第4話 ジュリアは破談を望む(後編)

 商会の建物の前で、笑顔で女性と声を交わして別れるダグラスの姿を見掛けたルーファスは、兄に駆け寄った。ダグラスとはまたタイプの違う、誠実さの滲み出るルーファスの端正な顔立ちが、苦々しく歪められている。


「兄さん、今までどこに行ってたんだい? 今の時期、みんな忙しく働いているのはわかっているだろう? それなのに、……兄さんは婚約者がいるというのに、女性と二人で、あんな笑顔を浮かべて」


 眉を下げたルーファスは、兄に向かって諭すように言った。


「もしジュリア様がそんな兄さんを見たら、どんなに悲しむか……」

「ああ、ジュリアにはついさっき会ったよ。さっきの彼女と二人でいる時に、ばったりとね」


 こともなげに言うダグラスに、ルーファスは思わず声を荒げた。


「何だって!? ……ジュリア様のような素晴らしい婚約者がいながら、なぜ、兄さんは彼女を傷付けるようなことばかりするんだ……」


 口調に怒気を滲ませるルーファスに、ダグラスはふんと鼻を鳴らした。


「お前は、いつも兄である俺ではなくてジュリアの味方をするんだな。……何だ、嫉妬か?」

「……」


 言葉を詰まらせて硬い顔をしたルーファスに、彼はにっと笑った。


「お前こそ、兄の婚約者に対してそんなにのめり込まないことだな。ジュリアは、俺のものなんだから」


 ルーファスは一呼吸置いてから、声を落としてダグラスに言った。


「兄さんの最近の行動は、さすがに目に余るよ。ジュリア様が、これから兄さんを支えるために、うちの仕事の流れを覚えようと必死に努力していることは知っているでしょう? ……もう少し、ジュリア様を大切にした方がいいよ」

「余計なお世話だ」

「でも、兄さんはジュリア様にあんな態度を取っているけれど、本当は彼女のことが好きなんでしょう? それなら、尚更だよ。兄さんを見ていたらわかるよ。だって、兄さんが連れている女性は、皆決まって……」

「お前には関係ない」


 機嫌を損ねた様子で商会の建物に入って行く兄の後ろ姿を見送りながら、ルーファスは深い溜息を吐いた。


***


 ダグラスは苛立ちを隠せずに口角を下げたまま、ポケットに両手を突っ込んで廊下を歩いていた。


(まったく、どいつもこいつも……)


 つい先程ルーファスに掛けられた言葉は正論だとわかっているだけに、余計にダグラスの癪に触った。


 働き者でよく気が付き、覚えも早いジュリアを見初めたのは、元々ダグラスだった。ひたむきで一生懸命、そして何より明るい笑顔が印象的な、取引先の担当者だったジュリアがダグラスの心を虜にするまで、そう時間は掛からなかった。


 そんなダグラスに諸手を挙げて賛成したのは、彼の父だった。ダグラスは、ジュリアとの家格の相違を反対されるかと懸念していたものの、それは杞憂だったばかりか、しっかり者のジュリアを、父も大層気に入った様子だった。


 それは勿論、ダグラスにとっても喜ばしいことだった。……ジュリアとの婚約が決まった当初においては。


 けれど、次第に、ジュリアの優秀さがダグラスにとってはプレッシャーになった。ダグラスの父も、ジュリアの話題になると決まって、「ジュリアがダグラスを支えてくれるなら、この商会も安心だ」と口元を綻ばせた。それは、ダグラスにとっては、彼だけではこの商会を任せるには心許ないと言われているに等しいように思われた。

 そして、頭の切れるダグラスの弟のルーファスは、ダグラスよりも敏腕で人望も厚いことを、彼も認識していた。さらには、後継としては、ダグラスよりもルーファスの方が相応しいのではないかと商会の中で囁かれていたことも。


 そんなルーファスが、ジュリアのことを嬉々として手助けし、彼女の勤勉さや有能さを賞賛することが、ダグラスには面白くなかった。そして、ジュリアがルーファスの助言に素直に喜び感謝する様子に、ダグラスの心はじりじりとするような焦燥を覚えていた。


