第22話 トムの願い(後編)

 カトリーナが、トムの手に返した手紙の文面を示しながら、彼女が読み取ったエリーからのメッセージを説明すると、彼はみるみるうちにその瞳を潤ませた。


「これは偶然そう読めるのではなく、本当に……?」

「ええ。間違いありません」

「エリー、君は……」


 トムが手紙を握る手に、ぎゅっと力が籠る。カトリーナは改めて彼はを見つめた。


「トム様、できる限り急いであのお屋敷に戻られた方がよさそうです。……エリー様はまだ、あのお屋敷にいらっしゃるのですよね?」

「はい、さっき僕があの屋敷を訪れた時の、彼女の義母が僕を追い返そうと苛立っていた様子から察するに、まだいるはずです」


 頭を下げたトムは、すぐに駆け足でエリーのいる屋敷へと向かって行った。


 カトリーナも、急ぎ神殿に戻って神官服へと着替えた。神官という立場は、この国では大きな力を持っているからだ。彼女の頭には、さっきトムが手にしていた手紙を読んだ時に感じた、送り主であるエリーの切実な想いがよぎっていた。


 手紙に込められていたエリーからのメッセージを、カトリーナは正しく読み解いていたけれど、神官である彼女には、今回エリーが書いた手紙を手にした瞬間から、書き手の祈るような必死な想いがひしひしと伝わってきていたのだった。


(あの切迫した感じからすると、恐らくは、もう彼女の結婚まであまり時間がないはずだわ)


 トムから渡された手紙に書かれていたのは、確かに几帳面で綺麗な字ではあったものの、所々が震え、掠れていた。

 慌てて神殿を出ようとしていたカトリーナの姿に気付いたラウルが、不思議そうに首を傾げた。


「どうしたの、カトリーナ? そんなに急いで」

「ラウル! ちょうどいいところに来てくれたわ。ちょっと手を貸してもらっても?」


 カトリーナから、かいつまんで事情を聞いたラウルの口元が、ふっと綻んだ。


「なるほど、そんなことがあったんだ。……もちろん協力するよ、カトリーナ」


***


 自室にいたエリーに、義母から声が掛けられた。


「侯爵家からの迎えの馬車が来たわよ。さっさと乗りに行きなさい」


 エリーはその美しい瞳を揺らすと、唇を噛んで義母の言葉に俯いた。

 ここしばらくというもの、彼女は家の中でほぼ軟禁されている状態だった。少し前からトムからの手紙が途絶え、不安に感じるのと同時に、何か引っ掛かるような違和感を覚えていたところ、エリーは義母から、ずっと年上の侯爵に嫁ぐことになったと知らされたのだ。

 家から逃げ出そうとしていたところを義母に見つかり、それからは、再び家を抜け出すことがないようにと厳しく監視されていた。


 どうやら先方とは金で結婚の合意がなされたようで、家の財政状態は良くないはずだというのに、時折エリーの部屋にやってくる義母が身に着けている服やアクセサリーは、毎回のように新調されていた。

 父も異母弟も異母妹も、エリー一人の我慢で家が窮地を脱するならと、見て見ぬふりをしているようだった。


(トム……)


 かつて将来を誓い合っていたトムの姿が思い浮かび、エリーの瞳には涙が滲んだ。


 ついさっき、彼がこの屋敷を訪れていると聞いて、エリーは天にも昇るような気持ちになっていたけれど、義母から聞かされたのは、早く嫁ぎ先が決まったことを彼に伝えるようにという残酷な言葉だった。


 エリーが首を横に振ると、彼女の頬には容赦なく義母の平手が飛んだ。床へと倒れ込んだエリーに、義母は冷たく言い放った。


「これからあなたが嫁ぐことを、あなたから彼に伝える気がないなら、私が代わりに伝えておくわ」


 義母の険しい表情に、エリーはびくりと肩を竦め、せめてトムにもう一度会わせて欲しいと懇願した。けれど、義母はもう首を縦に振ってはくれなかった。青ざめた彼女は義母へと縋った。


「ならせめて、トムに手紙だけでも渡してはいただけませんでしょうか」


 エリーは急いで筆を取ると、震える手で便箋に少しずつ書きつけていった。義母が内容を確認してからトムに渡すことはわかりきっていたので、エリーは本当のメッセージは隠していた。


