第9話 モニカに残された手紙(前編)

 カトリーナの姿を認めて、屋敷から走り出て来たモニカは、級友との再会を喜んで、彼女の両手をぎゅっと握った。


「カトリーナ! 会えて嬉しいわ。わざわざ私の家まで足を運んでくれて、どうもありがとう」


 モニカとカトリーナは、元々学園の同級生だった。どちらかというと控えめなタイプであったカトリーナに対して、モニカは誰に対してもはっきりと物を言うほうだったけれど、二人は妙に馬が合ったこともあり、在学中から気のおけない友人同士である。


「モニカ、久し振りね。……でも、どうしたの? 酷い隈ができてるわ」


 明らかに憔悴した様子の見えるモニカに、カトリーナの顔には気遣わしげな表情が浮かぶ。

 モニカは力なく笑った。


「そうなの。最近、よく眠れなくてね。……実は、ちょっと相談に乗ってもらいたいことがあるのだけれど、いいかしら?」

「ええ、もちろんよ」

「詳しいことは、また後で説明するわね。さあ、まずは中に入って」


 カトリーナは頷くと、モニカについて屋敷の中へと入って行った。


***


 カトリーナはモニカに案内されて、応接間のソファーへと腰を下ろすと、持参していた手土産を彼女に手渡した。


「これは、気持ちばかりだけれど。ハーブティーの茶葉よ。神経を落ち着ける効果があって、寝る前に飲むとよく眠れるから、よかったら試してみて」


 モニカはにっこりと笑って、カトリーナから手提げ袋に入った茶葉を受け取った。


「……相変わらず、カトリーナはさすがね。まるで、遠くから私の心を読んでいるみたい。実はね……」


 彼女は小さく溜息を吐いた。


「私、婚約者に駆け落ちされちゃって……」

「ええっ?」


 モニカの言葉に、カトリーナも驚いて目を瞠った。苦笑した彼女は、力なく続けた。


「急なことで、私も仰天したわ。しかも、予定よりも前倒しで結納の日が決まった直後よ。彼は、そういう人ではないと思っていたのだけれど……。この前、一通の手紙だけを残して、突然姿を消してしまったのよ」


 モニカは、書き物机の上段の引き出しから、一通の封筒を取り出した。

 封筒の表には「モニカへ」とあり、その裏側には「ドレイクより」と書かれている。


 封筒の中から、モニカは一枚の便箋を取り出すと、目の前のテーブルの上に置いた。


「これが、彼から私に残された手紙なの」


 カトリーナは頷くと、静かにその便箋に目を落とした。


『明日には、僕はもう隣国にいる。

 にわかには信じられないだろうが、この手紙

 をもって、僕との婚約は破棄して欲しい。

 類稀なる清らかな女性と出会ったんだ。

 素晴らしい人で、心を奪われてしまった。

 けれど、君を傷付けてしまってすまない。

 手紙を残すことしかできない僕を許してくれ』


 カトリーナが便箋の内容を読み終えて視線を上げると、モニカは、少し躊躇ってから口を開いた。


「読んでもらった通り、なのだけれど。私の婚約者だったドレイク様は、他に好きな女性ができて、隣国に駆け落ちしてしまったみたいなの」

「……彼は駆け落ちを?」

「ええ。彼とは家同士の、少し特殊な事情の婚約でね。お互いに、恋愛感情というよりも、家の事情に基づく合意の上での婚約だったの。でも、それなりに婚約期間も長かったし、少なくとも親愛の情は育っていると思っていたわ。まあ、彼とは歳も六歳離れているし、落ち着いた兄のようなものだったけれどね」

「特殊な事情っていうのは?」


 カトリーナの問いに、モニカは頷くと続けた。


「ドレイク様の家は、昔から何人も名のある騎士を輩出している侯爵家なのだけれど、戦場で多くの人の命を奪ったからか……特に、竜使いの一族との戦いに勝利した話なんかは有名ね……、時々、家系に呪いを受けた子が生まれると言われているの。カトリーナは、知っているかしら?」

「ええ、話としては聞いたことはあるわ」

「私の祖先には、聖女と呼ばれる女性がいたらしくて。彼の侯爵家に身体の弱い男児が生まれると、私の家系から妻を娶ることで、その呪いを癒してきた、なんて言われているのよ。……もう、随分と昔の、迷信のような話だと思うけれどね」

「そうだったのね」


 思案気な表情を浮かべたカトリーナは、相槌を打ちながら、モニカの話にじっと耳を傾けていた。


「彼の家と私の家はそれなりに繋がりが深いこともあって、結局、少し身体の弱かったドレイク様と私の婚約が調ったの。まあ、貴族の結婚なんてほとんどが家同士の事情によるものだし、特にこの婚約自体に疑問は持っていなかったわ。……あと、今回の婚約にもう一つ変わった事情があるとすれば、私が姉の身代わりに婚約したということかしら」

「身代わりって、どういうこと?」


 カトリーナが首を傾げると、モニカは苦々しい表情を浮かべた。


「実はね、元々は、私ではなくて歳の離れた姉が、彼の家に嫁ぐ予定だったのよ。けれど、婚約の話が出た時に、姉は駆け落ち同然で家を飛び出してしまったの。その時のことは、私もあまり覚えていないのだけれど。それで、玉突きで、私が彼の家へと嫁ぐことになったのよ。でも、別に私には特段嫌がる理由もなかったし、そのまま婚約を受け入れたわ」