 ダグラスも、そこで逃げずに正面から仕事に取り組むべきだったのだろう。けれど、彼は、そんな現実を直視することを避けるようになった。そしてジュリアを愛してはいながらも、彼女に対する鬱屈した想いから、彼女に当て付けるかのように、女性を連れ歩くようになったのだった。


 ダグラスが選ぶ女性は、そんな彼の想いを反映するかのように、皆、どこかがジュリアと似ていた。その瞳が、鼻筋が、髪色が、……似ている場所は様々だったけれど、その何かがジュリアを彷彿とさせた。


 そんな女性をダグラスが親しげに伴っているのを見る度、ジュリアが苦しげに、微かに顔を歪めるのを見て、彼はようやく溜飲を下げるのだった。


***


 得意先への納品を終えて商会に帰って来たジュリアは、その足でダグラスの元へと向かった。


「ダグラス様?」

「どうしたんだい、ジュリア。怖い顔をして」


 仕事もせずに女性と二人きりでいた時に出会しているというのに、何でもないように平然とした顔をするダグラスに、ジュリアは顔が引き攣るのを感じながら、淡々と言った。


「……もう、次はありませんから。よく、お気をつけてくださいね」


 それだけを言い残すと、ジュリアはすぐに踵を返してダグラスの前から去っていった。

 彼はジュリアの背中を見送りながら、忌々しそうに目を眇めた。


(ジュリアは、俺が選んだんだ。……幾らでも、俺にはたくさんの選択肢がある中から。仕事ができるからと言って、そう思い上がられては困るな。……まあ、それでも)


 先程、ダグラスが連れていた女性から受け取った婚約指輪のデザイン画が、彼の手の中にあった。


(これが出来上がったら、きっと彼女も機嫌を直してくれるはずだ)


 ダグラスは、満足気に、先程打ち合わせをした指輪のデザイン画を眺めた。


 ジュリアと仕事での接点を避けるようになってから、仕事に追われる彼女の気を引くことは、他の女性を連れることくらいでしか出来なかったし、以前に一度、憔悴した様子の彼女から婚約解消を打診された時は、さすがに焦ったものだった。この時ばかりは、家格と立場の違いに助けられていた。


 彼女は遠くない将来、結婚によってダグラスのものになるのだ。そして、彼は、今の状況にあってもなお、ジュリアがまだ自分を想っていると信じていた。……婚約当初に自分が贈った薔薇の香水を、決まっていつもその身に纏い、ダグラスが見知らぬ女性といると、辛そうな表情を見せるのだから。

 ジュリアの嫉妬を指輪で宥めて、彼女との仲を修復したら、今度こそは彼女を大切にしようと思っていた。


(彼女の誕生日までには、きっと間に合わせられるだろう)


 ジュリアが指輪を受け取って喜ぶ様子に思いを馳せる一方で、この時、妙に重く耳に残ったジュリアの言葉を、後日、ダグラスはまざまざと思い出すことになる。


***


 ジュリアは、自らの誕生日パーティーを落ち着かない気持ちで迎えていた。


 今日という日のために、ダグラスが彼女にあつらえてくれたドレスで珍しく着飾っているのに加え、彼女のエスコートのために彼がジュリアの側にいるのも久し振りのことだった。


「ジュリア、その深緑色のドレス、君の瞳の色とも合っていて、とても良く似合っているよ。まるで絵画の中から抜け出てきたようだ」

「……ありがとうございます」


 柔らかな表情でジュリアの腕を取り、普段よりも熱い視線を彼女に向けるダグラスの甘い言葉に、ジュリアは、出会ったばかりの頃の彼を思い出して、多少なりとも頬に血が上るのを感じた。


 いつものダグラスの、彼女に対する態度を忘れた訳ではない。けれど、カトリーナに言われてもとても信じられずにいた、彼がジュリアを本当は愛している、という言葉が、今日の彼の態度からはあながち嘘ではないようにも感じられた。

 ジュリアは、満足そうに優しい微笑みを彼女に向けるダグラスを見ながら思った。


(彼が私のことを好きだというのは、本当なのかしら? もしもそうなら、彼とやり直して、これから上手くやっていくことも、できなくはないのかしら……?)


