第7話 騎士との出会い

 馬車が次の町に着いたのは、夕飯時をやや過ぎたあたりだった。

 魔法石を使用した明かり──通称・宝石街灯が等間隔で並ぶ大通りを、馬車は宿へ向かってゆっくりと進む。


 物音を立てても、誰にもなにも言われない。

 ただそれだけのことが、リリアーナの気分を高揚させる。

 ソワレ侯爵邸をあとにした直後は、なにもかもがどうでもいいと投げやりな気持ちになっていたが、今は少しだけ持ち直して、外の景色を楽しむ余裕が出てきていた。


「はぁ……綺麗だなぁ」


 リリアーナは初めて見る宝石街灯を、馬車の窓からうっとりと眺めた。

 本で読んだ時に受けた印象の、何倍も美しい。

 チカチカとまたたく光は、赤にも青にも、黄色にも緑にも見えて、見ていて飽きなかった。


「茨の城にもあったら、うれしいなぁ」


 茨の城は、どんなところだろう。

 願わくは、この街のように綺麗な場所だとうれしい。


「街灯は無理でも、ランプのようにすればわたしにも使えるんじゃないかな」


 その場合、誰に頼んだら用意してもらえるのだろう。というか、頼んでも大丈夫なのだろうか──と、そこまで考えたところで、リリアーナは困ったように眉を寄せた。視界の隅に、何かが映り込んだからだ。


「なんだろう、あれ……」


 じっと見つめてみる。

 わかりにくいが、それは座り込んだ人のようだった。


 大きな背中は、騎士服で覆われている。

 現在この街にいる騎士は、近衛騎士団第二小隊だけのはず。

 つまり、すぐそこに座り込んでいるのは、これからお世話になるであろうハリーの関係者ということだ。


「ああ、通り過ぎちゃう。ごめんなさい、ちょっと止めてください!」


 気がついた瞬間、リリアーナはとっさに声を上げていた。


(無難に見なかったふりをすれば良かったのに)


 心のどこかでリリアーナを引き止める声がする。

 けれど、今更どうしろというのか。


 すでに御者はリリアーナの訴えで馬を止め、どうどうといなしている。

 なんでもないというにはあまりにも、リリアーナの声色は必死すぎた。


(ないない尽くしの令嬢、リリアーナ・ソワレ。あなたに何ができるというの?)


 意地悪な心の声から目を背け、リリアーナは馬車を飛び出した。

 なるようになれと、半ば自棄な気持ちで騎士のそばへ駆け寄る。


「あ、あの! 大丈夫ですか?」


 発した声は、ひどく震えていた。

 初めて知らない人に声をかけて、リリアーナは今にも泣きだしてしまいそうな顔をしている。


 リリアーナに声をかけられた騎士は、ムクッと頭を上げた。

 服の上からでもわかるくらい、丸々と鍛えられた筋肉。硬質で癖のある、タワシみたいな頭。予想していたような毛むくじゃらの顔はしていないようだけれど、条件に当てはまる人をリリアーナは知っている。


「……毛虫の騎士様?」


 リリアーナの言葉に、騎士の大きな背中がビクッとわななく。

 途端に、近づくなと言わんばかりのオーラが、ブワッと彼から溢れ出した。


 わかりやすく拒絶されて、リリアーナはたまらず、逃げたいと思った。

 けれど彼が毛虫の騎士様ならなおさら、逃げるべきではない。

 リリアーナはなけなしの勇気を振り絞り、口を開いた。


「ごめんなさい、不愉快な思いをさせてしまって。でも、どうしても放っておけなかったんです。その……もし良ければ、お手伝いさせてもらえませんか? だってわたしたち、これから長いお付き合いになりそうですから」


 リリアーナは考えながら、つっかえつっかえ言葉にする。

 そんな彼女を止めるでもなく、騎士は苛立たしげな空気を出したまま黙りこくっていた。


「長い、付き合いだって?」


 リリアーナがこれ以上言うことを思いつかなくて黙ると、騎士は立ち上がり、彼女の方へ向き直った。

 まず目に入ったのは、見事な肉体。それはおそろしく鍛えられていて、リリアーナは、


(むきむき……むきむきです……肉団子……いや、ボンレスハム?)


