3.1 生かされた衛士

 そこは何もない場所だった。

 重い瞼を開けたヒューズの目に入ってきたのは荒廃とした無人の大地。

 大地のその先には宵闇が広がる。

 好奇心から手を伸ばせばそのまま飲み込まれてしまいそうだ。

 視界を巡らせる。

 ここはどこだ?

 そんな疑問が浮かぶが、どんなに記憶を漁ろうとも答えは見つからなかった。

 おそらく夢なのだろう。

 だがこんな場所、現実で見た覚えも聞いた覚えもない。

 そこであるものに視線が吸い寄せられた。

 宙に浮かぶ、青い球体だ。

 暗闇の中でも輝く青、無の中にある唯一の道しるべ。

 ヒューズは不思議にもそれを見ると心が落ち着いた。

 それの訳を知ろうと、それに手を伸ばす。

 それをこの手に収めたかったから、目前へと歩みを進めた。

 そして、それが間違いであったことを手遅れになった視界で理解した。

 ヒューズの肉体は暗闇に吸い込まれる。

 彼は青球へと近づいた直後、落下したのだ。

 その球に気を取られていたからだ。彼は目前の崖に気付かすそのまま真っ逆さまに落ちてしまった。

 彼の目に映るのは、次第に離れていく青い球。

 未練たらしくそれに手を伸ばす。



 ああ、残念だ。

 どうせなら、もう少しそれを見ていたかったのに…。



 後悔しながらもヒューズは再び瞼を閉じる。

 暗闇に呑まれて、消えていくこの感覚も、揺りかごの中にいるようで存外に悪くないと思ったからだ。

 だが、そこで異変が起きた。

 浮遊感に身を任せていた彼は、離しかけていた意識を励起させた。

 その明るさに、その熱に、その痛みが駆け巡る感覚に、眠ることなどできなかったのだ。

 ヒューズの体は突然、炎に包まれた。

 異常事態によりパニックに陥り、惨めにも宙で暴れ回る。

 だがその業火は、勢いを弱めることはなく、尚も燃え続ける。

 必死に火を払っていたが、間に合わなかったようだ。

 右手が灰燼と化した。

 その灰は直下または直上の闇へと流れ、消えていく。

 それによって更に焦りが増し、行動を起こすが、事態を悪化させるだけだ。

 彼は体の端から灰となって消えていく。

 そしてヒューズは諦めた。

 なぜならもう四肢がなくなった。

 これでは抵抗など不可能、もうどうにもならない。

 こんな感覚は始めてだ。

 それもそのはず、粒子となって消えていく体験をしている者などいるはずがない。

 崩れていく手足、崩壊していく正気。

 彼は乖離していく肉体に苦しみ続けながら無に帰った。


          ◇  ◇  ◇      


「ああッ!」

 小さなロウソクが照らす薄暗い空間に、男の絶叫が響く。

 悪夢から覚めた彼は、汗だくになった胸を押さえて呼吸を整える。

 彼を囲うものは静寂と暗闇、それによりまだここが夢の中なのだと錯覚したが、意識を断絶される前に似た景色を見たのでそうでないことを理解する。

 暗闇は同じだ、だがこの洞窟のような空間は…。

「おう、起きたか」

 叫び声で気付いたのか大男がその部屋に入ってきた。

 どうやらここは現実だったようだ。

「お前は……」

「俺のこと覚えてるか?まあ、こんな見た目だから忘れるはずもねえか」

 巨漢の人物はニヒルな笑みを浮かべながらこちらに近づいてくる。

 刈り上げた髪に、カーキー色の肌、浮き上がる筋肉は大樹のようだ。

 彼がここにいるだけで、部屋の広さが半減したような感覚すら覚える。

「自己紹介はまだだったか?」

「……バング」

 巨人の疑問に答えたヒューズ。それを聞いたバングは「おお、覚えててくれたか」と言ってヒューズの横に腰かける。

 その接近に己が凶器を出現させて対応しようとしたが、彼がヒューズの動き出した右手を抑えて「話をしよう」と諫めた。

「信用できなのはわかる・・・・・・だけど頼むよ」

 渋々、持ち上げた右腕を下げたヒューズ、その様子に息を吐いた巨人は会話を始めた。

 片手を膝に置き、こちらを向く姿はとても不格好で、座っている椅子も合っていないのか違和感を覚える。

 彼は双眸でヒューズを捕える。

「この都市の現状は知っているな?」

「全てではないが、まあ概ねはな」

 ヒューズはバングに自身が持っている概ねの認識を共有した。

 芸術都市を統べ、玉座に付くのはあの美貌を誇る女王だということ、彼女や都市の住民は特定の人々へ圧政を敷いていること。

つまりこの都市は彼らの言う〝芸術の都市〟の完成へと近づいていることだ。

 バングは、説明を終えたヒューズに「その認識で良い」と言った。

「俺達はその理不尽に対抗するために〝革命派〟として集まった」

