テオス・プレッジ another garden

1.1 彼の者が見た景色

鉱山都市、南門衛士所——


「エルピス、都市に矢の要請をお願いします」

 衛士所に落ち着いた声音が響く。その小鳥のさえずりのような聞き心地の良さで音を発せるのは南門衛士長リオン・ラースだ。

 衛士長室を目指し、目前に迫った廊下で彼の存在を認識する。

「このままでは、うちの衛士達が白兵戦をすることになってしまいますからね。急ぎで」

 理知的な彼は若くして南門の衛士長になった。それも彼の能力の高さによるものだ。

 彼のように大人になるのはいつになることやら。

 そんな劣等感を抱えながら自身の仕事場に向かう。

 そう、俺には仕事がある。分かりやすくいうと、御国に尽くし、御国を守る御仕事、衛士だ。

 具体的には警備と見回り、入都する者の検閲、田舎者や老人、子供の道案内などだ。

 だから気後れしている時間はない。求められるのであれば、俺は喜んでその助けとなりたい。

 なぜなら俺は余裕のある善人として職務を全うしなければ。そのために人々を助けなければならない。

 今着用している、一般衛士に配布される簡素な鉄鎧。

 磨き上げ光るそれの重さなどなんのそのと、階段を意気込んで登る。

 鉄鎧は一般衛士用のそれなので主に胸回り、股間、脛だけを守る最低限のものだ。

 昇進すれば良い装備を支給されるが、悲しいことに自分は新米だ。

 価値のある人材にはそれに相応とした待遇を。当然だ。

「さて、次の仕事です。…エルピス、あまりくっつかないでください。私には妻がいる」

 ふざけんな。秘書とイチャイチャしやがって。お前なんてすぐに追い抜いてやる。それまでその席きれいにしとけよ、色男。

 そしてその席につけば、今度は俺がそこでライラとイチャつく。

 ……あれ?そうなると今度は俺が追い出される?

 おっといけないいけない。これは善人の考えることではない。落ち着こう。

 しかし、南門の衛士達からは色恋以外の不満は出ていない。

 なぜなら論説が至極当然で真っ当だからだ。

 女関係はともかく、能力はある。もう一度言うが、そこを買われて南門衛士長を務めている。

 役職上問題があるとは思いが、まずは自分を磨かなければ。

 扉の前で、目の前から聞こえるイチャつきに尻込みする。ここに立ち入ることを体が拒絶する。この空気に入り込むのは躊躇われるのだ。

 だが、案ずるより産むが易し。案外淡泊に終わるかもしれない。父も言っていた、お前は考え過ぎだから、頭空っぽにして動いてみろと。覚悟を決めて扉を叩き、開く。

「失礼します」

 入室した後の光景に後ろ髪を引かれながらも体を室内へと滑り込ませる。すると…。

「ああ、来ましたか、ヒューズ君」

 案の定、秘書に背後から抱きつかれながらいる衛士長。

 いっそのこと奥さんにチクってやろうかな。子供もいるんだろ?パパ。

 しかもそんな状態なのにちゃんと仕事をしているように感じさせるのが、また腹立たしい。

 清潔感を漂わせる着こなし、整えられた髪、絞められた首元。なんともお堅い事ではないか。

 そんな状態でいるのが我らの衛士長殿のリオン・ラース氏だ。

「今日君には、南東地点までの外壁調査を行って貰います。ウェイト君も同じ仕事に就けました。…ほら、エルピス、離れなさい。すみませんね、ヒューズ君」

「…いえ、気にしてないので」

「それは良かった。だからと言って抱きつくのではないのですよ、エルピス。良いですね?」

「むしろ大っぴらにしたらどうです?大物感が増しますよ?」

「はは、さすがは団長と副団長の息子ですね。器が大きい。ウェイト君も同じことを言っていましたよ」

 あいつも同じこと考えてたのかな?確かに破滅してくんねぇかな。

 ウェイト・イアス、俺の同期だ。そして衛士長の言葉は事実である。

 ヒューズが衛士団の団長の息子で、ウェイトが副団長の息子だ。

 衛士長リオンは姿勢を正し、背もたれに体を預けながらヒューズをほめそやす。

「訓練校を飛び級することにも頷ける。将来は親に恥じない仕事ができそうですね」

 通常衛士を志願する者は訓練学校に通い、三年間の訓練を受ける。なのでヒューズとウェイトが修学期間より早く卒業できたのは異例だ。そして、彼らと同じく訓練学校を早期にできた者がもう一人いるが・・・。

