第40話 王子へ贈る祝福①

 柔らかい風が木々の幼い緑を揺する、春の昼下がり。

 花の国ブルームガルテンの王都にある女神の神殿では、国王一家待望の第一子、ミイルズ王子の誕生を祝福する儀式が始まろうとしていた。


 招待されたのは、国中に存在する花の聖女たち。

 そして、一部の選ばれし者だけだ。


「それでは……聖女のみなさま、順番にお並びください」


 華やかにドレスアップした聖女たちが、指定された順にしとやかに整列していく。

 彼女たちが動くたびにドレスの裾がひらひらと舞い、それはまるで花びらが舞い散っているようにも見えて、とても美しい光景だった。


「すてきな眺め」


 招待客であるにもかかわらず、リリアーナは柱の影からそおっと顔を出して、会場を眺めていた。

 傍目から見れば、怪しいことこの上ない。だが、そんな彼女の行動が霞んでしまうくらいの美貌を持つ紳士がそばにいたので、リリアーナを咎める者は誰もいなかった。ただ一人、その紳士を除いてだが。


「本来であれば、リリアーナもあそこへ並ぶはずだったのだが」


「わたしはここで十分です」


 どこまでも欲のないリリアーナに、紳士──ハリーはやれやれと肩を竦めた。

 獰猛どうもうな肉食聖女たちに見習わせたいくらいだ。

 そこかしこから感じる獲物を狙うような視線を一蹴し、ハリーは最前列へと目を向ける。


 名誉ある一番目を飾るのは、カレンデュラの聖女──ルアネ・エミールだ。

 カレンデュラの花を思い起こさせる鮮やかなオレンジ色のドレスは、こんがりと日焼けした肌によく似合っている。


「ルアネ様が一番目か」


「慣例通りなら、一番目はサティーナ様だったはずです。どうしてルアネ様なのでしょうか?」


 リリアーナの言葉に、ハリーは「わからない」と答えた。

 慣例通りならば、一番目は紫薔薇ローズヴィヨレットの聖女であるソレル侯爵家令嬢サティーナが飾るはずだ。

 紫薔薇の花言葉は、王座。ミイルズ王子が次期国王であることを証明するための祝福である。


「一番目にカレンデュラがくるということは、もしかしたら王子の健康状態に問題があるのかもしれないな」


「そんな……まだ生まれてひと月くらいしか経っていないのに」


 建国以来の決まりで、たとえ王族であろうと生後一か月が過ぎないと聖女の祝福を受けることができない。

 今日のこの日まで、国王夫妻はどんなに不安だったことだろう。

 威風堂々としている二人からはみじんも感じられないが、慣例を踏襲しなかったことがその証に思えてならない。


 悲しそうに表情を曇らせるリリアーナだが、ハリーはそうでもないようだ。

 力強い視線は自信満々で、リリアーナを見つめて微笑む。


「リリアーナがいるから大丈夫だろう」


「……そうでしょうか?」


 青薔薇ローズブルーの祝福は、まだ二回しか使ったことがない。

 一度目はハリーの羽化を手伝い、二度目は竜の暴走を止めた。


 三度目がうまくいくかなんて、保証はない。

 今回聖女として呼ばれたわけではないので、できれば関わりたくないというのが正直なところだ。


「俺は、そう信じている」


 ハリーの手が、垂らしていたリリアーナの髪を掬い上げる。

 いつもだったら遠慮なくグシャグシャと撫で回されるのだが、綺麗にセットされた髪を崩さないように配慮してくれたのか、彼は掬い上げた髪にキスを落とすだけに留めた。


 その瞬間、神殿のそこかしこから悲鳴が上がる。

 ハリーの唐突なキスに動転したリリアーナと、ハリーを狙っていた肉食聖女たちの悲鳴と、それとは別の悲鳴……。

 多極化したざわめきに、リリアーナは気を取られた。


「サティーナ・ソワレ侯爵令嬢! 何をしてくれたのだ‼︎」


 国王の怒鳴り声が、神殿内にこだまする。

 賢王と名高い彼が公の場で怒鳴るなど、初めてのことではないだろうか。


