第12話 騎士は仮面を奪われる
順調だった旅に暗雲が垂れ込めたのは、シュタッヘルまであと少しというところだった。
茨の城へ向かう、暑い夏の旅。
リリアーナに負担がかからないように、のんびりとした日程で旅の予定は組まれていた。
野宿はなし。しっかり休憩を取りつつ余力を残して街で宿泊。
過酷どころか観光する時間まであって、馬車の中はお土産でいっぱいである。
ハリーに至っては「リリアーナへ」と言いながらたくさんの贈り物を購入してくるものだから、他の騎士たちは「もう言いなりにされているのか⁉︎」と明日は我が身とばかりに怯えていた。
とはいえ、この暑さの中、仮面を被ったままの護衛など狂気の沙汰である。
リリアーナは何度も「気にしないから仮面を外してほしい」と言ったのに、ハリーが仮面を外すことはついぞなかった。
そうして根性で我慢すること、数週間。
明日にはシュタッヘルへ到着するというところで、ハリーは倒れた。
医師の診断は、わかりきったことだったけれど、熱中症。
数日間の入院を余儀なくされた。
「すまない……」
「だから仮面を外してくださいと、あれほど……」
「ああ、リリアーナは注意してくれていたのに、申し訳ない……」
ケットを被り、広い肩を申し訳なさそうにすくめるハリーは、みの虫みたいだった。
(毛虫の騎士改め、みの虫の騎士……なんて、今は笑えない冗談だわ)
タオルを濡らし、ひんやりとしたそれで彼の火照った顔を拭う。
気持ちよさそうに目を細めるハリーは警戒心のかけらもなく、普段の彼がどれほど気を張っているのか、リリアーナはわかってしまった。
(家にこもっていた時の、わたしみたい)
物音を立てないように。
薄暗い部屋の中、リリアーナは必死に無音で生活する術を身につけていった。
舞踏会がある夜だけが、リリアーナの心が安らぐ時間だった。
家族が出払っている夜だけは、気を張ることなくゆっくり眠れたのだ。
わかってしまえばもうそれ以上怒る気になれず、リリアーナは感情を持て余したまま、唇を尖らせて椅子へ腰掛けた。
「すまない」
「謝ってほしいわけでは……いえ、今はとにかく、休んでください」
サイドテーブルへ置いてあった仮面を、引き出しにしまう。
これでもう、ハリーは仮面を被れない。
リリアーナの、監視という名の看病のもと、素顔のまま寝るしかないのだ。
「ここにはわたししかいませんし、仮面を被る必要はないと思います」
またすまないと謝罪されそうになって、リリアーナは怒った顔をつくってハリーをにらんだ。
(これは、
もともと気の弱そうな顔立ちをしているリリアーナが怖い顔をしたって、まったく迫力がない。
やってやったわ! と満足げなリリアーナを見て、ハリーはニヤケそうになる顔をケットで覆い隠した。
「……リリアーナは変わっているな」
「ないない尽くしの令嬢と呼ばれているのは知っています」
「そうだろうか……俺は、そうは思わないが……」
眠くなってきたのだろう。
ハリーの声が、甘えるような舌足らずの口調になっていく。
「変わっているって、褒め言葉のつもりだったのですか?」
「たぶん、そうだと思う」
「わたしはハリー様の方が変わっていると思います。だって、わたしとふつうに接してくれるし……」
「ん……うちのが、すまないな」
最後の方は寝言を言っているように判然としなくなって、やがてスゥスゥと規則正しい寝息が聞こえてきた。
「うちのが、か……」
うちとは、近衛騎士団第二小隊のメンバーのことだろう。
ハリー以外の騎士たちとは、とうとう仲良くなれずじまいだった。
「ひと月弱の付き合いで混ざれるとは思っていなかったけれど……まさか会話することすらないなんて」
ハリーのおかげで寂しくはなかったけれど、ひと月もあったのに一言も交わさなかったなんて驚きだ。
それほどまでに、
「そう考えると……ハリー様って不思議な方ね」
しばらく寝顔を見ていたリリアーナだったが、扉の向こうに気配を感じて立ち上がった。
「さて。ハリー様には悪いけれど、どうにかしなくっちゃ」
ハリーが倒れて、リリアーナは決心した。
正確に言えば、倒れた時はまだ悩んでいたけれど、彼が無防備な表情を見せてくれた瞬間、決心がついた。
ハリーのため、ひいてはリリアーナのため、これは必要なこと。
今がやるべき時なのだと、リリアーナは自身に発破をかける。
(竜が怖いとか、言っている場合じゃないわ)
問題はたくさんあるが、どうにかなるはずだ。
それに、リリアーナは魔法の言葉を持っている。「黒薔薇の聖女に逆らうのですか?」だ。
(わたしに怯えているあの方たちなら、必ず効果があるはず)
扉の前で一度深呼吸をしたあと、リリアーナは引き戸に手をかけた。
清潔そうな真っ白な扉を開けると、病院の廊下に騎士たちが立っている。
皆一様に真っ青な顔をして、リリアーナを見ていた。
(まるで処刑人を見るかのようね)
話に聞く黒薔薇の魔女は、それはもうやりたい放題だったそうだから、仕方がないのかもしれない。
もっとも古い文献にある黒薔薇の魔女の口癖は「首を刎ねよ」だったと言われているし、言うことを聞かない子どもに「黒薔薇の魔女が来るよ」と声をかけるのはよくあることだ。
(ハリー様はいつもふつうに接してくれるから忘れそうになるけど……黒薔薇の聖女に対する態度としては、きっと
旅の間中ずっとこの調子だったから、慣れはしないけれど驚きはしない。
嫌われるのは、家族で慣れっこだ。そう、思いたい。
(大丈夫、大丈夫よ。だって、わたしはわたし。前の黒薔薇の聖女と、同じ道をたどるとは限らない)
俯きたくなる気持ちを隠し、リリアーナは騎士たちを見た。
彼らからしてみれば、にらまれたも同然だっただろうが。
「お話があります」
言葉を発しただけで、飛び上がらんばかり。
つわもの揃いの近衛騎士が、だ。
ついてくるようリリアーナが言うと、騎士たちはまるで死地へ赴くような絶望の表情で、のそのそとついてきた。
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