「さてそろそろ仕事に向かってください。ウェイト君も待っています」

「はい、そうですね」

「外壁調査の前に弓矢を補充しておいてください。そろそろ使い切る頃です」

 地味に最期仕事を増やされながらも、衛士長室を退室する。

 改めてうちの秘書殿の凄さを実感する。彼女はいつもああなのだから、部下が目の前にいるんだぞ?

 俺なら吐いているぞ、色々な不安で。本当に彼女のメンタル面のブレーキはどこに置いて行ってしまったのか。

(早くウェイトと合流しよう。今なら防具倉庫にいるか?)

 衛士長はウェイトに同じ仕事を振り分けたと言ったので、目標地点を目指して階下に向かう。


        ◇        


鉱山都市、南門衛士所、防具倉庫————


 南門衛士所にある防具倉庫で椅子に腰かけ、鼻歌交じりにタオルと蝋を用いて防具を磨く巨漢が一人。短く切り揃えられた髪、彫り深い顔が特徴的な男、ウェイト・イアスが同僚を待つ。

 待ち合わせなどしていない。付き合いの長い彼なら迷わず来るだろうと踏んでのことだ。

 そして予想通り、扉が開き、待ち人がやって来た。

「ヒュ~ズ、遅いじゃねぇか。いくら待たせるんだ。おかげで俺の鎧がピカピカになっちまったじゃねぇか・・・って、うお⁉いきなりそれ出すんじゃねぇよ!ビックリするだろ!」

