やよいと絵空事
ほとんどひと月ぶりの連絡は、思いも寄らぬ形でやってきた。ポストの中、要らないチラシやダイレクトメールに混じって、北の大地から遠路はるばると手紙が届いていた。
便りがないのは良い便り、なんて言うけれども、どんな現象にも限界というのはあると思うのだ。この慣用句に関しては、たぶんこのひと月というのが限界だった。毎日毎日、来るはずもないメールを待って、スマートホンの通知を確認する一週間だった。
ひとりきりのこたつに潜り込んで、クッションを体の前に抱きながら、封筒を蛍光灯に掲げてみる。白いシンプルな封筒の表面に、角張ってななめになった文字が並んでいる。ここの住所と、宛名、「木芽繭さま」。ひらがなになった敬称が、これを書き始めてから気が付いたんだろう、サッカの戸惑いをそのまま表しているみたいでくすぐったかった。裏返してみれば、左隅に「佐塚由紀」と名前だけが書かれている。なんとなく「さづかゆき」と、それを読み上げてみる。普段口にすることなんてない響きに、また、こそばゆさがこみ上げてきて、ふふ、と小さな笑い声になった。
裏返して〆印を割って開けてみた封筒に、便箋は一枚も入っていない。ただ、写真だけが入っている。
一枚は、山の稜線に沈む夕日の写真。夕日の赤色だけが鮮やかで、後の風景はすっかり黒く染まってしまっている。手前に辛うじて、端に雪の残ったアスファルトの道が見て取れる。
一枚は、桜の枝に膨らんだつぼみの写真。積もった雪が、青空に射す日光を受けて光っている。その端から溶けだした水が、わずかな雪も潤して、つぼみから滴ろうとしている。
一枚は、駅のホームを上から映した写真。黄色いブロックの列を始点にして、ひとが列をなして、複数の列が、ぶつかっているようないないような、混じってしまっているようなそんなこともないような、秩序をぎりぎり読みとれる具合に、並んでいる。その上を、電光掲示板やアナログ時計が飾りたてている。
なんとも雑多だこと。口をついて出たため息は温かい。どうやら元気でやっているのだなと、ほっとしている。このご時世に、携帯電話もパソコンも持ち歩かないで居る相手の、ひと月ぶりの風の便りは、はじめ自覚していたよりもわたしを喜ばせているようだった。
写真を伏せて封筒の上へ置く。そして気が付く。白い長方形の隅に、文字が書き付けてあった。三枚の写真を、きちんと重ねているのから少しずつ、上のものを右上へずらしてみると、三枚とも同じぐらいの位置に書き込みがしてある。
仕事、おつかれさま。がんばりすぎないでね。
帰ったら一緒にみたいな。
これを見る度に、繭を思い出すよ。
封筒と同じ、角張って斜めになっているが、それよりも少しよれた字で書かれた短い言葉は、サッカの限界だったんだろう。その限界を決めたのが、サッカの体力だったのか、時間だったのか、それとも何か気恥ずかしいような色の感情だったのかは分からない。ただ、そのみっつの言葉が自分を満たしてくれる具合はちょうど良くて、サッカはこれを狙っていたんじゃないかしら、とふと思う。
この写真を見る度に、わたしはサッカの帰りが待ち遠しくなるだろう。
そういう風に、サッカの写真と言葉は、わたしのこころを慰めて、わたしのこころをひっかいていった。まったく、ずるい。本当にずるいやつだと思う。
もう一度、三枚の写真を裏返す。封筒と、三枚きりの写真を、明日からどこに飾ってやろうかしら。それを考える口元が緩むのが分かって、うれしくなった。
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