 誕生日を迎えたジュリアと、その婚約者であるダグラスに、パーティー会場である彼の家の大広間に集まった多くの友人たちや、商会の関係者が、挨拶や祝福の言葉を告げに訪れる。


 和やかな談笑の時間が続き、半信半疑だったジュリアの胸にわだかまっていた思いが、ほんの少しずつ溶けようとしていた、その時だった。


 ジュリアの胸から、一瞬ですっと熱が引いた。

 それは、ダグラスがつい先日連れていた女性を、パーティーの会場に見つけたからだ。


 ジュリアは、彼女をエスコートしていたダグラスの腕からするりと抜け出すと、こわばった声で小さく彼に尋ねた。


「……どうして、彼女がここに?」


 ジュリアがちらりと見た視線の先にいた、指輪のデザイナーの女性を見て、ダグラスが微かに笑った。


「君への指輪を作るための協力者だ、せっかくだから招いたんだよ。遅くなったけれど、後で、その婚約指輪を君に……」


 冷え切った表情のジュリアは、最後までダグラスの言葉を聞いてはいなかった。ジュリアは、ダグラスが、彼女がデザイナーの女性を見て凍りつく様子に、どこか優越感を瞳に浮かべているのを感じ取ったからだ。目が合ったのに気付いたのであろう、その女性がダグラスの方へと近付いて来る。


(やっぱり、私には耐えられないわ)


 ぱっと身を翻したジュリアは、彼女を心配そうに見つめていたルーファスをその視界に認めると、彼の方へと急ぎ足で歩いていった。


***


(このくらいのことで、何だっていうんだ)


 ダグラスは、近付いて来たデザイナーの女性を軽く躱してから、楽しそうにルーファスとグラスを傾けながら話し込むジュリアを、歯噛みするような思いで見つめていた。

 ダグラスの思う「このくらい」のことが、どれ程ジュリアを傷付けたかなど、思い至らぬままに。


(確かに、彼女をこの場に招いたのは、軽率だったのかもしれないが……)


 それは、ジュリアが嫉妬に駆られる様子を最後にもう一度くらい見ておきたいという、ダグラスの屈折した心が招いた行動でもあった。


 彼には、ジュリアがこれから義弟になるルーファスと話す姿の方が、自分と話す時よりも心を開いているように見えた。

 今まで、ジュリアを表に裏に支えていたルーファスに、彼女が親しみを込めた明るい笑顔を浮かべるのは当然のことだったけれど、そんな彼女の姿はダグラスの心を抉った。


 苛立ちと落胆に任せて、一人で片端から強い酒の入ったグラスを呷っていたダグラスの姿は、いつの間にかパーティー会場から消えていた。

 そして、そんなダグラスの様子に薄く口角を上げ、彼を追い掛けて行った女性の存在に気付いた者は、その場にはいなかった。


***


 パーティーが始まってしばらくして、ダグラスの父親が会場に姿を現した。彼は微笑みながら、ルーファスと一緒にいたジュリアに手を差し出した。


「やあ、ジュリア。誕生日おめでとう。楽しんでいるかな? 遅れてしまって悪かったね、急な商談が入っていたんだ。ところで」


 ダグラスの父親はきょろきょろと辺りを見回した。


「ダグラスはどこにいるのか知っているかい? そろそろ、君たちの結婚について、この場で改めてお披露目しておきたいのだが」


 彼の言葉に、思わずジュリアとルーファスは目を見合わせると、同じく会場内を見回した。けれど、どこにもダグラスの姿が見えない。


 ダグラスの父親が、近くにいたメイドに、ダグラスの自室を確認するように伝えるのを聞きながら、ジュリアはカトリーナの言葉を思い出していた。


 ダグラスがいるべき場面で見当たらなかったら、急いで彼を探すようにと、そう言ってはいなかっただろうか。


(彼女の言葉には、無視できない真実味があったように思えたわ)