 同僚を出迎えたウェイトは、彼の手にあった禍々しいそれを見て声を上げた。

 もう何度も見せるのにいい加減慣れてはくれないものかと、考えるが自分でも出す時は静かに驚いているのだから無理もないかと納得する。

「仕方ないじゃないか。人目には出せないんだ。ここでぐらいしか手入れができない」

 持っているそれを見せつけ、言い訳を吐く。

 彼の横に座り、タオルと蝋を拝借する。

「おい、勝手に獲んな」

「もう十分、使っただろ?よこせ」

 強奪したものでそれを磨く。改めて見るとなんと怖いものか。

 磨いているだけでも、終わった頃には手が血まみれになっていそうだ。

 そこにあるのは薄紫に輝く鎌、それも通常よりも大きく、曲線の大きいものだ。

 その表面に記されている文字は古代の物なのか解読は出来なかったらしい。

 タオルと蝋を奪ったヒューズに、叱りのお声がかかる。

 我が麗しい姫君様からだ。

「コラ!ヒューズ!ウェイトの物盗らないの!」

 防具倉庫の奥より現われた少女に鎌に向けていた視線を外す。

 セミロングの黒髪、垂れた目を鋭くしようとしている姿のなんと可愛らしいことか。

 都市より指定された制服だが、その帯ベルトは体の曲線を誇張し、とても魅力的だ。

 何度見ても見飽きぬ彼女こそ、俺の恋人にして衛士所の同期、ライラ・ヒールズだ。

 その叱りに抗議するヒューズ。

「ウェイトのって…これは倉庫に備え付けてるものだろ」

「でもさっきまでウェイトがつかってたじゃん。終わるまで待ちなさい」

「ライラ、俺は悲しい。まさかお前がウェイトの肩をもつなんて。まさか浮気か?」

「何馬鹿な事言ってんの…全く」

 そうして彼女は当然のようにヒューズの横に座り込む。

「お?なんだ。これに触りたいのか?」

 ヒューズはライラに向けてそう言うが、彼女はそれを見ると顔を歪めて拒否した。

「冗談でしょ。嫌よ。なんかそれ怖い」

「ハハッ!女を怖がらせんなよ、ヒューズ」

「そうかな~、そんなにダメだったかな~」

 防具倉庫から豪快な笑い声が聞こえる。その発生源である巨漢のウェイトに背中をバシバシ叩かれるヒューズ。

「私が触りたいのはこっちだから」

 そう言ったライラはヒューズの腰に手をまわす。

「おい、今は仕事中だぞ」

「え~、いいじゃん。エッチしてるわけじゃないんだから」

 しなだれかかってきた彼女に衛士長室での光景が蘇り、まだ見ぬ脅威を予感したヒューズは彼女に離れるように注意しようとしたが、それは反対方向から飛んできたツッコミに阻まれた。

「イチャついてんじゃねぇ、バカップル」

 どうやらまだ見ぬ脅威ではなく、横からの脅威の間違いだったようだ。

 自分が幸福なのは良いが、他人から見ればそうではない。注意しなければ。

 三人で軽口を叩き合いながら、自身の武具を手入れしていると、「それにしても」とウェイトが話を変えた。

「各都市の王が持つ〝神代誓約〟。そのどれにも該当しない。全く新しい〝神代誓約〟ねぇ。…なんでお前にそんなのがあるんだ?」

 ウェイトが改めてヒューズの武具を見る。

 誰だって自分が持っていない物を他人が持っていたらこのような反応をするだろう。

 だがそんな疑問を吐かれても、当の本人にはなんか出てきた程度の感覚なのだからこまったものだ。

「そんなの俺だって知らないよ。まあでも確かなことはこれによって俺の出世街道が明るくなることもあれば、暗くなることもあるってことだ。‥‥‥もしかしてライラ、だから俺と付き合ってる?」

「ふ・ざ・け・ん・な」

「いへぁい、いへぁい」

 その不安は思わず口にしてしまったが、返って来たのがマジトーンの怒りと、鼻を強く摘み上げられる痛みだったので安心した。

 全く、本当にかわいいな、ちくしょう。めちゃくちゃいい女じゃねぇか。

「でも気をつけろよ。持ってるのは俺だけど。お前たちを狙うやつも出てくるかもしれないんだ。ウェイトは副団長の息子な上に腕が経つだろうから大丈夫だけど、ライラ、お前は危ないんだ。もういっそ一緒に住むか?」

