1.3 早すぎた決意

南門衛士所、衛士長室———


 あの謎の怪物からの進行を防いだヒューズは、衛士所に戻った。

 衛士所内は数刻前の進行が嘘であるかのように、穏やかで静かだった。

 その雰囲気は戦闘集団が務めてるような激しい空気ではない。画家や彫刻家が自身の作品に熱中しているような静けさだった。

 まあ、多くの衛士は業務に出向き、ここに残るのは衛士長と秘書含め実務作業に勤しむ者ばかりなので当たり前なのだが…。

「潜入任務ですか?」

 衛士が驚きに声を上げる。声の発信者は新米衛士ヒューズだ。

 彼は次の業務を確認するため衛士長室を訪れていた。

 さすがに衛士長の首に腕を回していた秘書の姿はなく、衛士長が一人で書類と向き合っていた。彼女も自身の業務に戻ったのだろう。

 これでもしもまだ絡んでいたようなら、それを必死で守った自分が呆れるほど馬鹿らしくなってしまうので、そうならずに済んで良かった。

 そして彼の対面、衛士長専用の執務机、その椅子に座るのは衛士長リオンだ。

 彼は目前の衛士に次の任務を告げ、返ってきた声に冷静に返した。

「はい、父君からの推薦だそうですよ。良かったですね、活躍の場です」

「ほら、衛士長もわかってるじゃないですか⁉俺は衛士団長の息子だ!」

 衛士所に轟くほどの音が響く。

 ヒューズが机を叩き、体を乗り出したからだ。彼の迫力は凄まじい、

「もしもそんな重役の倅が見つかったらどうなるか…言い方は悪いですけど、一般兵のように言い訳が出来ない」

 ヒューズは自分が捕まってしまった場合の未来を考える。

 都市の王にもどんな引き合いに出されるか。下手をすれば都市同士の争いの火種にまでなるかもしれない。

だが衛士長は尚も涼しげな顔で答える。

「衛士団の中でも君とウェイト君を良く思わない人たちがいます。いくら優秀とはいえ、君達が贔屓にされているとね。なので結果を持ってきてほしいそうです。父君の役柄を守るのです。頑張って♡」

 なるほど、そういうことか。と心の中で納得する。

 つまりあれだ。こいつは女と絡むばかりか、俺を煽っている。

 しかし、その事実は衛士団が内部で派閥があるのではと示唆される。

 ヒューズを送り込まなければ父の権威に疑いを向けられる。

 ヒューズを送り込んで失敗してくれれば、責任を押し付けられる。

 だが、疑問だ。都市の立場を危うくしてまでその座に座ることにはリスクがあるはずだが…。

「任務の取りやめを願います」

「もう指定の人数、衛士が決まっているので無理です。諦めてください」

 リオンの声音が一段下がる。

 ヒューズもそれを感じ取った。

 彼も自身の仕事がある。時間の浪費は好ましくないだろう。

 何よりその言葉の裏には、意味が込められているように感じた。

 お前はもう子供ではない、衛士なのだから文句を言うなと。

 その圧に屈し顔を伏せるヒューズ、そこにリオンは厭らしい追撃をかけた。

「君の言い分もわかります。ですがラテインにも後がないのです。分かりますね?ヒューズ君」

 なんともまあ、卑しい。

 鞭を与えた後に、優しい言葉という飴を与えるとは。

 さすがに女を侍らせているだけのことはある。あっち行為も特殊なのではないか?

