第25話 ラウルの赤い糸(前編)

「もう、これで大丈夫ですよ」


 神殿でラウルが除霊を終えると、相談者の若い女性は瞳を潤ませた。


「神官様、ありがとうございました」


 ラウルの微笑みに、相談者はもじもじと頬を赤く染めた。


「今度、改めてお礼をさせてはいただけませんか……?」

「いえ。僕は神官としての務めを果たしただけですから、そのようなことには及びません」

「でも、個人的に、貴方様にまたお会いできたら嬉しいのですが」


 上目遣いにラウルを見つめてくる女性に、彼は内心で息を吐いた。彼女はどうやら、自らの美しさに自信を持っているようだった。

 彼は胸の中の面倒な気持ちを押し隠して、形だけの笑みを顔に貼り付けた。


「僕も忙しいので、お気持ちだけで結構です。次の相談者の方も待っていますし、そろそろ……」


 女性はそれでも諦める様子なく、ラウルの手を握った。


「私、神官様に一目惚れしてしまったみたいで」


 ラウルは失礼にならない程度にさっと彼女の手を振り解くと、きっぱりと答えた。


「僕には心に決めている女性がいるので、すみませんが、そのお気持ちにはお応えできません」

「まあ……」


 落胆した様子で帰って行く女性の後ろ姿を眺めながら、ラウルは、今度はふうっと大きな溜息を吐いた。


(最近、こういうことがよくあって、困ったものだな)


 ラウルにはあまり自覚がなかったけれど、彼は非常に綺麗な顔立ちをしていた。印象的なアーモンド型の強い瞳に、すっと通った鼻筋、薄く形の良い唇が、小さな顔にこの上ないバランスで配置されている。色白で陶器のように滑らかな肌に、艶のある黒髪をした彼は、神殿にやって来た時よりもさらにぐっと背が伸び、青年らしい色気も醸し出すようになってきていた。神殿に来た女性の相談者の前に彼が姿を現すと、依頼者が思わず彼に見惚れることも少なくなかった。


「僕は、カトリーナ一筋なんだけどな」


 そう彼が呟いた時、部屋の扉が開いてカトリーナが顔を覗かせた。


「ラウル、次の相談者の方がお待ちよ。お通ししてもいいかしら?」

「う、うん。ありがとう、カトリーナ」


 薄らと頬を染めたラウルを見て、カトリーナは不思議そうに小首を傾げてから、次の相談者を連れて来た。

 ラウルの次の相談者も、また年若い女性だった。高貴さの漂う上質な服を身に纏っている、目が覚めるような美貌の持ち主と、ラウルは至近距離で向き合っていた。


(また女性か。今度は、面倒なことにならないといいけど……)


 彼女がラウルを見て大きく目を瞠ったことに、彼は嫌でも気付かざるを得なかった。

 ラウルにとっては、どれほど若く美しかろうが、金持ちだろうが、カトリーナ以外の女性はまったく目に入らなかった。ぼろぼろだった自分を過酷な環境から救い出し、一人の大切な存在として認めてくれ、さらに神官になる道を拓いてくれたカトリーナには、感謝や尊敬を超えた深い愛情を抱いていた。そして、彼女と一緒に時間を過ごすほどに、ますます彼女に惹かれていっていた。

 そのため、相談者の女性らに言い寄られることは、彼にとっては迷惑以外の何物でもなかったのだ。

 けれど、目の前の女性がその直後に取った行動は、彼の想像の斜め上を行くものだった。


「ああ、やっと会えましたね、ラウル様!」

「……!?」


 遠慮なくがばっと彼女に抱き着かれて、ラウルは慌てて彼女の身体を自分から引き剥がした。


「な、何するんですか!?」


 目を白黒させるラウルに向かって、依頼者の美女は楽しげにふふっと微笑んだ。


「私のこと、思い出せませんか?」

「……は?」


 ラウルは訝しげに目の前の女性を見つめた。そもそも、ラウルの交友範囲はそれほど広いものではない。彼は実家ではずっと邪魔者扱いで、ろくな食事も与えられぬまま隅に追いやられていたから、実家にいた時に、高位貴族と思われる彼女に会ったとは考えづらかった。それに、神殿に来てからも、カトリーナや神官仲間と過ごす時間のほかは、神殿にやって来る依頼者の相談に乗る時間が大半だったために、ほかに誰かと会ったという記憶もあまりない。

