2.5 事実を覆す宝珠、書き換え、捻じ曲げ、浮上させる

 薄闇の中、かがり火を頼りになんとか視界を保てる空間に、彼らはいた。

 王が座るには相応しくない、飾り気のなく形だけを取り繕った玉座。

 その貧相な椅子の前に、跪くヒューズ。

 彼は目前の光景に、張りつめていた気が緩み始めていた。

 なぜならその二人の会話があまりにも厳かさに欠けていたのだ。

「お前、配下。我、王。これでは立場が逆じゃ。王を使う騎士が一体どこにおる…」

 最後の方は落胆して放った言葉に、騎士は弁明を図る。

 騎士は目前の王をないがしろにしたわけではない。合理的に考え、自身の主の身を案じた結果、そうすべきだという考えに至ったのだ。

「これも王の安全を考慮した結果です。いつどこであなたに刃が向けられるかわからない。であれば、真実すら支配する御身の権能に任せた方が確実です」

「それはつまるところ我が働くことじゃろ!」

「いいえ、違います」

 違わない、違います、と繰り返す両者にヒューズは更に肩の力が抜けた。

 さっきまで玉座でふんぞり返っていた姿はどこへ行ったのやら…。

 見ればヒューズ以外の数名も動揺しているではないか。

 それは謁見の場というよりかは、明かりに集い雑談する老人のようだった。まあ、この場に老人は一人しかいないが…。

 ヒューズがそんな光景から目を背けて、努めて真面目に思考を回し始める。

 会話の中で、そうは思いたくないが、目前の人物が敷居の高い人物であることは明らかだ。

 ヒューズを騙すためにわざと王と呼ばせていない限り、そうであるだろう。

「あなた達は一体なんだ?こんなところで何をしている?」

 それを確認するために口を開くヒューズ。会話に聞き入り新たな情報を集めようとしたが、目前の王と呼ばれた人物が騎士を足蹴にし始めたところでもうそれは無理だと諦めた。

 王が自身の騎士より視線を戻す。

 そうやって睥睨していれば、とても王らしいのだが、先程の光景を知っている手前、何とも残念感が否めない。

「ふむ……では先にそちらから名乗るが良い。であればこちらも礼儀として告げてやる」

 だが曲がりなりにも王だ。その言葉はこちらに重圧を与えた。

 その姿は荒波の中でもそり立つ大樹のように、見上げているとさえ錯覚してしまう。

「悪いがそれはできない」

「そう言うでない。お互い腹を割って話そうではないか」

 こちらの警戒心を解くためか、それとも王である余裕からか、口角を上げた王。

 同じ追われる者として情報を交換しようと歩みよるが、それでもヒューズには出来ないのである。

 ここで正体を明かすことは、ヒューズ一人に危険を及ばせるわけではないのだ。

 ヒューズもそうしたいのは山々だが、首を左右に振り、その提案を断る。

 そうして彼らの正体を探ることも諦めた。

「どう言われようとも出来ないものは出来ないんだ。……仕方ない、分かったよ。あんたらには干渉しない。その代わりそっちもこちらに探りは入れないでくれ」

 そんな場合ではないないはずなのだが、一方的にしゃべらせるのは後味が悪いと思い、断念したヒューズ。

 であれば、追手を撒いた今、ここにいる理由はない。

 むしろこのような反抗勢力がいるという情報だけでも得れたものはある。

 彼らの出自については、自分に以外の優秀な先達に任せるとしよう。

 なので彼は、もう帰ることにした。

「匿ってもらって感謝している。じゃあ、俺は帰らせてもらう」

 いつまでもここに留まっているわけにはいかない。より多くの都市の内情を収集しなければ。