 突拍子もないようにも聞こえたカトリーナの言葉は、何を言っているのだと、軽く笑って流してしたとしてもおかしくはなかっただろう。

 けれど、ジュリアはカトリーナの言葉を信じて、ダグラスに対して託された言葉も告げていた。

 そして今、カトリーナが予言した通りの状況が訪れていることを感じていた。


 ジュリアは、隣にいたルーファスの顔を見つめた。


「あの、ルーファス様。私も、ダグラス様を探しに行ってまいりますね」

「僕も君と一緒に行くよ」


 ジュリアは、気遣わしげな表情を浮かべたルーファスに礼を述べると、彼と一緒に会場を後にした。


「さっき父さんがメイドを向かわせたけれど、やっぱり、兄さんの部屋にいる可能性が高いかな……」


 そう呟くルーファスについて、ジュリアもダグラスの部屋の方向に広い廊下を進む。

 すると、前方から大きな悲鳴が聞こえてきた。


「きゃああああっ!!」


 見れば、前方のダグラスの部屋のドアを開けたメイドが、そのままへたりと座り込んでいる。


 慌ててルーファスとジュリアが走っていくと、部屋のドアから中を覗いた二人の目に飛び込んで来たのは、想像だにしていなかった光景だった。


 酩酊したダグラスが、あの指輪のデザイナーだという女性と同衾していた。彼らの着衣は乱れている。


 ダグラスは、ドアの外から差す光に、半目のままでようやく頭を上げると、そこにジュリアの姿を認めて、ようやく我に返ったように叫び声を上げた。


「ど、どうして、ジュリアがそこにいるんだ? 君は、ここにいるはずじゃ……」


 そして、隣にいる半裸の女性の顔を覗き込むと、それが誰なのかを認めてから青ざめた。


「何で、君がここに……? ここにいるのは、ジュリアだったはずじゃ……」


 ジュリアは、目の前のダグラスたちの様子に、ただただ呆れ果てていた。

 隣にいるルーファスは、引き攣った顔でこめかみを押さえている。


「兄さん、いったい、何をして……。きっと、その人をジュリア様と間違えたんでしょう?」

「私と、間違えた……?」


 怪訝な顔をしたジュリアに、ルーファスが頷いた。


「今更兄さんをフォローしたところで、どうしようもないのかもしれないけれど。今まで兄さんが連れていた女性たちは、皆、ジュリア様にどこかが似ていたんだよ」

「……私に、似ていた?」


 ジュリアの脳裏には、カトリーナから聞いた同じ言葉が浮かんでいた。ルーファスは顔を顰めながら頷いた。


「ジュリア様への想いが、歪んだ形で現れていたんだろうね。……今、兄さんの横にいるあの女性は、声がジュリア様そっくりだったんだ」


 慌てて身体を起こしたダグラスを見て、女性は悔しそうに、はだけた服を引き上げながら、ジュリアによく似た声音で呟いた。


「残念。もう少しだったのに……」


 彼女の身体からは、ジュリアと同じ薔薇の香水の香りが漂っていた。

 彼女は、見目良く金払いも良いダグラスに惚れ込んでいたものの、この日がダグラスに近付く最後の機会になるだろうことを認識していた。

 真剣な眼差しで指輪のデザインを考えるダグラスに、婚約者への想いを感じながらも、女性に緩く詰めの甘いダグラスには付け入る余地があるようにも思われた。

 ジュリアとすれ違った時に香ったのと同じ薔薇の香水を偶然持っていた彼女は、それを身に纏って、そっと機会を窺っていたのだ。


 既成事実さえ作ってしまえば、と彼女が思い至ったのは、足元が覚束ないほどに酔ったダグラスが自室に入るのを見た時だった。

 意識も朦朧とするほどに酔っていたダグラスは、彼女の、ジュリアによく似た囁き声と同じ香りに、今まで夢に見たジュリアの姿を重ねて、すっかりジュリアだと思い込んでしまったのだった。