 本来ヒューズは体をいじくりまわされる立場にあるはずだったが、それを避けられたのは父親の計らいだ。

 ヒューズの〝神代誓約〟を知る者は少ない。都市の上層部、当時任務に同行していた衛士、衛士団長である父だけだ。

 なんでも衛士達には口封じのために巨額の金を与えられたらしい。

 だがまだ安心はできない。この都市にもこれを欲しがる奴は他にもいるだろう。

 だから極力、人目は避けようとしたのだが、初日にかわいい彼女とこの肉だるま馬鹿にばれたわけだが…。

「ヒューズ私の事引き寄せてる」

 おっと、心配のあまり手に力が籠ってしまったようだ。大事な恋人を傷つけるわけにはいかない。反省反省と。

「う~ん、でもヒューズまだ寮生活でしょ。だけど、それもいつか出来たらいいね。どうせ死ぬならヒューズの横が良い」

「いや。ヒューズは実験対象だから殺されはしないだろ?」

 そうなんだよなぁ。俺、ライラが死んだらこれから生きていける気がしないぞ。

 なんとしてもこの秘密を守りつつ、彼女の身を守らなければ。

 決意を固めたところで、鎌の手入れが終わった。ヒューズは磨かれたそれを一目見て立ち上がる。

「良し、終わった。悪いな、待たせて。行こうぜ、ウェイト。ライラはこれから何の仕事だ」

 傍らで座る彼女に問いかける。鎌をいきなり霧散させたのか、驚いた様子だ。

「わ、私は、今日は門の警備だよ」

「そうか、頑張れよ。俺達も行ってくる」

 横で頭をポリポリ掻きながら来たウェイトと共に、防具倉庫を後にする。

 そうしてそこを出る直前、背後から声がかかる。

「行ってらっしゃい」

 ああ、もう好きだ。行きたくない。一緒に居たい。

 その手を振る姿があまりにも可憐なものだから、つい彼女の体をこちらに引き寄せてしまった。衛士長も色ボケだが、自分も相当らしい。

 そうしてお互いの顔を接近したところで邪魔が入った。

「仕事中な」

 チッ!お前も昨日娼館で散々楽しんだんだから良いじゃねぇか。


        ◇        


「・・・なあ、悪かったって」

 防具倉庫の一件から不機嫌に外壁に向かう伊達男ウェイトの後に続くヒューズ。

 倉庫の扉を出て、右に衛士所、正面に武具倉庫、左には外壁がある。

 今回は外壁調査が仕事のため、彼らは出て左に進む。

「彼女に昨日のことチクるぞ?」

「脅すのやめてくんない?」

「それは無理だろう、同じ仕事をやる上でコミュニケーションは大切だ」

 そうして歩むうちに外壁に着いた彼らは与えられた仕事を開始する。

 ここに配属されてから外壁調査は何度も行っている。外壁を確認し、老朽箇所を発見したら建築士に報告し修繕してもらう。外壁に魔物が近づけば追い払うもしくは討伐する。まあ、魔物は基本南門を抜けた先、都市南方の大森林にしか生息しないので滅多に遭遇することはない。

 外壁調査の仕事は主にこの二つだ。

 南門を抜ける際、門の警備をしていた衛士と顔を合わせて会釈する。もうここに来てから一年近く経つ。そうなると顔も自然と覚えられた。門を警備する衛士からは、ああなんだ、今日は君達か。はい、行ってらっしゃい。ぐらいの感覚で通された。

 道すがら改めて今後について話しておこうと考えたところで上司からの最後に指示を思い出した。振り返り、二度手間だなぁ、と思いながらもそこに向かう。

「おーい、どこ行くんだー?こっちだぞー?」

「わかってるよ!ちょっと矢倉に用があるんだよ!先行っててくれ!後で追いつくから!」

「矢倉ぁ、…ああそうか、そろそろ切れる頃か」

 ウェイトはヒューズとは正反対の方向に手をひらひらさせながら進む。

 衛士所は一階が弓矢などの様々な在庫が保管してある資源倉庫、食料などが保管してある食糧庫、客人をもてなす応接間などがあり、二階は衛士長室含め様々な部屋がある。

 急ぎ資源倉庫から目的の物を回収した。衛士所のこの静かな雰囲気がなんとも眠気を誘う事か。

 衛士所を出て、再び外壁を目指す。外に出ると街は住民寝静まる夜の風景から一日の始まりを告げる朝の風景に変わりつつあった。

立ち並ぶ家々はカーテンを開き陽光を取り入れ、店も開店の意を示すべく看板を立てかける。

 人が行き交う雑踏の中に懐かしい服装を見つけた。鉛色の角張った上着、白磁のシャツ、藍色のズボン、衛士訓練学校の制服に身を包んだ訓練生が都市中央へ吸い込まれるように向かっていた。

 去年まで同じ服装だったものだから、感慨深くなってしまったが、懐かしい景色はそれだけではない。特徴的なローブ姿の人物に目が行った。膝下までの浅紫のローブに、白いチュニック、膝上までのスカートを着用した魔術師訓練学校の修道生も、訓練生と同じ方向に向かう。

 彼らは共に同じ目的地を目指している。なぜならば鉱山都市では衛士訓練学校と魔術師訓練学校は共同の施設であるからだ。正確に言えば、その二つの施設が合体しただけなのだが。

 大昔、まだ都市同士が戦争していた時代のことだ。両学校の創設者達は互いの知識を共有するため共同の施設を創設した。学生達の目的地が今も同じなのはその名残だ。

 そしてヒューズは訓練生の中で特異な服装の人物を見た。先程見た鉛色の上着と白磁のシャツは同じだが、下半身が違う。ズボンではなくスカートだ。衛士訓練学校には珍しい、少女訓練生だ。

