1.2 選択消失、経路確定

鉱山都市、南門と大森林の中間地点————


「ぐ……おうっ!!」

 盾を掲げたウェイトは大地を踏みしめ、目の前から迫る大質量に抗わんと力を振り絞る。

 歯を食いしばる。盾を持つ腕が軋む。押し戻すどころか、押し返されるばかりだ。

 目の前の存在の正体を暴くべく、知識を漁るが、やはりこんな異形は記憶にない。

 さすがのお気楽脳筋なウェイトも額に脂汗を浮かべ、こんな経験はさすがに早すぎると理性が警報を鳴らすが、それを誤魔化すように状況に関わらず口角を吊り上げる。

 異形を都市に向かわせるわけにいかない。都市で単純な力勝負で自分に敵う者は自身の父をおいて他にはいないと自負していた。自分が持ちこたえなければ、これを止められる者は父しかいなくなる。そして王都から父が来るまでに異形は都市内部に侵入するだろう。

ならばすべきことは明白だ。自分は何としても異形を食い止めなければならない。

「うおおおおぉぉおおおおおおぁああああああああああッ!」

 気合を入れ、この異形を押し返すべく咆哮する。

「へっ、俺は一足遅れてるんだ。ならここで越えてみせなきゃなあッ!」

 不敵な笑みを浮かべ、力を引き上げる。限界を超えた肉体運動は人体の筋細胞を破壊し、筋肉の筋がビチビチと千切れているのを感じる。

 だが形成は傾いた。異形の巨躯は後退する。

 しかし異形も黙ってはいない。突如、異形の右側面から複数の黒い触手が出現する。触手は値踏みするように頭をこちらに向け、次の瞬間高速で動き出し、ウェイトに襲い来る。

 防御態勢は間に合わない。その上それを取ってしまえば、どのみち突進が来る。

ウェイトは攻撃を受けることを前提に備える。斬撃性能は見受けられない。打撃ならばある程度は耐えられるだろう。しかし直撃する前に、触手はその頭を切り落とされた。

 その場に空圧が吹き荒れる。

 死の斬撃の空気が肌にさす。死の顕現がこちらの魂を震わせる。

 それは四つの都市の王が所有する〝神代誓約〟。そのどれにも分類されない、全く新しい統べる者の具現。

 異形を食い止める衛士は背後に目を向けると、そこには鎌を振り切ったヒューズの姿が。

「助かったぜ、本当にそれは恐ろしいな。俺に当てるなよ?」

「…意外と余裕なのか?安心しろ、扱いには慣れてる」

 ヒューズは視線を目前の異形に向ける。生物とは思えないその名状しがたき容姿に身震いする。生物というより、ヘドロのような非生物が意思を持って動き出したと言う方が納得できる。

「なあ、お前こいつを見たことあるか?」

「はは!こんな泥みてぇなのは見たことがねぇな!」

「それもそうか…俺も知らないしな、こんなのッ!」

 ウェイトに迫りくる触手を切り落としながら異形の正体についての問いを投げたが、もちろんウェイトも知らない。訓練学校時代、蔵書で聖獣の生態、種族、特性を調べたことがあったが、この異形はそのどれにも該当されない。