 メイドの悲鳴を聞き付けて駆け付けたダグラスの父親は、目撃した光景に一瞬言葉を失った後、怒りで震えながら、大きな雷をダグラスに落とした。


「ダグラス、お前、何を考えているんだ!? お前には、ジュリアがいるというのに。それも、こんな日に、何ということを……」


 あまりの怒りに、その後の言葉を続けられずにいるダグラスの父親に、ジュリアは目を伏せると、頭を下げた。


「すみません、お義父様。いえ、お義父様とお呼びすることになると思っておりましたが……。ダグラス様との婚約は、なかったことにさせていただけませんか」


 ダグラスの父親は、悲しそうに大きく顔を歪めた。


「すまないな、ジュリア。まさか、ダグラスがこれほどまでに愚息だったとは。……非常に残念だが、こんな状況を目にしては、認めざるを得ないな」

「そ、そんな……! 待ってくれ、ジュリア!」


 悲痛な声を上げるダグラスに、すぐさまジュリアは背を向けると、足早に歩き去った。

 ルーファスが、急いでジュリアの後を追う。


「ジュリア様、兄さんが、本当にすまないことを……」


 ルーファスの声に振り返ったジュリアの瞳に涙が浮かんでいるのを見て、思わず彼はジュリアを抱き締めた。


「ルーファス、様……?」


 驚いたジュリアに、ルーファスは顔を真っ赤にしながら口を開いた。


「ジュリア様が弱っている時に付け込むようで悪いけれど、今言わないと、もう君はここを去ってしまうだろう? ……言う機会のあるうちに、言わせてくれないか」


 彼は腕にジュリアを優しく抱き締めたまま続けた。


「僕は、ジュリア様がずっと好きだったんだ。兄さんの婚約者とわかっていても、諦められなかった。今はもちろん、返事はいらないから、……だから、せめて今だけ、僕に甘えては貰えないだろうか。兄さんのあんな仕打ちに悲しむ君を、見ていられないよ」


 ジュリアは、涙を隠すように、ルーファスの肩に顔を埋めるようにしながら、ふっと笑みを漏らした。


「もう、ダグラス様のためになんて、涙も出ませんわ。ようやく、彼から解放されたのですから。これは、……きっと、今までダグラス様の為にと思って努力していた自分のための涙ですわ」


 そっと回されたルーファスの腕の温かさを感じながら、ジュリアは涙が止まるまで、そのままルーファスに身体を預けていた。


***


 カトリーナは、ジュリアから、ダグラスとの破談の一部始終が綴られた手紙と、先日のお礼にと送られてきた、お勧めだという大量の紅茶の茶葉を受け取っていた。アールグレイ、ダージリン、アッサムなど、どれもカトリーナの好きなものばかりだ。


 清々しいほどに過去を振り切り、前に進む希望に溢れたその手紙に、カトリーナの目にはジュリアの笑顔が思い浮かんでいた。


 手紙によると、ジュリアは、ダグラスとは破談になった今でも、あの商会に勤めているという。

 ジュリアの誕生日の一件以降、すっかり信用を失くしたダグラスに代わり、ルーファスが商会の跡を継ぐことになったそうだ。ジュリアは、まだルーファスへの返事はしていないそうだけれど、今までも彼女を支え、信頼もしている彼に対して前向きな返答を考えている様子が、その手紙からは見て取れた。


 ダグラスは、指輪のデザイナーだったあの女性とは結局未遂で済んでいたために、ジュリアに贈る予定だった指輪を手切金代わりに手渡すことで話をつけたらしい。

 ようやく色々と吹っ切れてきた様子の彼は、今は少し離れた商会の支部で働いているという。


 カトリーナの見立てでは、ダグラスは今は恋愛よりも仕事に邁進すべき時だ。きっと、目の前の仕事に真摯に取り組めば、道が開けてくることだろう。


 そして、尽くしてしまうタイプのジュリアは、辣腕でありながら気配りができ、感謝の心を忘れないルーファスと、互いに尊重し合えるパートナーとして相性が良い。

 ルーファスは、きっとジュリアを公私共に大切にすることだろう。2人の幸せな未来も、そう遠くはなさそうだった。


 ……誰もが幸せになれる唯一絶対の未来があるのなら、そこへ辿り着く道を示せればよいのだろうけれど、こと恋愛となると、それぞれの思惑や利害が複雑に絡まり合っていて、それがなかなかに難しい。


 ダグラスが手放した、ジュリアの瞳と同色のエメラルドが嵌められた金の指輪に込められた、深い後悔の念を感じ取ったカトリーナは、ダグラスが今後進む道の先にある幸運も、人知れず祈ったのだった。

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