 衛士と魔術師の男女比は正反対だ。衛士は男が多く、女が少ない。魔術師はその逆だ。

 その少女訓練生を見て、ヒューズ自身も訓練生だった頃に感じた疑問が再発する。

 当時のライラもあの服装で訓練を行っていた。いくらスカートの下にレギンスを履いているとはいえ、それは一分丈だ。

 何でも学校開設時より続いているものらしい。もしかしたら、我らが先達はバカなのだろうか?だが、その愛すべきバカどもは偉大なので、心の中で敬礼をしておこう。あれは眼福だ。

 現在の教諭たちも古のしきたりに重きを置くという事で、一向に改定される気配はない。

 願わくはそのままの決まりでありますように…。

 だけどライラを厭らしい目で見た教員と生徒たち、お前らは許さん。あれは俺のものだ。

 そこで本来の目的を思い出し、外壁へ向かう。

 今日でもう三度目の接触となる門の警備兵は、ヒューズが持つ弓筒を見て大体の状況を察したのか、後方の壁上へと続く階段を促す。

 ヒューズは警備兵に一礼して、彼の横を通り過ぎ、いつも通りの螺旋階段を上る。

外気と完全に遮断された空間、そこだけまだ静謐なる夜のように空気に冷たさを包括していた。だがその気体は熱を灯った体には気持ちが良かった。唯一の不満点があるとすれば、少し埃臭いくらいだろう。そうして階段を上るうちに朧気だった音が増大するのを感じた。

 弓の弦のしなる音が、矢が風を切る音が上空から聞こえる。それが放たれている方角は南の大森林だ。今日も彼は魔物を追い払う、もしくはその頭蓋を貫いているのだろう。

 まだ先が長く、頭上にあろう矢倉を壁越しに見上げて上る。上るだけでも足腰に対する重労働なのに彼はこれを仕事とはいえ飽きもせず毎日こなしている。

 矢倉を上り切り、弓弦の音が間近に聞こえる。そこにはさらりとした長髪を背中にまとめたすらりとした体系の男がいた。男は今も弓を構え、放った。

「……ヒューズか」

 彼はアーチ・スフィロ、ヒューズと同じく訓練校を飛び級で卒業した同期だ。見た目通りの静かな声音をしていることもあり彼の存在は霞のようだ。訓練学校時代はよく見失ったものだ。

