第11話 騎士の願い
ちょっと目を休めるつもりでまぶたを閉じたつもりが、すっかり寝入ってしまっていたらしい。
ふと目を開いたら馬車が停車していて、リリアーナは驚く。
「え……?」
いつから停まっていたのだろう。
周囲を見回しても、近くに人の気配はない。
「みんなはどこ?」
外では小鳥が楽しそうにさえずっているが、逆にそれが馬車内の静けさを際立たせる。
リリアーナは急に不安になって、居心地が悪そうにモゾモゾと体を動かした。
「まさか、置いていかれたわけじゃないよね……?」
嫌な想像に、ゾクッと肩が震える。と、その時だった。
リリアーナの足元に、パサリと何かが落ちる。
「これは……」
拾い上げたものは、金ボタンが縫い付けられた上着だった。
棘のある蔦が描かれた金ボタンは、近衛騎士団第二小隊の騎士だけに許された特別なもの。
さらに薔薇の花も描かれているのは、隊長と副隊長だけに許された意匠である。
「……ということは、これはハリー様のもの?」
広げてみると、かなり大きい。
ちょっと羽織ってみたいという欲が湧いたが、恥ずかしくなってやめた。
上着を丁寧に畳んだあと、リリアーナは立ち上がった。
そして、慣れない手つきで馬車の扉を開ける。
夏の暑さを吹き飛ばすような、さわやかな風がリリアーナの髪を揺らしていった。
そう遠くない場所からサラサラと水が流れる音が聞こえてきて、騎士たちが談笑する声も聞こえてくる。
「なんだ、休憩中だったのね」
休憩時間は、日に何度かある。
今回はリリアーナが眠っていたために、声をかけられなかったのだろう。
置いていかれたかもしれないという恐怖から解放されたリリアーナは、その場でヘタリと座り込んだ。
図らずもハリーの上着に顔を埋めることになって、彼女は慌てて顔を上げる。
ギュッと上着を握った瞬間、ふわりといい匂いが彼女の鼻をかすめた。
「ラベンダー、かしら」
男性が好む匂いとしては、珍しいのではないだろうか。
といっても、リリアーナが知る男性なんてほとんどいないのだけれど。
「それにしても、落ち着く……」
きっと、この匂いのおかげで安眠できていたのだろう。
眠りが浅いリリアーナが、馬車が停まっても起きなかったなんて、初めてのことだった。
「返しに行くべきなのだけれど……」
もうちょっと借りていたい気もして、リリアーナは難しい顔をして考え込む。
それに、騎士たちの休憩時間を邪魔したくなかった。
旅路は半分ほど過ぎたが、リリアーナはハリーとしか会話をしたことがなかった。
シュタッヘルへ着けば、ハリーはリリアーナと二人きりにならざるを得ない。
だからせめて今だけは、寂しいけれど彼らと過ごさせてあげるべきなのだろう。
「邪魔したら悪いもの……」
「何が邪魔なんだ?」
不意に上から声が降ってきて、リリアーナは驚く。
慌てて顔を上げると、いつの間にここまで来たのか、遠くにいたはずのハリーが立っていた。
「ハリー様」
顔を上げたリリアーナの胸元で、自分の上着が抱きしめられている。
目を止めたハリーは一瞬驚いたように唇を緩ませて、それを隠すように手のひらで覆った。
「ハリー様?」
自分の胸元にある上着にチラチラと視線が注がれていることに気が付いたリリアーナは、上着を抱きしめていることに気がついた。
離したくないと、無言で訴えているように見えたかもしれない。そう思うと恥ずかしく、カァッと頰が熱くなった。
「あ、えっと、これは、その……お返しするつもりで持っていただけで、いい匂いだなぁって嗅いでいたわけじゃな……あっ」
弁解するつもりがその通りのことを言ってしまって、リリアーナは焦った。
真っ赤になった顔でそろりと顔を上げると、目尻がほんのり赤らんだハリーと目が合う。
潤んだ黒の目はすごく色っぽくて、だからリリアーナはこれ以上ないくらい焦ってしまって、ギュッと目をつぶった。
「おっ、おかげさまでゆっくり休めました。上着、ありがとうございました!」
リリアーナは一息に捲し立てるように言うと、手を伸ばしてハリーに上着を押し付ける。
ギュウギュウと押し付けると、反射的に受け取ってもらえたようだ。離れていく上着にほんの少し名残惜しさを感じながら、リリアーナはそろりと手を離した。
「よく眠れたのなら、よかった。いい匂いはおそらく、これだろう」
ハリーはそう言うと、ポケットから小さな袋を取り出した。
リリアーナの髪色に良く似た紺色の糸で刺された、薔薇模様が美しい
遠慮がちに匂いを嗅いでみると、ラベンダーの香りがした。
「そうです、この匂いです」
何度嗅いでも落ち着くいい匂いだ。
思わずホワッと表情をやわらげるリリアーナに、ハリーは香り袋を突き出した。
「気に入ったのなら、持っているといい」
「え、でも……」
「遠慮しなくていい。ほしいなら、また作る」
「えっ? これ、ハリー様の手作りなんですか?」
「ああ。今は移動中だからこれくらいしかできないが……」
実は普段着ている服も自作なのだと聞いて、リリアーナは驚いた。
熊のように大きな男性が、小さな針を器用に使って服を作るなんて。
リリアーナの脳裏に、童話のような風景が思い浮かぶ。
ふふっと笑うと、ハリーの雰囲気がぐっと明るくなるのを感じた。
「茨の城へ着いたら、リリアーナとしたいことがたくさんあるんだ」
「え、でも……」
楽しげに語るハリーに、リリアーナはどうしたら良いのかわからない。
さすがにそれは、どうなのだろう。
リリアーナは、自分なんかのために彼の時間を使わせることが申し訳なく思えた。
言い淀むリリアーナに、ハリーは持っていた香り袋を握らせると、
「俺に甘えることを覚えてくれ。いつまでも遠慮されているのは、寂しいからな」
と力強く見つめてきた。
(ハリー様は、世話好きなのでしょうか?)
リリアーナの目には、ハリーがリリアーナのことを構いたがっているように見える。
(もちろん、そんなわけはないでしょうが……)
でも、熱を帯びて潤んだ目は、リリアーナが好きな宝石街灯のように煌めいていて。
(とても、断れるような雰囲気ではありません!)
視線の熱量に気圧されたリリアーナは、ついに根負けして頷いてしまった。
「そうか! ありがとう、リリアーナ」
嬉しそうに礼を言うハリーに、リリアーナは言葉もない。
お礼を言うべきはこちらなのに。
むしろハリーの方が喜んでいて、どう反応したら良いものかとリリアーナは悩む。
(宰相も王様を支えるお仕事だもの。エドランド家は、世話好きなおうちなのね。でも、黒薔薇の聖女にそこまでの価値があるのかしら?)
半ば強制に近かったというのに、リリアーナは申し訳なさを拭えない。
断っても良いのですよ……? と弱気に見つめたが、上機嫌なハリーが気付くことはなかった。
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