2.1 混合都市
少しの睡眠の後に起床し、ライラと共に夕食を終えたヒューズ。
彼らは帰宅後、眠りにつき本日、潜入任務の出立日になった。
荷物をまとめて玄関に向かう。鎧は着ていない、自分は旅行客という訂なのだ。
「ねえ」
背後から声がかかる。早朝にも関わらず、ライラも起床していた。まあ、自分が起きた時に気付かれたのだが。
ライラもヒューズが出て数刻経った後にこの部屋を後にするだろう。
彼女はこちらに歩み寄るでもなく、無事を祈り懇願するでもなく、ただ手を振った。
「……頑張って」
その姿にヒューズは決意を固めた。
もとより胡坐をかいた自身の不始末、成果を上げなかった未熟な自分のせいだ。
ならば彼女も、この生活も、都市も、守らねばならない。
衛士は頷き、自室を後にした。
その足に停止するという機能はない。
なぜなら自分は人を救う善人にならなければならないから。
◇ ◇ ◇
ガタ、ゴト。ガタ、ゴト。
荷台に伝わる振動に体を揺らす。
早朝に南門衛士所を出発し早数時間、固い床板の上に座り続けたせいか、尻が痛い。
潜入任務に就いたヒューズは、まだ半分以上も残った東西を横断する道のりで項垂れる。
「お客さん、荷台に乗るのは初めてですかな?」
御者台で手綱を握る白髪、青年から声がかかる。
まだこの職について間もないのか、初々しさと佇まいに活力が感じられた彼はヒューズの忙しない様子が気になったようだ。
「はい…実はそうなんです。というか、鉱山都市から出ること自体が初めてなんです」
「ほお、そうですか」
パカラパカラと軽快な音を鳴らしながら進む馬の手綱を握る主。
すると彼はこちら振り向き、軽く会釈した。
「私はハックという者です。お客さん、名前を伺ってもよろしいですかな?ここで会ったのも何かの縁です」
向こうは名乗るのにこちらが名乗らないのは座りが悪いと思ったので名乗り返す。
「ヒューズさんですね。短い間ですが、よろしくお願いします」
ハックは旅先までの間を持たせたかったのだろう。会話を続ける。
「さっき都市を出るのは初めてだとおっしゃってましたが、どうしてです?」
さすがに衛士になりために鍛錬に明け暮れていたなどとは言えないので、ある程度言葉を包む。
「仕事で忙しかったんです。新人だったもので……でも最近になって余裕もできてきたので、こうして旅行に行こうかと」
「ああ、なるほど。ではとても楽しみですね。どうか良き旅を」
その言葉に御礼を返したヒューズは、改めて外の景気に見入り、静かに心躍らせていた。
しかし衛士として任務に向かうのだ、気を引き締めなければ。
馬車は進み、段差を乗り越えたのか、荷物が揺れ、乾いた擦れ音が聞こえた。それにしても…。
「たくさん積んであるんですね」
「はい、運べるならば人でも、食料や物資でも、芸術品、武器、防具、何でも運びます」
箱に這い寄る。蓋はされていなかったので容易に確認出来た。中身は、光沢でヒューズの顔を反射させるほどの透明度に、固く質量を感じさせる重量感、鉱山都市の鉱物だ。
「休戦しているとはいえ…敵だぞ」
小声で言ったつもりだったが意味はなかった。なぜならその疑問にハックが答えたからだ。
「別にいいんじゃないですか?都市同士が歩み寄っている証だ。最近では東から芸術品が送られてくることもしばしば。このまま休戦ではなく終戦になってほしいものですがね……何か疑問が?」
ヒューズを見たハックは彼が納得していない様子を感じ取った。
ヒューズからすれば敵戦力の向上による仲間の死が恐ろしいのだ。
だがそれをハックは知る由もない。
なんとか、他都市に対する懸念を振り払いたいものだと考えた彼の視界に、それが映る。
「ちょうど良い。見せたいものがあります。ヒューズさん、前を見てください」
ハックの促す方向に目を向けたヒューズ。そこには街があった。
いや、街というには語弊がある。そこまで巨大なものではない。どちらかといえば集落の部類だ。
まだ、芸術都市には距離があるはず、ここは一体……。
その疑問はハックにより解消された。