「わかりました…」

 ヒューズは諦め、半ば強制的なそれを受け入れた。

 これ以上は言っても無駄だとわかった彼は衛士所を後にしようとした時、背後から声がぶつかる。

「偽の身分証と通行書、運送手段もこちらで用意しています。明日の朝にはもう出発です」

 それはまた急な、と考えたが重要なことを思い出した。

 振り返った時に顔の歪みを隠せていただろうか…。いや、俺のことだから無理かもな。

「聞いてなかったんですが、潜入任務はどこの都市にですか?」

 肝心の都市がどこであるのかを聞いていなかったのだ。

 そんなヒューズの質問に、執務机の書類に向かい、、筆を取ろうとしたリオンは答える。

「ん?ああ、そうでした。今回は芸術都市に潜入してもらいます」


          ◇  ◇  ◇      


 その後も恙なく本日の業務を終わらせたヒューズ。

 都市の巡回を行っている最中でも不安は拭えなかった。

 それも当たり前だ。

 もしかすれば、目前に広がる景色が自分の行動一つで崩壊するかもしれないのだ。

 その大きな責任を背負うことに対して、彼にはまだ覚悟が足りなかったのだ。

 申請を出して宿泊している寮に帰宅する足も重い。それはまるで明日の訪れを嫌うように。

 だが時が止まることはない、その足はもう寮のフロアを踏んでいた。

 階段を上る。疲れた体にはなんとも堪える。

 そうして新人の衛士が泊まる最上階の四階に着き、自室の扉を開く。

 そこには椅子に座り、ヒューズの帰宅を迎えるライラの姿があった。

「おかえり」

 この時の自身の顔を思い浮かべると苦笑が零れる。

 一体どれほどみっともない顔をしていたのか。

 それを見られただろうに、ヒューズは手遅れにも取り繕う。

「どうしたんだ?…恋しくなった?」

「まあ、自分の男ですし、少しでも一緒に居たいと思うのは当然でして」

「あら、重たい。でもその重たさは好きでしてよ」

「何言ってるの?」

「お前に合わせたんだよ」

「重たいって言ったお返しだ、アホ。…ほら入って、疲れてるんでしょ?」

「……ああ」

 初めは情けない姿を見られることを拒み、お帰り願おうかと思ったが、その優し気な言葉が身に染みたので大人しく室内に入る。

「お前やっぱいい女だよな。結婚したいよ」

「このままいけばそうなるから、幸せを噛みしめなさい」

「うん、そうする」

 溢れる思いを投げつけるようにベッドに体を投げつける。

 見まわすと、部屋を間違えたみたいだ。

 今朝何て服が床に散らかるわ、ベッドもぐちゃぐちゃで…。

 でも今はとても綺麗だ。

 あれ?もしかして俺こいつがいないと生活もろくにできない?

 その疑問と共に彼女の背中を見やる。

 抱きしめれば折れてしまいそうな体がなんとも頼りがいのあることか。

 今は自身の防具の手入れをしているのか。

 …………いやさすがに、今脱いだピカピカの鎧は俺が手入れしたよ、さすがに。

 ライラにやってもらってるのはほんの一部(八割)だから。

「……」

 その背中を見ていると、気持ちが沈んでしまった。…全く重たいのはどっちだ。

 その行動に躊躇は無かった。むしろそうしなければならないとすら思った。

 おもむろに立ち上がったヒューズは目前で座るライラを背後から抱きしめる。

 その行動にライラは体をビクつかせたが、冷静に考えて自身を包むのは一人しかいないと分かり、その腕に手をかける。

「珍しいね。ヒューズから来るなんて」

「まあ……うん……」

「嫌なことあった?」

 その問いかけに心臓の鼓動が跳ね上がる。

 どうやらよほど顔に出ていたらしい。

 自身の不器用さが憎い。

 まあ、自分でも精神が虚弱体質なのは知っていたし、何より張りつめていた気が緩んでいたのも事実だ。

 なので衛士団長の息子に相応しくない弱気な行動をしてしまった。

「潜入任務に行くことになった」

「へえ」

 平時なら驚いていたのだろうか、だったらほんとに良妻賢母ですこと…まだだけど。

「明日の朝にはもう行く」

「早すぎない?」

 その返しの少し噴き出した。

 まあ、そうだよね。俺もそう思う。

 そして数秒の沈黙の後に、彼は口を開いてしまった。

「………うまくいく気がしないんだ」

 ヒューズはこれを口に出すことを思い悩んだが、もう止めることはできなかった。

 自分でも口から自然と出た言葉に、これはまずいと気づいた。

 だが、ライラはそれに呆れるでもなく、貶すでもなく、ヒューズを諭す。

 彼女の頭がヒューズにすり寄る。肌に当たる髪と肌に体の力が抜けた。

「大丈夫、ヒューズならできるよ。だって君は二度も私を救ってくれた」

 その励ましにヒューズは納得できなかった。なぜなら…。

「あの時の俺にはたまたまその力量があっただけだ。だが今回は…」

 その事実を口にすることは出来なかった。言ってしまえば、それが現実になると思ったからだ。

 だがその躊躇いに意味はなかった。

 ライラの唇がヒューズの口を塞ぐ。

 一瞬の接吻からお互いの顔が離れる。

「出来るよ」

 その言葉にヒューズの不安は掻き消える。

 自分でもなんと単純なことか。言葉一つでこうも方向が変わるのか。

 ヒューズは恥ずかしさから思わず彼女に顔を埋めてしまった。

 そんな再起不能になってしまったヒューズにライラは提案を出した。

「本当は一緒に晩ご飯食べに行こうと思ったけど、少し寝てから行こうか。ほら起こしてあげるから、寝てなよ」

「………」

「赤ちゃんか!」

「うるへえ、母親にすんぞ」

「ほお?覚悟ができたか?」

「あ、待って、まだお義父さんに挨拶に行くのは怖いから、待って」

 いつまで経っても離れないヒューズを見かねたライラは、彼と共にベッドに向かう。

 そうして二人揃ってベッドに倒れこんだ後に、ライラは眠りを促す。

 先程の衝撃とはまるで違う、人の温もりがあるだけでこんなにも安眠度が変わってしまうのか。

 そうして彼女の胸に顔を埋めて、眠りにつこうとしたヒューズは頭上より聞こえる吐息に顔を上げた。

「え~?君が寝るの?」

 そこにはなんとも安らかな顔で眠る彼女がいるではないか。

 少しため息をついたヒューズは意識を微睡みの中に落とす。

 夢見心地な、特に意識の無い考えだっただからか、彼は現実と幻の狭間を漂う。

 堕落共依存というのか。

 俺も彼女も間違いなく弱くなっているだろう。

 だが、それがどうした。この弱さも案外悪くない。

「……………………ん?」

 待て、俺は一体何と比較した?

 その疑問が残りながらもヒューズは傍らで眠る恋人の心地よさから一時の眠りに堕ちた。

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