「そんな事情があったのね。知らなかったわ……」

「まあ、学園でも誰にも話していなかったしね。……姉も駆け落ちで、ドレイク様も駆け落ちだなんて、姉のしたことが、巡り巡って私に返って来たのかしらとか、これでも色々考えたのよ。ドレイク様に特別な恋愛感情はなかったとはいえ、私がそれほどに至らなかったのかしら、とかね。さすがに、婚約者に駆け落ちなんてされたら落ち込むじゃない?」

「それもそうよね……」


 眉を下げたカトリーナに、モニカは残念そうに息を吐いた。


「こんなことになるなら、今までにもっと、片想いでもいいから恋をしておけばよかった。ドレイク様には、さっきも言った通り、別に恋していた訳ではないの。でも、婚約者がいると思うと、他の男性を見る気にはなれなかったの」

「そういうところは、根が真面目なモニカらしいわね」

「あーあ。小説で読むような大恋愛とか、今更だけど憧れるわ。婚約者が急に駆け落ちなんて、私はもう傷物扱いされるだろうから、まともな縁談もきっと望めないだろうし。……そうそう、それからね」


 モニカは、手にしていた先程の封筒を逆さまにして振った。すると、青色と銀色が混ざったような、薄く輝く、半透明の小さな物体が転がり出て来た。親指の爪を二回りほど大きくしたようなそれは、光を受けると時折虹色が混ざる。


「それは……貝殻? ……それとも、何かの鱗かしら?」

「私にも、さっぱりわからないのよ」


 モニカは肩を竦めると、その物体を掌に乗せた。


「便箋と一緒に、封筒に入っていたのだけれど。別れの品にしては、随分と変わっているわよね。ただ、不思議なのだけれど、どこかで見たことがあるような気もするの。この物体といい、さっきの手紙といい、何となく引っかかるというか、胸がもやもやするような、何かを思い出しそうな感覚もあるのだけれど、それが何だかわからなくて」


 彼女は、自らの掌からカトリーナに視線を移した。


「それで、もしカトリーナに手を貸してもらえたらって思ったの。……無茶なお願いなのは自覚しているけれど、何かわかることはあるかしら?」


 カトリーナはしばらく目の前の手紙を見つめてから、口を開いた。


「その、モニカの婚約者だったドレイク様には、ご兄弟はいらっしゃるのかしら?」

「えっ。私の知る限り、いないと思うけれど……」


 面食らったように目を瞬くモニカに、カトリーナは続けた。


「そう。……モニカ、あなた、ドレイク様の家にはよく行っていたの?」

「ええ。彼に会う時は、大抵は彼の家に招ばれていたわ」

「例えば……そうね。入ってはいけないとか、近付いてはいけないとか、そんな風に言われるような場所って、彼の家にはなかった?」

「カトリーナ、どうして知っているの!?」


 モニカは大きくその瞳を見開いた。


「確かに、そんな場所があったわ。二階の奥の突き当たりにある部屋が、物置代わりに使われているみたいで、雨戸も閉め切りだったの。お化けが出るから近付くなって、昔、彼の家の執事に言われたわ。一度、怖いもの見たさで扉を開けかけたこともあったのだけれど、薄暗いその部屋からなぜか物音が聞こえて、怖くなって逃げ出して。それっきり近付いてはいないわ」

「なるほどね。……ところで、少しそれを見せてもらえるかしら?」


 カトリーナは、モニカが持っていた、青と銀に虹色が溶け込んだような、半透明の薄いガラスのような物体を受け取ると、静かに自分の手の上に乗せた。


「モニカ、これを見てどう思う?」

「……そうねえ、きらきらして綺麗だなって思うわ。これも何か、関係があるの?」


 カトリーナがふっと笑みを溢した。


「ふふ。少し話が脱線するけれど。こんなことがあったのに、意外かもしれないけれど、モニカの恋愛運は、実はとても恵まれた時期に入っているわ。運命の出会いも、そう遠くないうちに訪れるんじゃないかしら」

「えっ、本当に……?」


 モニカの瞳に驚きの色が浮かぶ。カトリーナは微笑みながら頷いた。


「それから、モニカには『直感を信じて』欲しいの。きっと、あなたなら大丈夫だと思うわ。それからね、あなたに幸運を呼ぶ場所は、さっきあなたが言っていた、立ち入り禁止の部屋よ」

「えっ、ドレイク様の家の……?」

「ええ、そうよ」


 モニカは不思議そうにカトリーナを見つめた。


「今度、今回のドレイク様の件で話し合いをするために、最後にもう一度あの家にお邪魔することになっているのよ。でも、何だか謎かけみたいね。カトリーナ、いったい、どういうことなの? できれば、少し種明かしをしてもらえないかしら」

「私も、感じたことを繋ぎ合わせた部分も多いのだけれど。でも、そうね……」


 瞳に輝きが戻り、彼女らしい明るさを取り戻したモニカの前に、カトリーナは改めてドレイクからの便箋を広げた。

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