「お疲れ、弓矢の補充だ、受け取れ…今日はやけに多いな」

 上っていた時にも感じたが、矢筒を見ると今補充したもの以外はほとんど残っていなかった。

 こいつは客観的に見ても相当な弓の名手だ。この矢倉から大森林の魔物は点にしか見えないが、彼は寸分違わず奴らの頭蓋を撃ち抜ける。そのため南門の矢倉に配属されている。

 いつもなら南方の大森林を抜けてきた魔物は数秒と経たずに撃ち抜かれているが…。

「今は聖獣の低迷期だったはずだよな?」

 低迷期とは聖獣の出現が減少した時期だ。聖獣は基本的に主である親の元で活動している。驚くことに奴らは生殖を必要としない。配下の聖獣は親から分離した個体だからだ。

 親は個体を増やし、配下に食料を回収させる。

 配下の分離の少ない時期が低迷期、多い時期が絶頂期だ。

「…そのはずだが、今日はやけに多い。当てることはできるが、足元に放って森に追い返すだけに留めている。だがおかしい、やつら大森林の中と外を往来している」

「なんで当てないんだ?当てたらもう追い返す必要もなくなるだろう」

「お前は聖獣の死骸を回収したいのか?望むならあそこを死骸の山にしてやっても良いが?」

 その光景が容易に想像できる。そして弓矢のストックの底が見える理由も理解できた。

「そして俺が一番嫌うのは腐敗臭だ。以前も風に乗ってこの矢倉まで届いた。もしも衛士長が臭いに気づけば、回収に向かうのは間違いなくお前達だぞ」

「わ、わかった!俺が悪かった!そのまま追い返しといてくれ!」

 ヒューズは畳みかけるように言葉を並べるアーチを止めるべく、彼の言い分を是とする。

「それにあれだ…弓の修練にもなる」

「…お前、本音はそっちだろ」

 同僚の個人的な訓練に気付いたところで、脳裏にある問題点が浮かんだ。

「いや、でも結局は大森林の入り口に行く羽目にならないか?」

大森林の地面に刺さった弓矢をそのままにして消費するわけがない。

「臭いと死骸がないだけマシだと思え。夜になれば魔物も森に帰って戦う必要もなくなる」

「まあ、そうだけどさ…」

 森林まで距離があるんだけどなぁ。最期には一体いくつの矢を回収することになるのか・・・。

「あと仕事が終えたらまた矢の補充に来てくれ」

「まだ撃つのか?」

「当たり前だ。来たらどうする」

 こいつは良いよな、仕事と称して合法的に弓の腕を上げることができる。これでは差が生まれるばかりだ。だからヒューズとウェイトは衛士所の裏手の空間で共に鍛錬を行っている。

「そんなことして…エルピスさんの仕事が増えるんだぞ」

 その無駄内に容易に予期できる未来を突き付ける。

 だがそれを受けても彼は黙り込むばかり、まさか…。

「お前、分かってやってるのか?」

こいつもここに来たばかりの新人ではない。そんなことは分かっているはずだ。

「だって…あんなの見せられたら…」

「子供か⁉こんな回りくどいことしやがって!他にも振り向かせる方法ならいくらでもあるだろ…」

 顔を覆うアーチの様子から全てを察した。

 アーチはエルピスのことが好きだ。以前、相談されて知っている。

 そんな彼がこうなっているのは、予測だが今朝ヒューズが見た衛士長室と似た風景をみたのだろう。

 おそらくその時に彼の脳は破壊されたのだろう。可哀そうに。

 そんなアーチをヒューズは刺激しないように優しく諭す。

「衛士長は所帯持ちだ。望みは薄くないんだ。な?」

「無理だよ……エルピスさん衛士長にべったりだもん…」

 ああ、悲壮感が…。面倒くさい。何よりこれのせいで仕事が増えることが面倒くさい。

 俺も相当女々しいと思うが、彼も中々のものだ。

 ウェイトだったらブちぎれてるぞ。まあ、俺はアーチと気色が似ているからわからないこともないが…。

「あとで、エルピスさんに謝っておけよ」

 こういうのはあれだ。本人が現状を重く捕らえすぎているせいだ、時間を置けば落ち着く。

 そうして最後にアーチに助言を与えたヒューズは、その湿度の高さを知っているのでその場を後にした。


        ◇        


鉱山都市、外壁南南東地点—————


 アーチがいる矢倉を後にしたヒューズは先に外壁調査に向かったウェイトと合流した。

 現在は外壁調査を終え、最終確認も兼ねて南門衛士所へ帰還しているところだ。

 初めは真面目に調査を行っていたが、道中ウェイトにアーチの様子を聞かれ今に至る。

 この外壁調査も昔は真面目に行われていた。何でもある日突然壁に大穴が空いていただとか。 

「実は俺も顔出しついでに補充に行ったんだよ。でもあいつ夢中だったのか全くこっちを見向きもしなくてよ。邪魔しちゃ悪いと思ったから黙って置いて行ったんだ」

 ウェイトに黙って置こうかと思ったが、もう遅かったらしい。

 アーチも相当やけになっているな。

 もしかしたらもっと探せば他にも補充した人が出てくるんじゃないのか?

「エルピスさんに嫌われるとまではいかないが、文句の一つも言われても仕方ないな」

「エルピスさんはなぁ・・・アーチには悪いが、あいつの想いは届かないと思うぞ、俺」

「う~ん。ノーコメントで」

まあ、確かにあそこまで溺愛しているとなぁ、とは思う。

そして、ウェイトによってまたアーチに話題が戻った。

「でも良いよな、アーチは。だってよ、俺達が訓練校を出たのは戦場で経験を積むためだろ?」

 去年のある日、これまでの卒業生達と遜色ない成績を修めたヒューズたちに訓練校の校長は選択を掲示した。このまま残るか、推薦状を出してやるから衛士所に新米で務めるかだ。

