったのか、はたまたそれ以外か。アクアは自分でもわからなかった。

 ただ、ユーリにとってカタリナが一番で、自分はその外にいるのではないか。その不安が消えることはなかった。


 それから、ユーリたちが学園から帰ったとき、ステラとしてユーリと接する中で、ステラの指輪について話題に出した。その答え次第では、ユーリとの絆を計れるのではないかと思ったからだ。

 その時にもカタリナのことを答えるユーリを見て、アクアの中に焦りが生まれていった。カタリナと一緒に外出しようと提案した時には、自身とカタリナのどちらを優先しているか、別の視点から図るつもりでいた。


 家に帰った後、眠るユーリの姿に満足感を感じたことで、アクアの不安はさらに膨らんでいった。

 さすがにユーリが自分を捨てることは絶対にないだろうと思えたが、カタリナとユーリが一緒にいる時、自身とユーリの距離が離れるのではないか。カタリナを優先して、アクアといる時間が減るのではないか。考えれば考えるほど、アクアの中にある不安がどんどん膨らんでいった。

 だからといって、カタリナを排除すればユーリは傷つくだろう。悲しむだろう。万が一自身の仕業だと知られてしまえば、嫌われるだけでは済まないことは分かり切っていた。

 どうすればいいのか。アクアはずっと考え続けていた。その日はユーリに強くくっついていたが、ユーリのそばは暖かいのに、心の寒さは消えなかった。


 次の日。アクアはユーリに遊びに誘われたとき、抱きしめてほしいと言った。カタリナに抱きしめられているユーリの姿が忘れられなかったから。

 ユーリに優しく抱きしめられていても、いつものように満足できなかった。だから、もっと強くしてほしいと願った。

 それでも、カタリナとユーリのあの時の姿を超えられているとは思えなかった。ユーリと強くくっついていられるのは嬉しかったが、心の奥に澱のようなものが残った。

 ユーリの一番は自分だと思いたくて、アクアは自身をアピールした。一番であると強調した。それにユーリが同意してくれたにもかかわらず、アクアはユーリを信じ切ることができなかった。本当はカタリナが一番ではないのか。そう心の奥底で感じていた。


 次にユーリがボードゲームを提案してきた時、アクアは自分が手加減することなどまるで考えられなかった。モンスターには知性があるとはいえ、あまりにもユーリとアクアの差を感じると、ユーリが自分をおかしく思うかもしれない。普段のアクアならそういった考えが浮かぶはずだった。アクアの焦りが、アクアの思考を曇らせていた。

 それからというもの、ユーリに対して一切手加減することなく、ボードゲームで全戦全勝した。そうすれば、ユーリが自分をすごいと感じてくれるかもしれない。自分を頼ってくれるかもしれない。その中で、ユーリの中において自分の優先度が上がってくれるはずだ。希望的観測に過ぎないのに、その考えを止めることはできなかった。

 だから、運が絡むゲームでユーリに勝ちきれなかったとき、アクアは足元が崩れ落ちるかのような感覚に陥った。これではユーリの一番になれない。ユーリが離れて行ってしまう。不安がぬぐい切れなかった。

 にもかかわらず、ユーリが自分との関係を否定するかのような一言を放った時、アクアは初めてユーリに対して怒りを抱いた。ユーリにとって、自分はその程度の存在なのか。だから、カタリナのほうが大事なのか。

 ユーリはそんなことを思うはずがないと理性では理解していたが、感情は収まらなかった。

 だからかもしれない。アクアは自分が間違ったことをしようとしていると理解していながらも、カタリナに成り代わろうと思ってしまった。


 学園が再開した日。アクアはカタリナが一人になるタイミングを見計らって計画を実行しようとした。

 カタリナが憎いわけでも、カタリナが悪いわけでもない。アクアは自身の行動は正しくないと確信していたが、それでも止められそうになかった。

 ユーリ以外のほとんどの存在を、利用価値でしか図れないアクアであるが、カタリナに対しては確かに情が存在していた。ユーリとの未来を思い描くとき、大抵そこにはカタリナの姿があったほどだ。他の人に同じようなことをすることには何のためらいも持たないアクアであるが、カタリナに成り代わろうとすることは最後まで迷っていた。