 背後の扉へと後退るヒューズ。だがそれを目前の王が許すはずもなかった。

「まあ、待て」

 王と呼ばれた初老の人物はヒューズがここから離脱することを予期したのか、行動に停止を命じる。

 彼もここの場所を吐かれることを警戒しているのだろう。

「信じられないかもしれないが心配ない。俺はここのことは黙ってるよ。本当だ。誰にも言わない」

 念を押して弁明するが、これが通用するとヒューズは考えていなかった。

 だが事情を話すわけにはいかない。

 なので力づくにでもここを抜け出そうと考えていた。

 助けてもらって非常に申し訳ないが、他に手段が思いつかなかった。

 “神代誓約”は使わない。これはあまりにも特徴的すぎる。この状況では望ましくないだろう。

 であれば無手でどうにか脱しなければならない。

 つま先に力を込めて、扉を蹴破るべく態勢を整える。

 幸運なことに門番がいるのは外側だ。

 さすがに突然扉が開き、脱走者が現れるなど想定していないはずだ。

 そうすれば後は簡単、この隠れ家全体に知らせが飛ぶ前に駆け抜けるのみ。

 ヒューズが意識を背後に向け始めた時、王は行動をもう終えていた。だが彼はそれに気づいていない。

「いいや、気にしていないわけではないが今はそれではない」

 王は手中に瑠璃色の宝石を持っていた。

 ここでようやくヒューズの意識が王に向く。

 彼はその宝石に釘付けとなった。

 それが秘める力に、そのオーラに目を離すことが出来なかった。

 ヒューズの視界ではもう宝石以外が目に入らなくなっていた。

 その宝石はそれほどまでに存在感を放っているのだ。

 その異様さに呆けているうちに、それは王の頭上へと掲げられ光が生じる。

「重要なのは貴様とうい存在だ」

 微弱な火が照らす空間を、突然の強光が焼き尽くす。

 あまりの眩しさに目を細めて、手で視界を覆う。

 敵の行動に慌てふためきながらも、攻撃に備えて体を強張らせる。

 だが、別段危害は加えられる気配はない。

 それもそのはず、これはまだその権能の前段階なのだから。

 空間を照らす光を有する王は、己が異能に命令を下した、

「天照す東方の宝珠よ。彼の者の真実をここに」

 その力の奔流が、王を中心にその場に侵食する。

 空間を捻じ曲げた波動はこちらの肉体の内部を支配し、意識を揺さぶる。

 突然の吐き気と眩暈に肝を冷やしたが、少し経つとそれは収まった。

 体を確認するが、特に何の異常もない。

 あの老人は一体何をしたんだ?と混乱していた時、それは形として現れた。

「俺はこ——————」

 慌てて口を塞ぐ。そうしなければ止まらなかった。

 何が起こっているのかわからない。

 自身の口が無意識に、それも勝手に動き出したのだ。

 それだけならまだいい。問題なのは話そうとしたその内容だ。

(俺はなんでそんなことを口走ろうとした⁉)

 自身の奇行に動揺を隠せなかった。

 だが原因は分かる。自分の口を勝手に動かそうとした存在は目の前にいるのだ。

 ヒューズは即座に動きだした。

 彼の手には、もうその凶器は顕現していた。

 判断材料の隠匿?そんな事を言っている場合か。

目前の老人を殺さなければ正体など自分の口で言ってしまう。

口を塞ぎ、凶器を振る姿のなんと滑稽なことか、その姿から繰り出される攻撃など敵に当たるはずもない。

ヒューズの鎌は、王の傍らで侍ていた騎士が剣で弾く。

その甲高い音に、王と騎士を除き、その場にいた全員が距離を取る。

「ほう?まだ抵抗できるか」

 感嘆の声を漏らす王。この抵抗は予期していなかったようだ。この鎌の影響か?

