第6話 ソワレ侯爵邸

 予想通りというかなんというか。

 やはりソワレ侯爵邸の門が開くことはなく、リリアーナは荷物一つ持ち出すことができないまま、馬車に揺られていた。


 思い出すのは、侯爵邸で見た光景だ。

「最後のお別れをしてきてください」と神殿から送られ、迎えてくれたのはかたく閉ざされた門。開けてもらおうと近づいたリリアーナが目にしたのは、大きな炎だった。


 燃え上がる炎へ投げ込まれるのは、たき木ではなくリリアーナの部屋にあった家具だったもの。煙とともに舞い上がっていたのは、リリアーナの服の残骸。


 黒薔薇ローズノワールの魔女の報復など怖くもないのか、あるいはリリアーナが報復することも思いつかないような救いようのない馬鹿のんびりやさんだと思っているせいなのか。

 リリアーナの家族だった人々は、彼女がいた証をためらうことなく、燃やし尽くそうとしていたのである。


「やだぁ、どうしてこんなにリリアーナの物がいっぱいあるのよ!」


「本当ね。いつの間にこんなに物が増えていたのかしら。どうせ帰って来られないでしょうし、燃やしてしまいましょう」


「そうだぞ。黒薔薇の聖女が我が家から出たなんて、恥でしかない。ほんの少しでも痕跡が残ることのないよう、消し去れねばならん!」


 炎に照らされた家族の顔は、みなニタニタと気味が悪いくらい上機嫌で。

 そこには、紫薔薇ローズヴィヨレットにふさわしい美貌も、品格も、教養も見当たらなかった。


(いったいどちらが、魔女なのだか)


 侯爵家に不似合いな安物とはいえ、長く使ってきたものだ。

 それなりに愛着もある。


 お気に入りだった淡い黄色のワンピースが炎の中へ投げ込まれたのを見た瞬間、リリアーナはもう大丈夫だと思った。

 それは、諦めたということなのか。それとも、目の前にあることを受け入れ、何も感じないという意味なのか。


(勘当されることは想定内。門前払いも当然、覚悟してた。でもこれは……)


 はたして本当に大丈夫なのかどうかは疑問だが、少なくとも家族のことはもう大丈夫だと思う。

 神殿に置いてきてしまった叔母にはちょっとだけ申し訳なく思うけれど、それだけだ。

 徐々に灰と化していくワンピースを見ていたら、最後くらいはきちんと……と思っていた自分が馬鹿馬鹿しく思えた。


 クルリと背を向けたリリアーナは、待たせていた馬車へさっさと乗り込んだ。

 御者が「もういいんですか⁈」と慌てていたが、リリアーナは無言で頷く。


「なぁ、真夏だっていうのにどうしてたき火なんてしているんだ?」


「さあなぁ。貴族のすることなんて、オレたちにわかるわけねぇよ」


「それもそっか」


 季節外れのたき火に気づいた通行人たちが、興味深げにワラワラと集まってくる。

 身動きが取れなくなるのを懸念してか、馬車はすぐに走り出した。


「いっそのこと、屋敷ごと燃えてしまえばいいのに」


 パチパチと爆ぜる音が鬱陶しい。

 リリアーナは全てを遮断するように、屋敷から目を背け、ただひたすらに外を眺め続けたのだった──。


「……はぁ」


 憂鬱ゆううつな回想から戻ってみると、もう日が沈み始めていた。

 真っ赤な夕日が、車内を照らす。

 別段好きでも嫌いでもなかった夕方が、今は明確に嫌いだと思った。


「わたしはいらない子だったんだなぁ……」


 改めて言葉にしてみても、心はちっとも動かなかった。

 疲れ切って泥のように眠った時みたいに、なんにも感じない。


「もう一生会うことはないだろうし……別にいっか」


 そう。もう、どうでもいい。なにもかも。

 どうせ、ないない尽くしの令嬢だったし。黒薔薇の魔女だし。茨の城に幽閉されちゃう身だし。


 挙げ続けたらキリがない。

 馬鹿馬鹿しくなって、リリアーナはパタンと馬車の座席へ横になった。


 馬車はすでに王都を出て、街道をまっすぐ茨の城の方角へと向かっている。

 茨の城へは、ひと月ほどかかるのだそうだ。


 真っ青な顔で質問に答えてくれた御者に、リリアーナはもう絶対に声をかけないでいようと決めた。また何か質問しようものなら、命乞いをされそうだったからだ。


「神殿へ行ったのは今朝のことなのに……」


 まだ半日とちょっとしか経っていないなんて、信じられなかった。

 感覚的にはもっとそれ以上……ひと月とか半年とか、それくらい経っていそうだ。


「いろいろありすぎて……ついていけない」


 家どころか部屋からも出してもらえなかったのに、今は王都もはるか後方にある。

 旅はまだ初日だが、ずいぶんと遠くへ来てしまったなぁとリリアーナは思った。


「ルアネ様が紹介してくれた方は、次の町にいるんだっけ……?」


 近衛騎士団第二小隊副隊長、ハリー・エドランド。

 鍛え抜かれた筋肉と硬質で癖のある髪のせいで、ちまたでは【毛虫の騎士】なんて呼ばれている人物である。


 美しい容姿と剣舞で有名な流浪の民【胡蝶こちょう一族】の美姫と宰相であるエドランド侯爵の末息子。

 容姿端麗な両親と見た目はちっとも似ていないが、天は二物を与えずとはよく言ったもので、彼は努力の才能に恵まれていた。


 貴族男性に必須な剣や経営はもちろんのこと、料理や掃除など家事全般、さらに女性の必須教養である刺繍なども会得している。

 しかもわりと凝り性な性質たちらしく、その道のプロに師事して徹底的に極め、おまえは一体何になりたいのだと周囲からはドン引きされているような、風変わりな男らしい。


「メイドたちのうわさ話から拾った情報だから、どこまで本当なのかわからないけれど……毛虫の騎士かぁ……」


 少なくとも、女性関係にだらしがないといううわさは聞いたことがない。

 その代わり、彼の顔は人として見られるものではない、非常に個性的な顔立ちをしているそうだ。


 現在ハリーは、近衛騎士団の強化訓練合宿に参加中だ。

 すでに早馬を飛ばし、黒薔薇の聖女に同行するよう話はついている──と、ルアネは言っていた。


「毛虫……毛虫かぁ…………大丈夫かな?」


 仲良くできるだろうか? 毛虫と。

 リリアーナは顔中毛むくじゃらの男性を想像して、案外ありかも……なんて思った。

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