2.2 完成前の、その都市で
芸術都市、南東部、宿——————
コン、コン、と甲高くドアを叩く。待つと入室を許す声が聞こえた。
「どうぞ」
関所を抜け、杲杲とした太陽が都市の雅さを際立てる浩然とした建築装飾に一驚を喫しながらも、リオンから指示された場所に向かったヒューズ。
現在位置は都市南東の一区画にある宿だ。
許可を貰ったヒューズは扉に手を掛け、その部屋に身体を滑り込ませる。
宿の一室なのでベッドと机ぐらいしかない質素な部屋だ。
窓は開かれ、風に仰がれた白いレースカーテンは宙を泳ぐ。
声の主はベッドに腰かけていた。見た目は二十代前半といったところか、さらりとした長髪に、同業者とは思えないほど淫らな姿だ。。すらりとした見た目の人物で、美形だ。
「話は聞いてる、よろしくね。新人くん」
「よろしくお願い致します。…リオンさんが言ったこと本当だったのか」
ヒューズは彼女の潜む者らしからぬ姿に合点がいった。
あながち冗談でもなかったようだ。
女(一人)とばかり戯れているものだから信用がないんだよ、全く。
「別段異常が無ければ旅行と変わらないんですね」
衛士長が不安を抱えて去るヒューズを慰めるための嘘だと、ヒューズはそう思っていた。
ベッドに腰かけた目前の女性は足を組み替える。
ちらつく太腿がなんとも厭らしい。
一様弁明しておくが、俺にはライラがいる。だから決してこの程度では惑わされない。
少し目がそこに吸い込まれる程度のものだ。危ない危ない。
目前の先行していた衛士は、首元をこちらに向けるように頭を傾げる。
「…本当ならもっと陰鬱とした場所に籠らないといけないんだから、感謝なさい。あと、そんな畏まらなくていいわ。私もまだ若いほうなのだし。気楽にいきましょう」
見た目に反して能力はあるらしい。
隙だらけのように見えて、こちらを値踏みするように彼女はヒューズの全貌を抑えている。
これでは気楽にいくなど無理というものだ。
「へえ、そうなんですか。この宿に居られるのもあなたのおかげと…実際には何を?」
「秘密、ヒューズくんが私のモノになってくれるなら考えるけど?」
彼女は体をこちらに突き出し、胸元をはだけさせる。
これで彼女の特性が少しわかった。
彼女はこうやって来たのだろう。
「……それならまだ名前を呼ぶべきではなかったですね。親父の七光りの力に与りたいのかと、伺えますよ。色仕掛けも無駄です。俺にはもう心に決めた人がいる」
その宣言を聞き、淫靡な彼女は態勢を戻す。
「あら、残念。でも疑いすぎ、仲間なんだから名前を知っていてもおかしくないんじゃない?」
確かに先行した衛士にこれから来る味方の情報が知らされることもあるだろう。
だがヒューズは彼女を信用できなかった。
「俺があなたを知らない」
人は未知のモノを恐れる。相手がこっちを知っているのに、こちらは何も知らないなどもっての他だ。
ヒューズの言い分に少しは納得したらしく彼女はこちらに手を差し出す。
「それもそうね。私はジェーン・ダレス」
仲間の衛士は苦笑しながら立ち上がり、こちらに歩み寄ると同時に名乗りを上げた。
「ヒューズ・ドラコニスです」
差し出された手を握り、名乗り返す。すると彼女はこちらの手を握ったまま、会話を続ける。
「あなたのお父上も頭が回りませんね。少し考えればわかることだというのに」
目前のジェーンはヒューズの父であるラテインを貶す。
味方である以上、その行動に益はないはずだ。
……普通ならば。
つまりジェーンにはそうしたい理由がある。
引き出されるはヒューズの怒り、手を出すことも考えられる。
流れる結末は衛士団長の威の低下、よって彼女は衛士団の内部でも父とは敵対する派閥か?