 だから、余計なことだとわかっていてもわざわざ謝罪してしまったし、カタリナの最後の言葉を聞いて、心を痛めていた。だから、カタリナを完全に殺そうとはせず、意識を奪うことはやめていた。

 ただ、情が湧いている相手に、多くの人が死ぬよりひどいと言うだろうことをするあたり、やはりアクアは怪物でしかなかった。


 次の日、アクアはカタリナとしてユーリに出会っていた。ユーリからカタリナに贈られた髪飾りをつけて。かつてユーリがカタリナに贈り物をする話をするとき、微笑ましさと羨ましさを感じていた。だから、この髪飾りが自然と目に入った。

 ユーリにカタリナが毎日髪飾りを変えていることを指摘されたとき、ユーリとカタリナの絆を感じたような気がして、心が少し沈んだ。それと同時に、自分が何をしているか気づかれやしないかと怖くなった。

 ユーリの指摘をごまかしたときも、ユーリは疑っているように見えた。ステラとしてユーリと接していた時は疑いなんて感じなかったのに。

 ステラも合流させてからの時間、アクアは、自分に向けるユーリの顔と、カタリナに向けるユーリの顔の違いに苦しんでいた。やっぱり自分はユーリの一番ではないのではないか。ステラとしてユーリと会話していた時にはいつもと違うユーリをあんなに楽しんでいたのに、今は苦しいだけだった。

 自分とユーリとの関係が理想的だと口にした時も、心の奥底では信じ切れていなかった。以前はユーリと自分は最高の飼い主とペットであることを確信していたのに、今は違うようにしか思えなかった。

 アクアはユーリを完璧に支えられるのは自分だけだと思っていたが、本当は自分がただユーリに寄りかかっているだけだと感じた。


 食事をとった後、アクアは前々から計画していたように、カーレルの街を拠点にして、ユーリたちが冒険者として活動することを提案した。

 これはもともとステラが計画していたことに、若干の修正を加えたものだった。この計画を利用すれば、ユーリと思う存分冒険者活動を楽しめる。

 そう思い描いていたはずだったが、ユーリがこの提案を受け入れても、アクアに喜びはなかった。

 アクアの理想の冒険者としての生活は、カタリナの体を奪った時点で崩壊していたことにこの時気づいた。カタリナがユーリを引っ張っていって、自分がユーリを後ろから支える。それを夢見ていた。

 だが、この未来が訪れることはもうないだろう。カタリナを演じているだけの自分と、カタリナとはやはり違う。カタリナがユーリに憎まれ口をたたくこともアクアは楽しんでいたが、自分でそうしていてもまるで楽しくなかった。


 家に帰ってユーリと一緒にいても気分が上がり切らなかった。それをユーリに気づかれたが、ごまかすことしかできなかった。

 カタリナの体を奪ってしまった。それからカタリナとしてユーリと過ごしていたが、ずっと苦しいだけだった。そんなことをユーリに言えるわけがない。もしそんなことを口にしてしまえば、ユーリとの関係は決定的な破局を迎えることは明らかだった。

 ずっとユーリに隠し事をしなければいけない。これまではなんとも思っていなかったことがとても苦しかった。

 だからといって、カタリナに体を返したところで、カタリナと関係を修復することなんてできるわけがない。ユーリに自分の本当の姿を話されてしまうかもしれない。アクアには自分がどうしたいのかも、どうすれば良いのかも分からなかった。

 かつて理想としていた未来が訪れることはもうない。それだけは確信できた。ユーリとカタリナと笑いあえる日々はもはや空想の中だけにしかないのだ。

 アクアは自分が人でないことを初めて恨んだ。きっとただの人間だったなら、カタリナやユーリとずっと過ごせる未来もあったはずなのだ。

 ユーリと自分が違う生き物であるからこそ、ユーリと最高の関係が築けると思っていた。だけど、人間でないから、ユーリと同じものを見ることができないのだ。

 大好きなユーリと過ごしているはずなのに、アクアの胸の内から苦い物は消えなかった。

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