第41話 王子へ贈る祝福②

 ハリーに連れられ、躍り出るように前へ出たリリアーナ。

 怒れる国王の前に立つというプレッシャーに早くも挫けそうになるが、そんな彼女を守るため、ハリーはエドランド侯爵へ目くばせした。

 前へ出たエドランド侯爵が国王へ二言三言耳打ちして下がると、国王は王妃を椅子へエスコートし、自らも腰を下ろす。


青薔薇ローズブルーの聖女、リリアーナでございます、陛下」


 ハリーから手を離したリリアーナは、国王の前で頭を下げた。


 青薔薇の聖女と名乗るのは初めてで、声が震えそうになる。

 隣に立つハリーが堂々としていてくれたから、リリアーナはなんとか持ち堪えることができた。


「……リリアーナ?」


 突然現れた恥さらしいもうとの名を、サティーナは目をつり上げて忌々しげに吐き捨てた。


「あんた、何言って──」


 つかみかかろうとしたサティーナからリリアーナを隠すように、ハリーは立ちふさがる。


「リリアーナに近づくな」


 見たことのない美貌の青年に目を奪われたものの、手負いの獣のような獰猛どうもうな目ににらまれ、サティーナはひるむ。

 しんと静まり返る中、国王が口を開いた。


「リリアーナ。青薔薇の聖女とは、まことか?」


「陛下! リリアーナは黒薔薇ローズノワールの魔女でございます。耳を貸してはなりません!」


 国王の質問に答えたのは、サティーナだった。

 怒鳴られていたにもかかわらず、彼女は王を守る忠臣かのように振る舞う。

 呆れた国王が黙っているのをいいことに、サティーナは正義の鉄槌を下すかのように叫んだ。


「黒薔薇の魔女が何をしてきたのか、みなさまご存じでしょう⁈ リリアーナこそ、新たな黒薔薇の魔女なのです。だまされてはいけません!」


 紫薔薇ローズヴィヨレットの聖女になるには、それに見合った美貌と品格と教養が必要らしい。

 それらの一つも持ち合わせていなかったリリアーナは、ないない尽くしの令嬢だと言われていた。


 だが、どうだろう。

 髪を振り乱し、金切り声を上げ、国王の言葉を遮るサティーナは、果たして紫薔薇の聖女にふさわしい令嬢なのだろうか。


 国王さえも呆れ返って言葉もないというのに、頭に血が上っているサティーナは気がつかないらしい。

 先ほど伏せっていた王妃も、目をまん丸にしてサティーナを見ている。


 放っておけばいつまででもご高説を垂れそうなサティーナを止めたのは、頭が痛すぎて我慢ならなくなったエドランド侯爵だった。


「静粛に。陛下はリリアーナ様へ質問をされました。サティーナ様は口を慎むように」


 この後に及んでまだ言い足りなかったのか、サティーナは鼻息も荒くフンッと顔を背けた。

 まるで子どものような態度に、誰もが「は?」と思ったはずだ。

 口を挟んだエドランド侯爵だけは冷静だったことが、不幸中の幸いである。


「リリアーナ様、陛下の質問にお答えください」


 エドランド侯爵に促され、リリアーナは答えた。


「はい。先ほど降らせた花びらは、青薔薇の祝福のほんの一部でございます。お許しいただけるのであれば、王子様に祝福を贈らせていただきたく思います」


「ふむ……」


 床に落ちていた花弁を、国王が拾い上げる。

 差し込む陽光に透かしながらめつすがめつ眺めたあと、「よし」と膝を叩いて彼は言った。


「やってみろ。そして、証明してみせるのだ、リリアーナ」


「かしこまりました、陛下」


 国王の判断に、神官たちは慌てふためいた。

 それらしいことを言いながらなんとかやめさせようとする彼女たちを、騎士たちが押さえる。


 王妃の侍女に連れられ、リリアーナはベビーベッドのそばへ歩み寄る。

 そっと覗き込むと、小さな王子様が目を開けてぼんやりしていた。


 こんなに騒々しいのにぐずりもせず、リリアーナがじっと見ているのに視線は一点を見つめたまま。

 赤ちゃんだと言われなければ、人形だと思ったくらいだ。


「王子様。わたしからは、青薔薇の祝福を贈らせていただきます」


 リリアーナは優しい声でささやくように王子へ告げ、祈った。


 ふわり、ひらり。

 やがて、どこからともなく青薔薇の花弁が降り始める。

 くわんくわんと鐘の音のような波紋音が神殿内を満たしたかと思うと、ベビーベッド周辺がパッと光り輝いた。


 一体、何が起こっているのか。

 人々が固唾かたずを飲んで見守る中、波紋音の余韻が消えるとともに、光がおさまる。


 カクリとリリアーナの体が傾ぐ。

 素早く彼女を抱きとめたハリーの隣で、国王と王妃がベビーベッドを覗き込んだ。


「ミイルズ?」


「あきゃあ!」


 王妃の呼びかけに応えるように、赤ちゃんの声が響く。

 赤ちゃんが声を上げることは、珍しいことでもなんでもない。それでも王妃は、感極まったように目に涙を浮かべた。


「ルアネ様、もう一度祝福をお願いできますか?」


 ハリーに抱えられたまま、リリアーナはルアネを見つめる。

 彼女は驚きに目を見開いていたが、すぐにカレンデュラの祝福で王子の状態を鑑定してくれた。