「御託は結構です。事情も分かっているなら、都合がいい。あなたもわかっているでしょう?俺には結果が必要だ」
ヒューズの言葉が終わると同時に静かな部屋に似つかわしくない事実が出現する。
その言葉を聞いた彼女はすぐに動き出した。なんと組み伏せようとしにきたのだ。
それにはヒューズももちろん反応する。最悪身柄を抑えられる可能性があった。
捕えられた自分が芸術都市の兵士の前に放り投げられることも想定される。
この行動でヒューズは目前の女性を敵だと認識した。
伸びる手を視認しながら、ヒューズは自身の手に己が異能を顕現させる。
昨日怪物を屠った切り裂く凶器、死の具現にして象徴。
しかし、それがこのつまらない部屋に現れることはなかった。
鎌が現れる直前、手首を抑え込まれた。
(これも筒抜けか⁉)
ヒューズが驚愕しているのも束の間、彼は床に頬をこすりつける。
抵抗を試みるが力を入れようと無駄だ。これでは如何に常人より力を有していようとも、関係ない。
ジェーンは目下にいる獲物の耳元に口を近づける。
紡がれるは愚かな衛士への死刑宣告か、はたまた勝利宣言か。
だが出たのは予想外の結末だった。
「……ある程度の胆力もある。予想外の事態の対応も…まあ、問題ないでしょう。合格、君を私の駒にしてあげる」
そのふざけた言い分に、思わず素っ頓狂な声が漏れた。
こいつは一体何がしたいんだ。
「……この都市の王と繋がっていないのなら離してください。目的を達成したならもういいでしょう?」
「そんな状態で言ってても格好付かないわよ」
「いや、本音を言うとこの態勢すごく屈辱的なので離してください」
そのお願いが聞き届けられたのか、ヒューズは解放された。
ヒューズは手首を擦り、立ち上がる。
彼女が何を目的に、こんな事をしたのかはわからないが、口ぶりからどうやら出来でなかった。だがそれで十分ではないか。
ヒューズの目的は、潜入任務の失敗を防ぐことと、父の威厳を守ること。
それが阻まれない、むしろ協力してくれるならそれでいい。
ここで取り乱してはいけない。出来が悪くても衛士団長の息子なのだ。
冷静に、落ち着いて、ゆっくりに。
「それで、どうしてわざわざこんなことを?」
「だから今更格好つけても遅いって」
「人がせっかく立場を取り戻そうとしているのに⁉意地悪な人だな、あなたは!」
「…まあ良いわ。で?どうだった?街の様子は」
「ええと…綺麗な街ですね!」
尊厳の修復に失敗したヒューズは叫んだが、ジェーンは事実をぶつける。
そんな彼女にいきなり質問されたがすぐに返答できた。なぜならここに来るまでに見た建造物や美術品は細部まで緻密に手を加えられ、製作者のこだわりを感じた。
なにより心からそう思ったのだ。
だが望んだ答えではなかったのか、不満そうな顔をするジェーン。
「……新人ならこんなものか。いや、それだけ進んでいるのか?」
目の前の衛士の言葉の真意を知るべく、口を開きかけたところで状況が変化する。
ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
突然の歓声に驚く、なにやら外が騒がしい。喝采が窓を通して室内に入り込んできた。
「ちょうど良い。あなたも見ておきなさい」
ジェーンはカーテンの隙間から、階下を見下ろす。
そこには、歓待するように人だかりができ、道の中央を空けていた。
ヒューズはその状況から左右を見回すと右から行進してくるそれが見えた。
初めは軍隊かと思ったが、軍隊にしては装飾が多すぎる。芸術の都であるならおかしくはないが、それにしたって冗長で過剰だ。
軍隊の先頭には煌びやかな装飾の施された、複数の馬に牽引された車輪付きの輿があった。その上には他とは一線を画す装飾が加えられた玉座があり、格の違いから奇抜ささえも伺える。そこに座すのは、これまた綺麗な女性だった。化粧をしているが、元の良さがはっきりするほど美人だ。ブロンドの髪が風にそよぎ、更に道を照らす。
それを守護するように兵も配属されている。その中には武装都市の兵も混じっていた。
さすが武装都市の兵士だ。芸術都市の兵とは背丈や筋肉量がまるで違う。
「やっぱり、武装都市の兵士がいるんですね。あの兵達はなぜ…」
「大方女王が大事そうに抱えてるあれのせいじゃない?」
もう一度女王を確認する。確かに女王は傍らに何かを抱えている。
「あの水晶のことですか?」
水晶の存在を知っていない様子のヒューズにジェーンは納得したように説明する。
「……ああ、あなたのは形として現れていないものね。本来ならああした水晶なのよ」
彼女は女王を見下ろし、なおも続ける。
「王が王である証、輝ける王権。適性のある者は水晶に宿る力を行使できる。教会の信徒達は神が与えた四つの光だって騒いでる。女王が玉座についてから北兵が従いだしたことから、前王には適性が無かったのでしょう。でなければ、ここまで露骨に使わないわ」
水晶の能力は洗脳か?
目前の王の証に思考を巡らせていると傍らのジェーンは感心する。
「何度も見るけどいい仕組みだと思うわよ。何よりわかりやすい。恐怖ほど便利な道具もないわ」
「あの兵達ですか?」
武力の誇示による威厳の公開もそれなりに仕えるだろう。逆らおうと思わなくなる。だがそれほどことは容易いだろうか?