 何より、頭の回転が速く記憶力に優れているラウルだったけれど、彼女の顔にはまったく見覚えがなかった。


「貴女とお会いするのは、初めてですよね?」


 ラウルがそう尋ねると、女性は残念そうに眉を下げた。


「あら、覚えていらっしゃらないのですね……」


 寂しげに息を吐いた女性に、ラウルは困惑気味に眉を寄せた。


「貴女と僕が会っていたとするなら、どこで出会ったのかを教えていただいても?」

「前世ですわ」


 自信に満ちた表情でそう言い切った彼女を見て、ラウルはぽかんと口を開けた。


「えっ」

「ですから、前世でお会いしているのです。私たち、将来を誓い合った仲でしたのよ」

「何を仰られているのか、さっぱりわからないのですが……」


 冗談めいた話し方でもされていれば、ラウルもまだ彼女の言葉を笑っていなせたかもしれない。けれど、真剣そのものといった彼女の表情に、彼は戸惑いを隠せなかった。一見する限り、女性は至極まともそうで、瞳に狂気が宿っている訳でもなければ、おかしな霊に取り憑かれている様子もなかった。それがますます、ラウルのことを混乱させていた。


「この王国の神官様の中でも、ラウル様は非常に優れた力をお持ちだと伺っておりました。だから、私に会いさえすれば、きっと私のことを思い出してくださると信じておりましたのに」

「……とりあえず、そちらにお掛けください」


 悲しげに俯いた彼女に、ラウルは何と言葉を返してよいかわからず、取り急ぎ机を挟んだ椅子を勧めた。彼女は勧められるまま、椅子に腰を下ろしながら続けた。


「私は、隣国のティリー公爵家の長女、ルミナと申します。代々、ティリー公爵家は星読みに優れた家系で、私も星読みの仕事の一端を担っております」


 そう言うと、ルミナは胸元から大振りのペンダントヘッドを取り出した。そこには、星の印が刻まれた、薄青色の宝石が嵌め込まれていた。


(確かに、隣国のティリー公爵家の星読みの話は僕も知っているし、このペンダントヘッドも本物のようだな。でも、彼女の言っていることは何なんだ?)


 ラウルは静かにルミナを見つめた。


「貴女は、何のために僕に会いにいらしたのですか?」

「今世でこそ、貴方様と結ばれるためですわ」


 ぎょっとしたラウルに、彼女は頬を染めながら微笑んだ。


「少し前、かなり変わった星の配置になったことがあったのですが、その時に突然、前世の記憶が私の頭に甦って来たのです。さらに星を読み解いたら、前世で生き別れになった貴方様も、同じ世に生まれているとわかって……。いても立ってもいられず、お迎えに上がりました」


 ルミナはうっとりとラウルを眺めた。


「前世と変わらず、お美しいお姿……。少し調べさせていただきましたが、貴方様は辛い幼少期をお過ごしになっていたご様子。私の夫としてお迎えした暁には、不遇でいらした過去を補って余りあるような、何不自由ない暮らしをお約束いたしますわ」

「すみませんが、僕にはそのようなつもりはありません」


 そうはっきりと言い切ったラウルを、彼女は必死になって見つめた。


「今世でこそ、私に貴方様を幸せにさせていただきたいのです。前世では、辛い別れを経験することになりましたが……」

「結構です。僕にはただ一人、想っている女性がいますから」


 ルミナの美しい顔が、みるみるうちに引き攣った。


「まあ。その方とは、もう将来の約束を?」

「いえ、まだそういう訳ではありませんが……」


 口籠ったラウルに、彼女は畳み掛けた。


「私こそが貴方様を幸せにできると、そう断言いたしますわ。だって、前世の私たちはあれほど愛し合っていましたし、今世でも赤い糸で結ばれているのですもの。でも、突然こんなことを言われて、戸惑われるのも理解できますわ。また機会を改めます」


 彼女はゆっくりと椅子から立ち上がった。


「次にお会いする時には、貴方様の記憶が戻られて、色よい返事がいただけることを期待しております」


 艶のある笑みを浮かべたルミナは、そのまま彼に背を向けて部屋を出て行った。

 扉が閉まる音を聞いてから、ラウルはどっと疲れが出るのを感じて、椅子の背にずるりと寄り掛かった。


「何だったんだろう、あの人」


 まるで嵐のように訪れ、そして去っていったルミナは、今までに来たどんな依頼者よりも強引で、彼の苦手なタイプだった。


(正直、もう会いたくはないけど。でも……)


 彼女が本当に隣国の公爵家の星読みだったとしたなら、彼女を冷たくあしらうことで、隣国との関係を悪くすることも避けたかった。そして、彼の第六感は、彼女が確かにティリー公爵家の長女なのだろうと告げていた。