「……都市の反抗勢力だったのか」

「ああ、そうだ」

 ヒューズの言葉に首を縦に振ったバング。

 ヒューズは初め、彼らは自分と同じく他都市より送り込まれた工作員だと思っていた。

 全ての人間がそうだとは思っていなかった。避難民もいるだろう。

 だが中心となる人物は外部の人間であると考えていたのだ。

 あの老いぼれが王と呼ばれ、騎士を侍らせていたことも理由だ。

 都市の市民の敵愾心を煽り、反乱を起こさせる。

 その是非を問うために、あの二人の人物の正体を探った。

「あの老人と騎士は何者だ?」

「それは本人の口から聞け……ここからが重要なんだが…」

 バングは親指を突き上げて自身を指さす。

「お前さんに、俺達への協力を頼みたい」

「………」

 彼の要望に、ヒューズは沈黙した。

 自分はこの都市で潜伏し、内情を探るために訪れたのだ。

 確かに彼らと共にいれば情報収集は容易い。だが、問題は自分も行動しなければならないことだ。

 大っぴらに表に出れば、リスクが伴う。

「だから殺さず、こうして生かしたのか?」

 今もヒューズの命がここにあるのは、そのためだと考えた。だが、事実は少し違ったようだ。

「いいや、スウザ殿はお前さんを殺すつもりだった」

 バングの言葉に疑問が生じた。

ヒューズは「スウザ?」と首を傾げるとバングは「あの王様と呼ばれていた老人だよ」と答えて納得した。

「あの人はお前を殺すつもりで宝石を使った」

 その事実にヒューズは目下にある両手を見る。両手を開閉させた彼は自身の生を改めて実感する。

 どうやらあの昏倒は、こちらの意識ではなく命を刈り取る攻撃だったようだ。

 そうして安心しているのも束の間、更なる事実がその場に投下される。

「〝神代誓約〟の保持者、お前さんが生き残ったのはそれが理由かねえ…おっとッ!」

 その言葉にヒューズの体は即座に動き出した。

 落としていた右腕を持ち上げてそれを振るう。

 瞬きの間に彼の右手に現れた凶器は巨人の首を刈り取るべく迫る。

 だがそれはほんの数ミリ手前で停止した。

 巨人の剛腕が、衛士の右手を掴んだからだ。

「……知ってる奴を全員ここに連れてこい。そうすればあんたの命だけは助けてやる」

「物騒すぎやしないか…全部殺せば解決するわけでもないだろ」

「あんただけは助けてやると言っているんだ。さあ、さっさとこの手を離してくれ」

 まあ、ヒューズはこの手を離した瞬間彼の首を斬り落とすつもりなのだが…。

 ここにいる住民も当然皆殺しだ。

 どこから漏れているかはわからないので、全てを排除するしかない。

 それはバングも感じ取っているのか、手を離さない彼はヒューズを説得する。

「待て、俺達は取引をしたいんだ?」

「取引?」

 その先の言葉を待つヒューズ。バングは抑えた手を緩めることなく口を開いた。

「さっきも言っただろ?協力を頼みたいって、俺達はお前の正体を晒さない。その代わりにお前は俺達に協力する。どうだ?」

「……そんなことしなくてもこっちの方が楽で早い」

 ヒューズは目線で自身の凶器を見る。

 その禍々しい鎌に巨人は身震いする。

 刃に触れていないというのに、この身に降りかかる恐怖はなんだ?

 その目配りに目前の人間が言おうとしていることを察したバングは恐怖を悟られぬように片眉を上げて相手の行動による結末を告げる。

「するのは結構だが、そうなればスウザ殿が飛んでくるぞ?今度は本当に殺すだろう。この都市に他都市の衛士が紛れ込んでいるという事実もばら撒かれる」

 バングはさあ、どっちが良い?と言うようにヒューズの回答を待つ。

 数刻の沈黙が場を支配する。

 変化のない部屋の中で、唯一形を変えるロウソクの火が揺れる。

 そろそろ抑えられる腕も感覚がなくなってきた。

「俺には何の利益もない」

「そんな事はねえ。もちろんこっちが持っている情報も開示する。鉱山都市の衛士殿」

「……少し考えさせてくれ」

 ヒューズの答えにバングは警戒心を解く。

 ヒューズが鎌の形成を解除して、それが粒子となって消えたからだ。

 バングの腕を振り払ったヒューズは立ち上がり室外へと歩を進める。

「こっちも味方に確認を取る。答えはそれまでお預けだ」

「戻るのか?じゃあ送ってやろう」

「……監視か?」

「それもある。だが単純なお節介でもある」

「……好きにしろ」

 そうしてヒューズはバング同行の下、革命派の隠れ家が出口を目指した。

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