 と目が釘付けになった。


「こんな筋肉、見たことない……」


 リリアーナは筋肉フェチというわけではない。むしろ、今の今まで興味もなかった。

 しかしそれでも見入ってしまう魅力が、彼にはあるようだ。


 口を半開きにしてうっとりとしているリリアーナに、男は「んんっ」と咳払いをする。

 リリアーナはハッとなって、


「ああ、すみません。つい……」


 と言いながら、恥じらいつつ視線を上へ向けた。


 毛虫の騎士の顔は、少なくともリリアーナが想像していたようなものではなかった。

 左右非対称のひしゃげた顔は、一般的に綺麗とは言い難い。けれど醜いと言うほどのものではないな、というのがリリアーナの感想だ。


 騎士の顔を見た人が、ヒッと息を飲んで足早に去っていく。

 それを横目で見送るリリアーナの視界に、少しでも暗い方へ顔を寄せようとしている騎士の姿が映った。


 騎士の姿はまるで、自分を見ているようで。

 リリアーナは苦い気持ちになりながら、少しでも彼の気持ちが安らぐように、普段滅多に上げない口角を上げて微笑んだ。


「はじめまして、リリアーナ・ソワレと申します。近衛騎士団第二小隊副隊長のハリー・エドランド様とお見受けしますが、間違いないでしょうか?」


「……ああ」


 宝石街灯に照らされた黒の目は、まるで満点の星空のようにキラキラしていた。


 チカチカ、キラキラ。

 なんて綺麗なんだろう。


 またしても見入ってしまったリリアーナに、ハリーの顔が不機嫌そうにしかめられる。

 ちょっと顎を引いて、まるで不可解なものを見ているかのよう。


(不躾に見すぎてしまったかしら……?)


 でも、見ずにはいられなかった。

 それくらい、彼の目が印象的すぎて。


 リリアーナは、目を離せない。

 再び咳払いをされて、彼女は名残惜しさを感じながらそっと視線を外した。


「ルアネ様からあなたを頼るよう言われているのですが、ご存じですか?」


「ああ、聞いている。そのため、これから宿へ向かおうとしていたのだ。だが……」


「だが?」


 ハリーの口がムッスリとへの字を描く。余計なことを言ったと言わんばかりだ。

 リリアーナが先を促すように見つめていると、彼は渋々といった様子で口を開いた。


「横道から駆け出してきた子どもにぶつかられ、倒れそうになっていたのを助けようとしたら仮面が外れて……」


 仮面をつけるのは、その顔を隠すためだろうか。


(むしろ、逆に目立つのでは?)


 リリアーナはすごく気になったけれど、ボソボソと言いたくないことを無理に話しているらしいハリーに、質問するのは難しい。


「通りすがりの馬車に仮面を粉砕されるわ、悲鳴をあげた子どもは泣きじゃくりながら暴れ、運悪くその……足が、ヒットしてな……」


 ハリーの視線が、自身の下半身へと向かう。


「足がヒット……」


 よくわからないが、近衛騎士が地べたに這いつくばるくらいとにかく不幸な出来事が重なったことだけ、リリアーナは理解できた。


「子どもは、どこへ行ったのですか?」


「ああ、母親が連れて行ったから問題ない」


「そうなんですね。無事でよかった。あなたが体を張って子どもを止めてくれて、良かったです。そうでなければ、馬車に轢かれていたのは仮面ではなく子どもだったかもしれません。子どもを助けてくださって、どうもありがとうございます」


 深々と頭を下げると、動揺した空気を感じた。

 あなたが頭を下げる必要なんてない、と。そんなことを言いながら、けれど彼はまんざらでもない様子だ。


「それで、仮面は……どうしてもないと駄目なんですか?」


「駄目というか……この顔は、気味が悪いだろう? 晒して歩くと皆を怯えさせてしまうから、しないわけにはいかない」


 会話を続けている間も、ハリーはジリジリと暗がりへ逃げようとしていた。


「怯えるほど怖い顔をしているようには見えないのですが……でもまぁ、事情はわかりました」


 リリアーナはそう言うと、肩にかけていたショールを外した。

 投げ縄をするようにショールを彼の頭へ被せると、そのまま顎の下でキュッと結ぶ。


「予備の仮面は持っていないのですか? 持っているのであれば、保管してある場所まで馬車で送ります。そうすれば、誰に見られることもありません」


 近衛騎士が、頭にショールを被る。

 ちょっとどころかだいぶ不恰好だけれど、ないよりはマシだろう。

 結んだ部分をギュッと握っているハリーは、まるで奪われた精神安定剤──たとえばお気に入りの毛布とか──を返してもらった時の子どもみたいに、疑わしげな顔でリリアーナを見つめた。


「どうします?」


 リリアーナが子どもに接するようにやわらかな表情を浮かべると、ハリーは「うっ」と苦悶くもんの表情を浮かべて後退った。

 心配になって一歩足を踏み出すと、近づくなとばかりに片手で制される。


(ショールを奪われると思っているの?)


 そんなこと、しないのに。


 仲良くしたいのに、うまくいかない。

 これからずっと一緒に暮らすことになるというのに、今からこれでは先が思いやられる。


 まさか、コテンと首をかしげた彼女があまりにもかわいらしくて、ハリーが悶絶していたとは思いも寄らない。

 リリアーナは、憂いの表情で小さなため息を吐いたのだった。

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