 その、結果は──、


「……陛下」


「どうした、カレンデュラの聖女よ」


「奇跡です。奇跡が、起きましたわ。病が……完治しております……!」


 カレンデュラの聖女、ルアネ・エミールが公明正大な人物であることは周知の事実である。

 諸々を鑑みてあえて言わないことはあっても、口に出したことに嘘偽りはない。


「なんと……!」


「ああ、ミイルズ……!青薔薇の聖女様、感謝します」


 ルアネの言葉に、国王夫妻は涙を流して喜んだ。

 奇跡を起こした聖女に、国王夫妻は深々と頭を垂れる。それに従い、みんなが──神官でさえぐうの音も出ない様子で──リリアーナの前で頭を下げた。


 緊迫した空気はすっかり消え、祝福の儀に似合いのあたたかな雰囲気が場を満たしていく。

 安心したように表情を緩めたリリアーナが、ハリーへ身を任せようと彼に寄りかかったその時だった。


「お、おお、よくやったぞ!」


「それでこそ、わたくしのかわいい娘だわ!」


 喜びのムードが漂う中、一組の男女がリリアーナ目指して走り寄ってくる。

 人を蹴散らしながら進むのは、リリアーナの両親、ソワレ侯爵夫妻だった。


「お父様!お母様!」


 走り寄ってきた両親に、サティーナは助けが来たと思ったのだろう。

 祝賀ムードの会場でただ一人置いてけぼりを食った迷子の子どものような顔をしていたサティーナは、走り寄ってきた両親に表情をやわらげた。


 助けがきたと思ったのだろう。

 しかし、差し出した手は阻まれ、唖然あぜんとするサティーナの前で、両親はハリーに抱き上げられたリリアーナを奪い取ろうとする。


「なんで……? どうして……? 私は特別な存在なのに、なんでよ!」


 喚くサティーナに目もくれず、ソワレ侯爵夫妻はリリアーナに手を伸ばす。

 伸ばされてきた手を、リリアーナはピシャリと撥ね除けた。

 立ち上がれないくらい体はだるいはずなのに、撥ね除ける音はやけに響く。


 初めての反抗に、ソワレ侯爵夫妻は反射的ににらんだ。

 しかしすぐに、取ってつけたような笑みを浮かべる。


「どうした、リリアーナ。久々に会ったから緊張しているのか?」


「お父様とお母様よ? まさか、忘れてしまったわけではないでしょう?」


 追いすがる両親は、見ていて滑稽だった。

 こんな人たちに愛されたくて我慢していたのだと思うと、ひどく冷たい気持ちが胸を吹き荒ぶ。


 リリアーナはハッとこれみよがしにため息を吐いてみせた。

 明らかな敵意に、侯爵夫妻の目が怒りに濁る。


「あなた方は言っていたじゃないですか。わたしの存在は恥でしかないと。ほんの少しでも痕跡が残ることのないよう、消し去らねばならないって言いながら、わたしのものを燃やしていたあの夏の日……リリアーナ・ソワレは消えたのです。ソワレ家に、リリアーナはいないのですよ、ソワレ侯爵夫妻」


「こちらが下手に出ているからと調子に乗りおって……!」


 カッとなったソワレ侯爵がリリアーナに手を上げる。

 もちろん、ハリーが許すわけがない。

 彼がスッと体を横にずらすと、勢い余ったソワレ侯爵は壇上へ向かって突進。そして見事に階段へ激突した。


 無様に転がる夫にすがる妻。

 両親の裏切りに喚き続けるサティーナ。

 そこへ、追い打ちをかけるように国王は言った。


「たしかソワレ侯爵家からは、損害賠償の請求がきていたな。黒薔薇の聖女が屋敷を去る際、腹立ちまぎれに屋敷を全焼させていったという理由で。黒薔薇の聖女の不始末は王族が責任を取ることになっているが、この場合はどうなるのか……。青薔薇の聖女が屋敷を焼くはずがないからな。今一度、調査する必要があるだろう」


 冷たく言い放った国王がソワレ侯爵夫妻とサティーナを睥睨へいげいすると、察した騎士たちが動き出す。


「うちは紫薔薇の聖女と青薔薇の聖女、二人も薔薇の聖女を輩出したのよ。それなのに、こんな扱いは不当ですわ」


「やめて! 私は紫薔薇の聖女なのよ。騎士ごときが触れていい存在じゃないの!」


 ズルズルと連行されながら、サティーナは最後まで喚いていた。

 扉が閉まってもなお聞こえてくる金切り声に、そこかしこから失笑が漏れる。


「騎士ごときって……」


「まさか王子様と結婚するつもりだったのかしら」


「紫薔薇の聖女って、もうすぐ二十歳でしょう? いくらなんでも、あり得ないわよ」


「そうよねぇ」


 徐々に遠ざかる意識のなか、聞こえてきた悪口に顔をしかめる。

 帰りたいと無意識につぶやけば、「帰ろう、俺たちの家へ」とハリーの声が聞こえた。


 低くて甘い声音は、すごくくすぐったくてなんだか落ち着かない。

 目を開けてどんな顔をしているのか見たくてたまらなかったけれど、見たらもう逃げられないような気もして……。

 悪あがきとわかっていながら、リリアーナはあえて目を開けなかった。

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