 義母は、考え考え筆を進めるエリーに苛立っていた様子だったものの、彼女が書き上げた手紙の文面を見て満足そうに鼻を鳴らすと、手紙をトムに渡すために階下に降りて行った。


(トムが、私のメッセージに気付いてくれますように……)


 エリーは、トムが自分を迎えに来てくれたのか、それすらもわからない状況ではあったけれど、祈るような思いで彼への手紙を綴っていた。鋭いトムの目に留まるようにと、あえて誤った日付を書きつつも、義母には見過ごされる程度の些細な違いに留めていた。


 密かに込めたメッセージにトムが気付いてくれることを願って、手紙の内容を思い返していた彼女の耳に、義母の怒鳴り声が響いた。


「何しているの、さっさと来なさい!」


 義母に引き摺られるようにして、エリーは家の外へと連れ出されると、玄関前に横付けにされていた大きな馬車の中へと押し込まれようとしていた。


「お願いです、お義母様、待ってください!」

「まったく、うるさいわね……!」


 叫び声を上げて必死に抵抗するエリーに、義母は使用人を呼んで猿ぐつわを噛ませ、両手を後ろ手で縛らせると、馬車の中に彼女を放り込んだ。エリーの瞳には涙と共に絶望が滲んだ。


 その時、エリーの耳に懐かしい声が響いた。


「エリー、エリーはどこですか? 彼女に会わせてください!」


(トム……!!)


 トムの声を間近に聞いて、エリーの瞳からは涙が零れ落ちた。義母の大きな溜息が、彼女の耳に届く。


「もう、エリー本人からの手紙でもお伝えしたでしょう? あの子は嫁ぐことが決まっているのだと。もうお引き取りくださらないかしら」

「お願いです、どうしても彼女に会わせて欲しいのです」


 必死にそう言い縋るトムを、エリーの義母は冷ややかに見つめた。


「それはできないと言っているでしょう。エリーの気持ちは、もう貴方にはないのです。これ以上ここに留まられるというのなら、誰か人を呼びますよ?」


 もうエリーの気持ちは貴方にはないという言葉に、トムの心は一瞬不安に揺れたけれど、彼の耳には自信に満ちたカトリーナの言葉が蘇った。


『エリー様の心が貴方様の元にあると信じて』


 彼は家の前に止まっている馬車の横で、はっきりとエリーの義母に対して告げた。


「彼女に会わせてくれるまでは、ここを動きません」


 トムの言葉に、エリーの義母は小さく舌打ちをした。しばらくトムと睨み合う格好になっていた彼女の耳に、彼のさらに背後から凛とした声が響いた。


「失礼ですが、少々お話を伺えませんでしょうか」

「……どうして、神官様がこんな所に?」


 エリーの義母の顔に、戸惑いが浮かぶ。そこには、神官服を纏ったカトリーナの姿があったからだ。その横には、同じく神官服を着たラウルの姿もあった。トムも驚いた様子で、カトリーナの姿に目を瞠っていた。


「貴女様は、神官様でいらしたのですね……」


 この国では、神官は貴族よりも位が高く、特別な地位を与えられている。それは、神官が民のために尽くすことと表裏ではあったけれど、そんな神官が自分の家に来ていることに、エリーの義母は困惑を隠せない様子だった。


 彼女は作り笑顔を貼り付けると、カトリーナを見つめた。


「私には、何もやましいことはございません。義理の娘がこれから嫁ぐところなのですが、彼女の幼馴染に当たるこの方が、先程からここで騒ぎ立てていて困っているのです」


 カトリーナはトムに向かって小さく頷くと、エリーの義母に向かって口を開いた。


「そのご結婚は、貴女様の義理の娘に当たる方の合意の下でなされると、そう考えてよろしいのでしょうか? 貴女様もご存知の通り、本人の意に沿わない結婚を無理強いすることは、この国では認められてはおりませんが」

「それは……もちろんですわ」


 エリーの義母の喉が、緊張気味にごくりと動いた。彼女の瞳が揺れ、その視線がちらりと馬車へと動く。


 彼女の視線の向いた先に目ざとく気付いたカトリーナが、ラウルにそっと目配せをすると、頷いた彼は素早く目の前の馬車の横に移動して、その扉を開けた。


「し、神官様。いきなり何をなさるのです!?」


 エリーの義母は、扉を閉めようと急いで足を踏み出したけれど、トムは既に馬車の中の人影に気付いていた。

 彼の瞳が、みるみるうちに大きく見開かれる。


「エリー!!」


 猿ぐつわを噛まされ、両手を縛られて涙を流すエリーの姿を捉えたトムは、すぐさま馬車へと飛び込んで、彼女の猿ぐつわと両手の紐を解いた。エリーはトムに力いっぱい抱き着いた。