 そこで考えを止める。そんなことを考えている場合ではない。今はどのようにして目前の王を殺し、抜け出すのかを考えなければならない。

 だがその行動がここで起こることはなかった。

 王は、再びその宝石を行使したのだ。

「天照す東方の宝珠よ、彼の者に全ての脅威を」

 その言葉と同時に、ヒューズの全方位にそれらは現れる。

 それは魔術師が使用する攻撃魔術、地水火風全ての属性の攻撃だ。

 初めの方は口を塞ぎながらでも応戦できたが、徐々にその速度に追いつけなくなるヒューズ。

 彼の右太腿に岩石が直撃した時に、形成が崩れた。

 追い打ちにと胸へと被弾した火球は、ヒューズの肉体を壁面へと吹き飛ばす、

 岩の壁に凹みをつくり、肺の空気を吐き出すヒューズ。

 このままではやられると考えた彼は、一瞬で片を付けることにした、

 衛士は走り出す。

 その凶器を、襲い来る魔術を引き裂きながら王へと突き進む。

「お、俺…は…」

 塞ぐ物のなくなった口はその事実を吐き出そうとする。

 口に力を込めたが、完全に黙らせることは出来なかった。

 やはりあの王を殺す他ない。

 仮に殺したとしてもまだこの口が動くようなら、この場の全員を殺すまでだ。

 この現象の発生源は目前、あとは刃で切り裂くのみ。

 脅威の海を抜けて、再びそこに躍り出る。

 だがそれを彼が許すわけがなかった。

 王に及ぶ脅威を目前にして黙っているはずもなかった。

 立ちふさがった騎士は衛士の鎌を弾き返す。

 このまま攻防を続ければ、彼の背後の人物へとたどり着いただろう。

 しかし、それを邪魔するように背後から風が迫る。

 一撃で騎士の剣を防ぎ、続きの二激で背後の風刃を裂く。

「俺……は…」

 口が止まらない。その後も、騎士と王の手で放たれた魔術は衛士を妨害する。

 ヒューズの心中が焦りで支配される。

 後少しなのに、その少しが届かない。

 歯がゆさから苛立ちが湧く。

 これから起こりえる未来に恐れを抱く。

 それは……。

 ぶつかる都市同士。駆り出され、戦場で死に絶える衛士達、倒れ伏す友、炎の中に呑まれる恋人。

 彼は口にすることで辿り着く結末に、引き起こされる悲劇に悲鳴を上げながら騎士に鎌を振るう。

(終わる!終わる!終わる!)

 その結末を忌避する。

 それだけは見たくない。

 それだけは起こしてはいけない。

 彼らに話すことを恐れているのではない。

 彼らが捕まり、自身の存在を漏らされることを恐れている。

 だから必ず回避しなければならない。なのになぜこの口は止まってくれない。

(嫌だ!嫌だ!嫌だ!)

 ウェイトを、ライラを、父を、皆を危険に晒すことなんて許されない。

 その引き金だけは引いてはならない。

 これは愚かにも、後先考えずに乗り出した報いだ。

 俺は全てを投げ捨てて、任務に注力しなければならなかった。

 善意も、優しさも、思いやりも、正義感も、力と知識なくしては成り立たない。

 だからこうなるのだ。

 ただそうしたい、助けたいという感情など、この都市に来た段階で捨てるべきだったのだ。

 執着からそれをしなかったことが今になって悔やまれる。

 そうしてそれは告げられてしまった。

「俺は鉱山都市の衛士だ!」

 言ってしまった。掲示してしまった。話してしまった。

 それを聞いた王はにやりを口の端を吊り上げた。

 そこでヒューズはもうそれ以外に道は無いと判断した。

 もうここにいる人間の結末は固定された。

 もう何もかも手遅れだと、躍起になったヒューズは己が凶器を天に掲げる。

「“神代誓約”起動!」

 彼はそうして武器の枝葉を展開する。

 その刃の暴風雨を以って、この場を血に海に変えるべく、その力を行使しようとする。

 だが……。

「天照す東方の宝珠よ、彼の者の四肢を奪え」

 目的を達した王は、その奇妙な宝石を輝かせた。

その言葉と同時に、ヒューズの肉体は地に堕ちる。

 その言葉はこちらの脳内へと侵入して、ヒューズの手足の感覚を奪ったのだ。

 衛士の肉体が転がる。

 その姿は惨めであることこの上なく、土埃を舞い上がらせながらも暴れ回る。

 しかしなんとか間に合った。

 ヒューズは倒れ伏す直前の鎌を直上へと投げたのだ。

 視界の端でそれを捕えたヒューズはその言葉を叫ぶ。

「弾けろ!」

 即座に異変に気付いた王は、その変形し始める鎌に初めて顔色を変える。

 その駆動音と機械駆動に、怖気を憶えた王は慌てて行動を起こした。

「宝珠よ!」

 その直後、ヒューズの視界を歪む。

 先程の一時的なものではない。今度は完全にこちらの意識を刈り取ろうとしている。

 身の危険を感じた奴は、こちらの命を奪いに来たのだろう。

 だがこの場にいる人間だけは生かしておけない。

 手を頭上の鎌へと伸ばし、その完成を急かせる。

(早く、間に合ってくれ)

 そう望むが、それが起動することはなかった。

 その惨劇が起こるよりも早く、ヒューズの目前が闇に包まれ、感覚が徐々に落ちていく。

(ごめん、皆……)

 ヒューズと接続を断たれた鎌は、地に落ちる前に粒子となって霧散する。

 そこでヒューズの意識は終わった。

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