「参ったなあ……」


 そう呟くと、彼は重い腰を持ち上げて、ふらふらと部屋の扉へと向かった。

 彼が扉を開けると、そこにはちょうどカトリーナの姿があった。


「カトリーナ!」


 ラウルの顔がぱっと輝く。


「カトリーナは、相談を受け終わったところ?」

「ええ。今、相談にみえていた方が帰られたところよ。ラウルも?」

「うん、そうだよ」


 そう言いながらも、疲れが顔に滲み出ているラウルを見つめて、カトリーナは心配そうに表情を曇らせた。


「大丈夫? 何だか、疲れているみたいね」

「……うん。ちょっとだけ」

「何かあったの?」


 カトリーナが依頼者を見送っていた時、ちょうどラウルがいた相談室から出て来たルミナと、彼女は鉢合わせていた。カトリーナは、ルミナを案内した時にもよそよそしさを感じていたけれど、ルミナが部屋を出て行く時にも、彼女から忌々しげに睨まれ、それからふいっと目を逸らされていた。

 ラウルはカトリーナをじっと見つめた。


「さっきの相談者が、かなり変わっていてさ。……ねえ、この後もし時間が空いていたら、少し話を聞いてもらってもいいかな?」

「もちろんよ。では、少し場所を移りましょうか?」

「ありがとう」


 二人は、神殿内の小さな控えの部屋へと移動した。カトリーナが淹れた紅茶の芳しい香りが、部屋中にふんわりと漂う。

 ことりと目の前に置かれた紅茶のカップに手を伸ばしながら、ラウルは口を開いた。


「カトリーナは、前世って存在すると思う?」


 予想もしていなかったラウルの言葉に、彼女は目を瞬いた。


「私には、よくはわからないけれど……否定はできないと思うわ」

「そっか」


 呟くようにそう言ったラウルは、溜息混じりに続けた。


「さっき来ていた相談者の女性から、前世で僕と会ったって言われたんだ。そんなことを言われても、僕は全然ピンと来なくて。でも、彼女は隣国の星読みらしくて……」

「もしかして、ティリー公爵家の?」

「うん。少なくとも、彼女は自分ではそう言っていたよ」

「そう」


 思案気に目を伏せたカトリーナに、ラウルは続けた。


「前世からの縁とか、今世への影響とか、そういうことってあったりするのかな?」

「そうねえ。私には何とも言えないけれど、何を信じて、自分の運命をどう切り拓いていくのかは、自分次第なんじゃないかしら。仮に前世の縁があったとしても、ね」

「そうだよね」


 ラウルはルミナの言葉を思い返しながら、ぽつりぽつりと言葉を続けた。


「さっきの相談者から言われたことは、僕にとって全く望ましくないことで。でも、何かを思い出しそうな、そんな揺らぎも自分の中に感じて、何だか気味が悪かったんだ」


 ルミナの夫になる気など、ラウルにはこれっぽっちもなかったし、彼女に赤い糸で繋がっていると言われた時、彼ははっきりと嫌悪感を覚えていた。けれど、彼女の話を聞いて、自分の意識の奥がどこか揺さぶられたような気もしていた。


(もしも本当に赤い糸があるのなら、今世ではカトリーナと繋がっていればいいのに)


 赤い糸という言葉を聞いて、彼の頭に真っ先に浮かんだのはカトリーナの姿だった。

 カトリーナは慎重に言葉を続けた。


「あなたの相談者が帰って行く時、私も彼女を見掛けたの。これは私の感覚なのだけれど……貴方が彼女から聞いた言葉にはきっと、『真実と嘘が混じっている』わ」


 帰りがけにルミナがカトリーナから目を逸らした時、彼女がどこか後ろめたそうにしていたことを、カトリーナは敏感に察知していた。けれど、彼女の思い詰めたような表情からは、全てを嘘で塗り固めているとも思えなかったのだ。


「真実と嘘、か。カトリーナがそう感じたっていうことは、その通りなんだろうな」


 相談を受けてから、珍しく動揺に瞳を揺らしているラウルを落ち着かせるように、カトリーナは温かく微笑んだ。


「大丈夫よ。あなたの人生は、あなたの手の中にあるのだから。私は、ラウルが望む道を歩んで行けることを願っているし、それが叶うと信じているわ」


 ラウルの表情が、ふっと緩んだ。


「ありがとう。カトリーナにそう言ってもらえて、何だかほっとしたよ」


 目の前にいる誰より大切なカトリーナに、ラウルは感謝を込めて笑いかけた。

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