「ここは東西南北、すべての都市の中央にできた街。初めは馬を休ませるための場所でしたが、こうして街を形成するようになりました」
ヒューズにはその景色が異質に見えたが、ハックの話で納得がいった。
街は様式の違う建築が並び、明らかに人種の違う人々が商いを行い、当たり前の日常を送っていた。そこには不器用ではあるが、確かに人の営みが出来ていたのだ。
ヒューズは思わず困惑に声を漏らした。
「やはり不思議ですかな?初めてここを見る者は皆あなたのように驚く」
視線はそのままに、ハックはヒューズに自身が得た知見を指し示すように語る。
それは彼の経験から来るものなのだろうか。この場の人々を知る彼だから…。
「ヒューズさんが考えているほど難しい事ではないと思いますよ。私達はこうして暮らしているわけですし」
ハックは誇らしげに街を見渡す。その言葉には愛おしさと手放し難さを感じられる。
「こんな簡単にいくわけがない」
もしも、都市間の人間が全て、この街にように暮らせばどうなるか。
そんなのは明白だ。三日と待たず、亀裂が生まれ、抗争に発展する。
生活も文化も違う。その軋轢は奈落のように深いだろう。
ヒューズの断言にハックは首を左右に振った。だけどなぜだ?
「ここがその証だからです。確かに時間はかかるでしょう。あなたが予感することも理解できる。だけど恐れないでください。私達でもできたのです。だからきっとできます」
御者人の理想を聞き、衛士は後ろめたさを感じた。
他都市の情報を収集し、優位に立つべく行う潜入任務、心情がどれだけ平和に寄っていようと関係ない。自分がやろうとしていることは平和とは程遠い。
だがそれの何が悪い。赤の他人より、大切な人を守りたいと思うのは当然じゃないか。
名状しがたい感情に包まれたヒューズの様子にハックは詫び言を吐き、進行を再開する。
「このような話をヒューズさんにしても仕方がなかったですね。申し訳ない」
馬車はそのまま中央道を進んだが幾分かで停止した。ヒューズはどうしたのかと彼を見ると。
「ここで休息を。馬を休ませます」
馬車から降りたハックは馬の手綱を取り外し、放す。ヒューズも降車すると、そこでは複数の馬が水場を中心に休息していた。
話を終え、休憩に入ったハックに倣い、自身も同調する。
街に並ぶ店に興味が湧いたが任務があるので荷物を増やすわけにもいかず、出店の食べ物だけを買ってベンチでのんびりと過ごすことにした。
◇ ◇ ◇
芸術都市、東門——————
中央街に留まること数時間、転寝しかけたヒューズに声がかかった。
跳ね起きたヒューズの視界の先でハックが出発を告げる。
そそくさと馬車に乗ったヒューズを確認したハックが馬車を進ませること数時間。
道中は別段変わった景色はなく。唯一あったとすれば、峠道から見た森を見渡せる景色が綺麗だったな、くらいのものだった。そこから少し経った頃にハックが声を挙げる。
「ヒューズさん、着きました。あれが芸術の都です」
道のりに飽き飽きしていたヒューズに目的地の到着が知らされた。
顔を出した衛士の目に芸術都市の外壁が映り、その光景に感嘆の声が漏れた。芸術都市と呼ばれるだけのことはある。
外壁は細部に至るまで刺繍が刻まれ、その繋がりから裏側にも刺繍が施されているだろう。
「綺麗ですね」
「はい、芸術の都ですから。外壁から壁内の建築物全てが芸術的観点から建造され、中ではあなたを魅了する作品も数多くあることでしょう。ではヒューズさん、ここでお別れです。私は貿易商ですので、あちらの関所に。旅客であるヒューズさんはこのまま道のりに進めば良いですよ」
ハックの言葉通り関所は目と鼻の先にあり、受け入れ待ちの列ができていた。
「わざわざ近くまで…ありがとうございます」
馬車から荷物を抱えて降り、送り届けてくれたハックに一礼し、踵を返して列に向かう。
まだ彼には都市同士が繋がる道筋は見えない、だが、この任務で少しでもその形跡が見えれば、と衛士は希望を乗せて都市に向かった。
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