 記録あれば対処もわかりやすかったのだが、仕方がない。手探りでも攻撃を与えるしかないのだ。

 だが幸運だった。自分にはこの鎌がある。

 そしてこの凶器はこの異形に通じるようだ。

 触手を切り落としたヒューズは返しで、異形の頭部を攻撃した。

 異形がよろめいた拍子にウェイトが後退する。

 その直後、ヒューズは異形の横腹に己が武器を打ち込んだ。

「………」

 傷を与えたはずだ。損害を生じさせたはずだ。

 だがそれは瞬きの後に消失する。

 どうやらもっと深く斬りこまなければならないようだ。

「Gaaaaaaaaaaaaaa!」

 異形は絶叫と共に滑らかな凶器を放った。

 ヒューズに複数の触手を放ったが、それらは全て斬られた。

 異形は次弾を放つべく体を流動させるが、それは側面からの衝撃によって防がれる。

 ウェイトが異形に向かい突進したからだ。

 黒い巨躯が大地を抉る。超重量が平原を揺らした。

 横転した異形は手足を不規則にばたつかせる。

 それを見たヒューズは、異形の息の根を止めるべく自身の凶器を投げた。

 鎌は平行に回転し、空気を斬る。

 巻き上げる、渦を創る。

 大気を練り上げたそれは竜巻と化し、異形に襲い掛かる。

 そして高速で回転した刃は深々と突き刺さった。

 終わらせたと思った。

 頭部にその刃の全てを収めたのだ。その内部に穴を生じさせたのだ。

 機能は剥奪され、性能は著しく劣化するはずだ。

 だが、それは起こらなかった。

 異形は鎌を受けた時に、その動きを一時停止させたが、直後、敵の武器が自身の手に収まったことを笑うようにケタケタと動き出した。

 鎌を引き抜いた異形はそれを彼方へと追い出す。

 その場からヒューズの武器である〝神代誓約〟が森林へと姿を消した。

 異形は、走り出す。

 目前には無手の衛士。

 寒気を憶えるほどの好機だ。

 彼を屠り、挽き肉に変えるには今しかないだろう。

 互いの距離が縮まる。その頭部は着実に敵を死に近づける。

 しかし、障害が現れる。味方の危機なのだ。介入しないはずがなかった。

 異形の御前に盾が出る。

 剛腕で支えられたそれは、またも自身の行く手を阻む。

 だがそれを取り込むには今しかないのだ。邪魔に入る虫けらなど構っている余裕はない。

 異形はウェイトを掴み上げ、吹き飛ばす。

 目前から迫る大質量に対抗すべく大地を踏みしめていたが、肉体が触手に絡めとられた。

 そして目前には障害がなくなった。

 獲物は自身の前に晒されている。後はそれを食すだけ。

 恐怖で震えているのだろう。衛士はただ立ち尽くすのみ。

「………」

 しかし異形のこの行動は迂闊だった。森林にそれを投げなければそれは見えていたのだろう。

 異形はミスを犯した。なぜなら彼の者の目には消滅したそれが見えなかったのだから。

 衛士が空気を掴む、切りつける態勢を取っているが、そこには何も握られていない。

 しかし、それは徐々に集まり構築される。

 一秒にも満たない時の中で彼の手の中に、またも〝神代誓約〟が収まる。

 




 そうして異形は両断された。





 それもそのはず、無防備な状態で向かったのだ。

 斬る側としてはなんともやりやすい。

 処刑人となった衛士は、怪物を上下に折檻した。

 異形の裂かれた肉体が地に堕ちる。

 自分はこれを殺したのだ。証拠に黒い流体は少しずつ霧散していっている。

 決着はついた。それは第三者の目から見ても明らかだ。

 鎌を携えた衛士の背後に、盾の衛士が歩み寄る。

「全く……何だったんだ、こいつは。ヒューズ?」

 ウェイトは、勝利したにも関わらずどこか浮かない顔をしている同僚に疑問をぶつける。

 ヒューズは消え行くそれをただ見つめるのみ。

 横から突き刺さる視線に気づいたのだろう。少しバツが悪そうな顔をした後に、口を開く。

「悪い、先に戻っててくれるか?」

 初めは鎌を仕舞うことに時間を要するのかと思ったが、それは違う。ウェイトはそれを瞬時に消し去るヒューズの姿を何度も見ている。

 その言葉に疑問を憶えたが大人しく従ったウェイトはその場を後にした。

 最期に残ったのはただただ見つめることしか行わない衛士が一人。

「………」

 ヒューズ自身、自分でもよく分かっていなかった。

 それを殺した瞬間の感覚、言語化できない感情が自分を支配した。

 大事な者を守れた安堵?それは違う。あの瞬間、勝ちを確信したのだ。苦労の果ての勝利ではない。

 生物を殺したことへの罪悪感?それも違う。何より危害を加えたのは向こうが先だ。襲い掛かってきた以上、命のやり取りをした以上、それは傲慢というものだ。なにより障害の排除だ、罪悪感など湧くはずがない。

 でもなぜだろう……。なんで……。

 ヒューズはそれを斬った瞬間を、うちに感情が伝播した。

 それは悲しみや憎しみ、妬み、蔑み、そして一番理解できなかったのが感謝だ。

 それが理由なのかはわからないが。

 だけどなんで自分は、どうして自分は‥‥‥‥。

 どうして自分はこんなにも目頭が熱くなっているのだろう………。

 衛士はその何とも言いようがない感情の中で、沈む異形を最後まで眺めた。

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