「まあ、すぐにわかる」
それに対して彼女は明確に回答を提示することもなく、時の経過を待てと示すのみ。
それに従いヒューズも女王の行進群が最後まで通過するのを見守っていた。
女王が去ったのを皮切りにそこに集っていた野次馬も……。
「?」
ヒューズはその場の違和感に気付いた。
場の変化がない。
野次馬は帰るのかと思い動き出したのではない。まるで何かと敵対するように一方向に向き直るではないか。
そして彼らの後方から、ここに残った女王軍の一部、その頭が現れる。
「聞け!ここに巣くう非国民達、貧民街の畜生どもよ」
宣言により、国民の注目が目前の怨敵へと注がれる。
怨敵、そう形容するほど国民の視線は冷たかったのだ。
「貴様らの存在はこの都市の価値を貶めている。この街で、都市で生を受けたならば、産まれ堕ちた瞬間からそれは分かっていただろうに!」
兵士は己が勅命を遂行する。いや、それは黒が混ざった己が望みか。
腰の剣を抜き放ち、目の前の弱弱しい人々に、みすぼらしい建物にさえもその怒りは向けられている。
「我々はこの都市を完成させなければならない!誰もが羨む、陰ることなき理想郷へと昇華させねばならない!何より貴様らの存在は目が痛い」
ここに来た時にも感じたことだが、他と比べるといくばくか、いや、かなり華やかさは劣っていた。だがヒューズからすれば、隠れるにはちょうど良かったのだ。
「この世は美しさこそが全てだ。それらは人々の羨望を巻き上げ、、権威となる。他の能力など関係ない。つまり、貴様らの結末は産まれた瞬間に決まっていたのだ!」
そうして最後に一手が下される。
その宣言はこの場の全ての貧民街の市民を皆殺しにするだろう。
「これは女王直々の命である。その生を、この場で終わらせよ!」
後方の軍団が進行を開始する。
彼らが持つ武器は確実に敵をこの世から消し去る。
そうなるかと思われた時、それを拒む人間が現れた。
「……またお前か。巨人」
見上げるほどの巨漢が兵士の前に現れる。
軍団を阻む仁王立ち。
その圧に、気迫に兵士達はしり込みする。
「死ね、と言われて諦めるほど、ここにいる奴らは潔くないんでな」
巨人は先程の宣言を否定する。
その言葉に軍団の意気は完全に弱まっていた。
それもそのはず、兵士たちはその姿に己が敗北を予期したのだ。
巨人のような背丈は目前の矮小を踏みつぶすだろう。
人の腕五つはあろう太さの剛腕はこちらの頭蓋を叩き潰すだろう。
隆起する脚力より切り出される蹴りは背骨など簡単にへし折る。
その姿を見た兵士は、彼に提案を出す。
「〝掃き溜めの巨人〟、貴様は特別だ。我らの下に来れば、命を取らずこき使ってやる」
「ハハッ!交渉するなら、もちっとマシな言い方をしやがれ」
「……では死ね。この軍団に呑まれるが良い」
そして再び、行進する軍団。
その数の敵を前にして、巨人は不敵に笑い、接敵に備える。
「来るなら来やがれ!また返り討ちにしてやる!」
両者の交戦が開始される。
兵士の武器は確実に巨人を殺すべく襲い掛かるが、その全てを彼は打ち破る。
その一時の工房を見ただけでも、実力差は明らかだ。
だがどれだけの力を持っていようとも、数の力には勝てないだろう。
ヒューズは視線を背ける。
善人を目指す自分は、あそこに飛び込んでしまいそうだったからだ。
「もういいの?」
窓際から距離を置くヒューズにジェーンは問いかけた。
窓から離れたが、その剛腕から放たれる破砕音はヒューズの耳に容易に聞こえた。
だが彼はそれからも目を背ける。
「俺には任務がある。失敗するわけにはいかない。優先順位というものがある」
こちらの気持ちなど考えずに、窓の先の超人はなんとも自由に動く。
その騒音がここまで届くではないか。
「あなたなら真っ先に飛び込むものだと思ったけど」
「守るべきものは間違えない。他の都市のことなど知ったことじゃない。…少し席を外します。あの戦いが終わった頃に呼び戻してください」
ヒューズは扉に手を掛け、どこか音の聞こえない場所に向かおうとした。
その時、彼の耳元に蛇のような音が響いた。
その正体は、いつの間にヒューズに接近し、口元を彼に近づけたジェーンだった。
彼の鼓膜に音が響く。
脳を鷲掴みにされたかのような錯覚を覚えた。
「じゃあ、あなたはまた見捨てるのね」
「………」
それがヒューズの行動を止めた。
それは呪いか、宿業か。
愚者はその言葉一つで、留められたのだ。
全く、こいつはどこまで知っている?
「……ああ、汚い」
それは目前の彼女に対してか、外部で敵を殲滅せんとする兵士か。
はたまた自分自身にか…。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます