かんなづきに逢い引き

「繭、内定おめでとう!」

 ドアを開けて迎え入れて、サッカがそう言うなり飛びついてきたから、わたしはなんの身構えもできていなくって、一応、サッカを受け止めることは出来たけれど、よろめいて、尻餅をついてしまう。サッカはそれでもわたしから離れずに、一緒に倒れ込んできて、わたしに覆いかぶさるような格好をとっている。文句を言おうと思ったのに、にこ、にこと悪気なく笑っている、その顔を見ると、毒気を抜かれてしまって、ただ、息だけを吐いて、サッカの体を押しのけた。

 しぶしぶ、といった表情でわたしの上から退いたサッカは、けれども、体の横のポシェットからすぐに、角々した大きめのカメラを取り出すと、顔の前に構えて、シャッターを押した。口元がうかべる表情は、いつの間にか笑みに戻っていた。

「久しぶりの繭だ」

「うん、まあ、そうだけど」

「元気そうで安心したよ、私は。もう三ヶ月も会ってなかった」

「サッカも元気そうで良かった。ひさしぶりだけど」

「全然。元気なんかじゃなかったよ」

立ち上がりながら言葉を交わす。乱れてしまったワンピースの裾を直しながらそう言ったのに、返ってきたサッカの声は、びっくりするほど低く心細げだった。顔を上げてサッカの方を見ると、間髪入れずに、カシャ、とシャッターを押す音。カメラの横からひょいと顔をのぞかせたサッカは、なるほど、そう言う通り、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「就職活動だからって会えなくなって」

「ごめん」

「メールも電話も控えなくちゃいけなくって」

「……ごめん」

「繭が一生懸命なのは分かってたけど、私は元気などなくなったよ。寂しかった、寂しかったよ」

 サッカが言い募る。本当に、寂しい思いをさせていたのだろう。確かにわたしは一生懸命、というか、はじめての就職活動というものにありとあらゆる余裕をなくしてしまっていて、それだけでいっぱいいっぱいだったのだ。

 でも、それももう終わりというわけだった。来年の春から、わたしもとうとう働くということをすることになる。

「サッカ」

 呼びかけて、両手を広げる。サッカは少しばかり目を見開いて、ぱち、ぱちと瞬きをすると、ぱあっと顔を輝かせて、わたしの腕の中へ飛び込んでくる。それをしっかりと受け止めて、よしよしと、頭を撫でる。サッカの短い髪はすぐにくしゃくしゃになってしまうけれど、サッカ自身はそれを気にとめる様子もなく、うれしそうに私に身を寄せている。その顔を見ると、わたしもなんだかうれしくなった。

 ふと視線を落とせば、わたしとサッカの胸の間でカメラが所在なさげに揺れている。

「……一緒に住もうか、来年の春から」

 わたしが呟くと、間髪入れず「えっ」という声がサッカの口から上がる。サッカはわたしに抱きついていた腕を離すと、その手で肩をつかんで、わたしをまっすぐに見つめてくる。

「本当?」

 不安そうな目で尋ねてくるのへ、力強く頷く。余裕なく動き回っている間に、ずっと考えていたことだった。

「サッカはカメラマンで、わたしはただの会社員で、今でさえ会いづらいのに、就職したらもっと都合がつかなくなるよ。それじゃあ、一緒に住むしかないじゃない」

 わたしがそう伝えても、サッカの顔はまだ不安そうにかげっている。わたしは次の言葉を選びかねて、ただただサッカのまなざしを見つめ返すことしか出来ない。サッカの唇がうすく開かれたかと思うと、一旦は閉じられて、すぐにまた開く。

「本当に、いいの?」

 わたしの肩をつかむサッカの手の力が、わずかに強くなる。きっと意識はしていない。強張った表情をどうにかほぐしてあげたくて、わたしはそれに笑いかける。

「サッカとなら、いいよ」

 何かを、こらえるように、サッカの唇がきっと引き結ばれる。目の端に涙が溜まっていた。それを指摘しようとするよりも先に、サッカの手がわたしの肩を離す。あっという間に、サッカの腕がわたしを抱きしめていた。

「うれしい、繭」

 少し震えた声が、ありがとう、と紡ぐ。どういたしまして、と呟いて、サッカの背中に腕をまわし、抱きしめ返す。温かかった。どくん、どくんと心臓が血を送り出す音を感じた。それがどちらのものかまでは分からなかった、ふたりの音が混じり合っているのかもしれなかったし、それでも構わないと思った。

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