「トム……来てくれたのね」

「ああ、君を迎えに来たんだ。こんな目に遭わせてしまうことになって、すまなかった。もっと早く君を助け出せていたなら……」


 涙を流して抱き合う二人を見つめて、カトリーナとラウルは微笑み合うと、真っ青な顔で立ち尽くしていたエリーの義母に視線を移した。


「自ら結婚を承諾している方が、あんな状態で馬車に乗っているはずがありません。……然るべき罪を償っていただくことになりますが、おわかりですね?」


 ラウルの言葉に、彼女は膝から崩れ落ちた。

 屋敷の塀の外では、カトリーナからの依頼を受けたアイザックが、騎士団の部下を引き連れて待ち構えていた。


***


「カトリーナ、無事に解決してよかったね」


 ほっとしたように笑ったラウルに、カトリーナも笑みを返した。


「ええ、本当ね。ラウルも、付き合ってくれてありがとう」

「アイザックさんが駆け付けるのも、随分と早かったね?」

「そうね。まさか、この件に彼自ら来てくださるとは思わなかったわ」


 カトリーナは、神殿を出る前にちょうど出くわしたアイザックに、警察の役割を担う騎士団の助力を依頼していた。

 自ら部下を率いて早速現場に駆け付けたアイザックは、エリーの義母を連行するよう部下に告げると、エリーの異母兄妹や父にも、事情聴取のために同行を依頼していた。神官に加えて、騎士団長まで家を訪れたことに震え上がった彼らは、すぐに首を縦に振っていた。

 カトリーナに向かって、アイザックがどことなく甘い笑みを送っていたように感じたラウルは、複雑な表情を浮かべていた。


「彼、カトリーナには甘いのかなあ……」

「気のせいよ。妹君のフィオナ様の一件があったから、好意的に協力してくださったのだと思うわ」


(他人のことになると鋭いのに、カトリーナは、自分に向けられる好意には絶望的に鈍いからなあ……)


 何も気付いていない様子のカトリーナに、ラウルは軽く苦笑していた。

 神殿へと戻る道すがら、彼は手にしていた手紙に視線を落とした。


「ところで、この手紙、あのトムさんていう人のポケットから風で飛んで来たんだけど、返した方がよかったかな? 邪魔しちゃ悪いかなと思って……」


 ラウルは、ひしと抱き合って涙を流すトムとエリーの姿を思い出していた。カトリーナは首を横に振った。


「……きっと、もう要らないと思うわ。トム様も、今頃はエリー様から直接お気持ちを聞いていらっしゃることでしょうから」


 手にした手紙を見つめて、ラウルは瞳を瞬いた。


「この手紙、確かにエリーさんの想いは感じられるんだけど、カトリーナはどうやってこれを読み解いてトムさんに伝えたの?」

「ふふ、それはね……」


 今までにも、カトリーナは幾度か同じようにメッセージを隠した手紙を目にしたことがあった。手紙に数字が示されている場合、そして、その部分が何かしら強調されている場合ーー今回は、あえて注意を引くため日付を誤らせていたーー、それは時として単純な読み方を示唆していることがあったのだ。


「日付の数字が、七つ記されているでしょう? 本文も七行。行頭から数えてその数字に当たる文字を、上の文章から当てはめて読んだの。例えば、一行目は左から四番目で『と』よ」

「へえ。それぞれの行の4・3・1・1・2・2・3番目の文字を繋げると……『とむあいしてる』か。なるほどね」


 カトリーナは、まるで彼女に助けを求めるかのように、公園で彼女の元へと飛んで来た手紙を温かな瞳で見つめた。そして、トムが涙を流しながら腕の中のエリーに浮かべていた嬉しそうな笑みを思い出していた。

 二人の性格的な相性はこの上ない。彼らの明るい未来が開けてくる様子が目に浮かぶのを感じて、カトリーナはにっこりと笑ったのだった。

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