 俺達は話し合い、さらなる経験を求めて後者を選択したのだが、実際に来てみれば、やることといえば矢の補充、門の見張りと校閲、街の警備と称した市民の道案内だ。

 アーチは運が良かった。南門には弓の扱いに長けた衛士がいたが彼ほどではなかったため、あの矢倉はアーチ専用になった。当時は持ち場を奪われた先達がちょっかいを掛けてきたが、その様子を発見した衛士長が先達をボコボコにしたのは良い思い出だ。そういうところはあの人の美点なのだが、他があれなんだよなぁ…。

「なのにやることと言えば雑用ばかり、こんなんじゃ腕が鈍っちまう」

 右腕を回しながら言うウェイト、彼もストレスが溜まっているのだろう。

 鍛錬ばかりでは限界がある。何か良い手はないものか…。

「何かいい手はないもんかねぇ。……親父達に潜入任務に配属されるように進言してみね?」

 ヒューズはその提案に困惑の声を漏らす。

 潜入任務とは文字通り他都市に潜伏し、都市の内情、他都市との連携状況、内部戦力を把握するための任務だ。任務に向かうのは東西南北に位置するいずれかの都市、ヒューズたちの住む鉱山都市は西に位置する都市だ。

 昔は東西南北の都市は争っていた。戦争の理由は単純、資源の独占、領土の拡張、力の証明、他都市への圧力等々だ。もっと正確に言うならば、南西と東北が戦争中だった。

 鉱山都市には鉱山があり、武具や防具の生産が盛んだ。

 鉱山は鉱山都市の戦力でもあるが生命線でもある。なぜなら都市周辺には肥沃な大地が少なく、食料の生産が乏しかった。

 確かに抽出される鉱石も重要だが、飢えて死ねば元も子もない。

 そこで食糧の生産が豊富であった南に位置する豊穣都市から食料を提供する代わりに鉱石の提供を要求された。

 その経緯を経て鉱山都市と豊穣都市には太い繋がりができたのだ。

 以前は豊穣都市の戦力増強を危惧して提供だけに留めていたが、東に位置する芸術都市からの侵略による豊穣都市の滅亡を恐れ、今では武具や防具に鍛造、鋳造して提供している。

 幸か不幸か、それは芸術都市への圧力にもなった。

 これにより戦時中は南西と東北が争っていた。そして休戦中の今でも貿易は継続している。

「融通してもらう物でもないだろ。国勢に関わることだぞ」

 戦争が終わり、他都市への入都が可能となった今を手放せない。平和が一番だ。戦争という爆弾に敵のスパイという火種が点けば、誰も止めることはできないだろう。

「でもこの都市だけじゃあ強くなるには限界がないか?」

「そうだけどさあ」

「悠長にやってたらジジイになっちまうぜ」

 ヒューズその提案を受け入れ難くいるが、事実でもある。何より目的が現状果たせていないのだ。だが同時に疑問が湧いた、確かにウェイトは強さに貪欲な男だ。しかし、それにしても急いている気がする。

 そうしてヒューズはそれを口にした。

「なんでそんなに急いで強くなろうとする?機会はこれから来るかもしれないだろ?」

 ヒューズの疑問にウェイトはバツが悪そうに眉を顰めると、腕を組み唸った。

 目前の同僚に違和感を覚えながら、唸る彼の返答を待つヒューズ。

「昨日俺が寮にいなかったのは知ってるよな?実はな。昨日親父が屋敷に戻ってきていたんだ」

 父たちは重役であるため、基本的に本部に駐在している。なので屋敷に戻ることは珍しい。

「親父の話ではなんでも東北の都市同士が合併するかもしれないらしい」

「……別におかしな話じゃないだろ?武装都市ならいつでも芸術都市を取り込める」

 北に位置する都市、その名も武装都市。

 武装都市と言われる通り四つの都市の中では一番の武力を誇る。武装都市は個人の力の保持に重きを置き、市民は幼少期より戦闘訓練を行う。一人一人の武力が高く、単純な戦闘では右にでるものはいないだろう。