「え? 一体何が起こって……」


 守るように立ちふさがるハリーの背中から、リリアーナは顔をのぞかせる。

 怒りに震える国王の隣にはベビーベッドが置いてあって、ベッドへすがるような姿で王妃が崩れ落ちていた。

 一番目に並んでいたはずのルアネは、膝をついて祈りのポーズ。二番目に並んでいたはずのサティーナは、国王ににらまれて立ち尽くしているところだった。


「なんとなく、理解した。どうやら紫薔薇の聖女は、ルアネ様を押しのけて一番に王子へ祝福を贈ったらしい。そして、カレンデュラの祝福によれば、王子には先天的な病があり、現在の医療では到底、治せるものではないと」


「そんな……」


 ちょっと目を離した隙に、そんな大事件が起こるだなんて。

 一体誰が、予想できただろう。


「万が一を考えての配列だったのに、紫薔薇の聖女が勝手をしたわけだ。国王が怒るのは当然だな」


 短命の王子に、王座の約束。

 祝福し直せばいいと言われればそれまでだけれど、第二、第三と王子が生まれたら後継者争いが勃発しそうだ。

 数代前から続く平和な治世が、終わりを迎えるかもしれない。


「たかが侯爵令嬢の、傲慢ごうまんでちっぽけなプライドのせいで」


 そう言ったのは、誰だったのか。

 ざわめきは徐々に大きくなり、神殿内に波及していく。


「完璧な方だと思っていたのに」


 呆気に取られた顔で立ち尽くすリリアーナの口から、かすかなつぶやきが漏れた。


 紫薔薇の聖女、サティーナ・ソワレ。

 ソワレ侯爵家の長女で、リリアーナの姉。

 彼女は生まれた時からずっと、ソワレ家の女王様だった。


 サティーナが薔薇なら、リリアーナはその辺に生えている雑草。サティーナが夜空を照らす月ならば、リリアーナは道端に転がる石ころ……。


 リリアーナにとってサティーナは、到底敵いっこない、雲の上の存在だ。

 だがその彼女は今、国王に叱責しっせきされて立場を追われようとしている。


 それはリリアーナにとって、驚くべき光景だった。


「彼女は変わらないな」


 心の底から嫌悪するように、ハリーは吐き捨てた。

 聞いたことのないドス黒い声色に、リリアーナは聞き間違いかとハリーを見上げる。


「え……?」


「あの女とリリアーナが姉妹だなんて、今も信じられない」


 サティーナの背中をにらむハリーの目には、侮蔑しかなかった。

 彼は一体、サティーナに何をされたのだろう。

 きっとリリアーナがされたような、人としての尊厳などないかのような扱いをされたに違いない。


「これはきっと、因果応報というやつなのだろう」


 ハリーはニヤリと、端正な横顔に悪人めいた笑みを浮かべた。

 美麗な顔というのはどんな表情でも引き立ててしまうらしい。危うい色香を浴びせられて、リリアーナの頬が朱に染まる。


「そうですね。ようやく、吹っ切れた気がします」


 ハリーの雰囲気にあてられたのか、冷めた表情でサティーナを見つめるリリアーナ。

 視界の端で、顔を真っ青にした父が倒れた母を介抱しているのが見えたが、助けようと思うどころかかわいそうだとも思わなかった。


 壇上で、エドランド侯爵が手招きしている。

 いち早く気がついたハリーは、リリアーナに手を差し出した。


「さぁ、出番だ。行こう、リリアーナ」


「はい、ハリー様」


 大きな手にそっと手を重ねると、やわらかく引き寄せられた。

 かすかに残っていた不安が、舌の上で砂糖菓子が溶けるみたいにほどけていく。


 リリアーナが祈りを捧げると、どこからともなく花びらが舞い落ちてきた。

 馨しい青薔薇のフラワーシャワー。人々は唖然あぜんとしながら、幻想的な風景を見入る。

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