第13話 聖女の脅し

 ハリーは熱中症に至った理由を言わなかったが、騎士たちの目は雄弁に語っていた。

 人の感情の機微に疎いリリアーナにさえわかるほどの動揺ぶりで、彼らは軽く問い詰めただけであっさりと白状した。


 どうやら、騎士の一人がハリーの素顔に免疫がなかったらしい。

 リリアーナの身の回りの世話をさせるという名目で同行していた彼女は、入隊したての新人で、ハリーの事情をよくわかっていなかった。


 この旅が始まってすぐに、彼女はハリーの素顔を見てしまい、失神。

 以降、騎士たちはリリアーナに心配をかけまいと、ひた隠しにしてきたそうだ。ハリーの命令で。


「申し訳ございません……」


「いえ、責めるつもりはありません。でも、でも……」


 ため息混じりに「でも」を繰り返すと、ため息の分だけ場の雰囲気が重くなっていった。


 初日に聞こえた吹き出し笑いは、彼女のしわざだったらしい。

 そんなわけがないと思ったことだったが、まさか的中していたとは。


(新人が嫌だとか、ぜいたくを言うつもりはないけれど……失敗したら黒薔薇ローズノワールの聖女に祝福されると思わなかったのかな?)


 新人騎士ならば、失っても大した痛手にならないと踏んだのか。

 それとも、ハリーがいるからカバーできると思ったのか。


(それにしたって、ハリー様が耐えればいいという話ではないでしょう)


 ワナワナと、リリアーナの胸に怒りが沸いてくる。

 騎士たちだけでなく、ハリーにも腹が立った。


(少しはご自分のことも考えてもらいたいものだわ!)


 ハリーときたら、いつだってリリアーナの身ばかり案じていて自分のことは後回し。

 リリアーナができる精一杯の気遣いも無駄にして、結局倒れた。


(ハリー様が勝手にするなら……わたしも勝手にさせていただきます!)


 目指すは、ハリーの安眠。

 つまるところ、新人騎士の排除である。


 今更嫌われたところで、どうだと言うのか。

 ひと月も一緒にいて、ただの一言も交わさなかったような相手なのだから、やりたいようにやればいい。


 リリアーナは表情を落とすと、目をすうっと細めた。リリアーナを叱る時の、母のように。

 にらまれた騎士たちが、ギクリと肩を竦ませる。


「わたしにお世話係なんて、不要なのよ」


「えっ!」


 うつむいていた新人騎士が、リリアーナの低い声にガバッと顔を上げる。

 そんな彼女にリリアーナは、ムッとした顔で笑うしかなかった。


「だって実際、わたしはあなたからお世話されていなかったでしょう?」


 リリアーナの言葉に、騎士たちが「どうなんだ?」と新人騎士をせっつく。

 新人騎士はオドオドと、落ち着かなげに体を揺らしながら答えた。


「あっ、はい。朝行くと、いつも準備万端でお待ちでした。だからてっきり、他の人が手伝ったのだとばかり……」


 なんで言わなかったんだ、とか。

 ちゃんと報告しろって言っただろ、とか。

 リリアーナがいる手前、言わないけれど言いたそうな顔をして、騎士たちは新人騎士をにらんでいた。


 リリアーナもそう思うけれど、言ったらますます萎縮させてしまいそうだから、言えない。

 ため息を吐きそうになる唇を、キュッと噛み締めた。


 リリアーナは侯爵家の令嬢だが、サティーナと違って侍女がいなくても自分の世話くらい自分でできる。

 食べるものを用意したり、着る物をつくったりはできないが、自室でできることはおよそ全部、それも音を立てずにできるのだ。


(ハリー様が構ってくれるのがうれしくて……つい……言いそびれていたわ)


 言えるタイミングがなかったかと言えば、うそになる。

 言うタイミングなんていくらでもあったけれど、リリアーナはあえて言おうとしなかった。


(だって、大丈夫だって言ったら、構ってもらえなくなってしまうかもしれないもの)


 本当は大丈夫だけど、構ってほしい。

 素直にそう言えたらよかったのだろうけれど、あいにくリリアーナは甘え方がよくわからない。

 甘えることを覚えてくれと言われた手前、なんとかしなくちゃと考えて、でもわからなかったからできないふりをするしかなくて……。


 きっとそのせいで、今回のことが起きてしまったのだ。

 リリアーナがちゃんとしてさえいれば、未然に防げたことだった。


(わたしは、直さなくちゃいけないわ)


 思っていることを話すのは、黙っているより難しい。

 いつか、ちゃんとできるようになりたい。

 でもそれは、今じゃない。

 今はとにかく、新人騎士を帰すことに注力しなくては。


「わたしにお世話係はいらない。それは、わかりますね?」


「……はい」


「ハリー様には休養が必要です。幸い、シュタッヘルまであと少しというところまで来ましたし、ここでお別れしましょう」


「お別れって……しかし、聖女様!」


 両親やサティーナを思い起こしてまねしているが、リリアーナは彼らが頻繁にこんな態度を取れていたことが不思議でならなかった。


(いつもいつもイライラしていて……疲れなかったのでしょうか?)


 すでにリリアーナは疲れていた。

 ハリーの安眠のためとはいえ、静かに怒りを持続させるのは大変である。


「あなた方がいたら、ハリー様は仮面を外せません。それでは、治るものも治らない」


「そ、れは……」


 リリアーナの言う通りで、騎士たちは押し黙った。

『では、新人騎士だけを帰します』とならないのは、新人騎士が女性だからだろう。

 それに、彼女一人を帰して何かあった場合、黒薔薇の祝福のせいだと言われてしまうかもしれない。


 だからリリアーナは、騎士全員とお別れしようと決めたのだ。

 ハリーを守るためなら、悪者になったって構わない。そう、思って。


「だから、ここでお別れしましょう。騎士とはいえ、新人の、それも女性を、一人で帰すことはできません。かといって、二手に分かれるのも面倒です。ハリー様を残して、あなたたちだけで帰りなさい。そして隊長に、任務は無事に遂行されたと伝えるのよ」


「しかし、」


「黒薔薇の聖女に逆らうのですか?」


 リリアーナの冷ややかな一瞥に、騎士たちは震え上がった。


 黒薔薇の聖女に逆らうことは、死の可能性があるということ。

 リリアーナ渾身の必殺技【わたしに逆らうわけ?】に、騎士たちが白旗を振ったのは言うまでもない。

 彼らはすぐに荷物をまとめると、あいさつもそこそこに、逃げるように帰っていったのだった。

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