 東に位置する都市、その名も芸術都市。

 芸術都市はそれほど秀でた特徴を保持していない。強いて言うならば工芸品や芸術品が盛んだが、そんなもの戦争には何の役にも立たないだろうに。

 確かに武装都市の戦力増強は脅威ではある。こちらが籠城戦をしたとしても分が悪いだろう。しかしこちらには豊穣都市の援助がある。武具や防具の供給源がなくなれば豊穣都市には痛手だろう。そう簡単に鉱山都市の滅亡を見逃すとは思えない。なのに彼は何を焦っているのか。

「いや、違うんだ。聞いた話では芸術都市が武装都市の兵士を従えてるらしいんだ」

 二都市間で優位に立っているのは武装都市だ。なのに芸術都市がその兵士を従えるのは…。

「はあ?なんでだ?」

 その疑問はウェイトも知るはずがなく、「さあな」と肩をすくめた。

「数も異常だそうだ。会談も、祭事もない平時にだ」

 ウェイトの発言にふむ、と思考を回す。ウェイトの親父、あの四角四面で仏頂面の壁のような大男が、場を盛り上げるためだけに話を大きくするような陽気な部類の人物だとは思えない。

 だが思案するが理由がわからない。奴らに従うメリットがない。そもそも戦時からおかしい。さっさと東を吸収して自国の政策に統一した方がやりやすいだろうに。なぜ奴らはしない。

「理由が見つからんだろ…まあ理由なんてどうでもいい。俺が気にしているのはその後だ」

 普段は剽軽な男の顔が引き締まる。長い付き合いだが、この時のこいつの顔はマジだ。

「もしもこのまま東が北のすべてを従え、西か南を攻めたらッてな…」

「…だから早く強くなりたいと?」

 ウェイトは自身の拳を握りしめ、見つめる。その瞳には確かな決意が感じられた。

「もしもの時、守りたいものを守れないのは避けたい」

 それはヒューズも同じことだ。もしも自身の恋人に何かあれば、二度目の後悔が自分を襲うだろう。それだけはなんとしても避けなければ。

 そうとわかればと、目前の男前な同僚は盾を叩き、己を鼓舞する。

「よし!戻ったら早速鍛錬だ!付き合えよ!」

「それじゃあいつもと同じじゃないか」

「まだ屋敷に親父がいるから帰ったら潜入任務、融通してくれないか聞いてくるぜ。それまでの辛抱だ!経験積めば下手糞でも強くなれるぜ!」

 う~ん、この脳筋。そんなにうまくいくかなぁ、と不安に駆られていると南門が見えてきた。

 アーチはここに来てから腕を上げたが、今はエルピスのこともあり上達速度は落ちている。良い機会だ、差を縮めなければ。しかし前方の矢倉を見ると、矢は短い間隔で放たれていた。

(あいつ、本当に反省したのか?……まさか、気がふれたか?)

 そんな狂喜乱舞、自暴自棄になったアーチと対面する嫌な妄想をしながら、矢の放たれている大森林の方向に目を向けると、そこには…。

 言葉が出ない。想定外の状況に呼吸すら忘れたようだった。ヒューズは絶句していた。

「ん?どうした?」

 そんなヒューズの様子に気づいたウェイトが声をかけてくる。

「…ウェイト。お前経験を積みたいとか言ってたよな?」

「うん?ああ、それらしいことは言ったな」

 ヒューズは大森林の方向を指さし、自身の盾様に状況報告を行う。

「喜べ、経験が向こうからやって来たぞ」

 何事かと目を向けたウェイトは先程のヒューズと同一の反応を見せ,脳が認識を否定する。

 彼らの視線の先、そこには泥があった、際限なく湧き続ける汚泥があった。

 泥は膿のように、自身の存在を浄化という治療で癒すように際限なく生起する。

 多椀多足のそれは、泥を零しながらも猛進する。

 体の欠損など顧みない、なぜなら肉体となるぬかるみは今も内より出でて、蠢動する。

 蠢動、正しく蠢動だった。異形は多足を規則的に動かしながらも、こちらに不快感を与え、多椀は空を覆わんばかりにその稼働領域を広げる。

 それを見たウェイトは、もう走り出していた。

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