第8話 梟

 

 モーガンは真っ直ぐ執事長の執務室へと向かった。


 リンジーの部屋があったのは、使用人たちの私室がある屋根裏の西側だ。

 ジェニーレン家の屋敷は、東西に伸びるように長く作られた2階建てで、最初モーガンが案内された応接室は1階の東側、図書室は2階の東側だった。

 2階はジェニーレン家の人々の私室や執務室などがあり、1階は食堂や応接室など、対外的に開放する空間となっている。

 2階はプライベート空間であるために、用のある使用人しか足を踏み入れられないが、図書室だけは別だ。

「知を得る機会は誰にでも平等にあるべきだ」という、現当主であるダヴ・ジェニーレン男爵の考えにより、図書室は使用人にも開放されている。

 そうした男爵の思慮深さにより、使用人たちは男爵を心から敬愛していた。



 この屋敷の使用人の中で、唯一、2階に部屋を持つ者がいる。

 それが執事長だ。

 主人の要望に素早く応えるために、執事長は、私室と、小さくはあるが執務室が2階に与えられている。



 部屋の位置関係を頭に思い浮かべながら、モーガンは階段を下っていく。

 モーガンは腹の中がどっしりと重たくなるのを感じながら、一歩一歩、歩を進めた。



 通りすがりのメイドに再度場所を確認し、モーガンは目的の扉の前に立つ。

 ともすると引き返したくなる自分を叱咤して、扉を叩いた。



「どうぞ」


 中から低く落ち着いた声が聞こえた。

 声からして「執事長」と云う役職によく似合う人物なのだろう。

 一体どんな人物が待っているのかと、モーガンは深く息を吸い込みながらドアノブに手を掛け、扉を開けた。



 扉を開けた正面のデスクに、1人の男が座って何か書類を書いている。

 くすんだ金髪をぴったりと後ろに撫で付け、寸分の乱れなく整えらえた袖から覗く手には、白い手袋が嵌められているのが見える。

 彼こそがジェニーレン男爵家の執事長、マリー・ロビンの父である、オウル・ロビンである。


 歳の頃は50を少し出た所だろうか。

 しかし調書によれば40を少し出た所だったとモーガンは思い出し、実際より幾分年嵩に見えるようだと思った。


 オウルが書類から視線を離しモーガンを捉えると、決して慌てた様子はないが素早い動作で立ち上がり、モーガンに近寄った。


「失礼しました。あなたが警察の方ですね」

「ええ。この度は、本当に大変なことになりましたね。お辛い時に申し訳ありませんが、お話を伺っても?」

「はい。構いません。男爵様からも、他の仕事より優先してご対応するよう仰せ遣っています。領内で起きた強盗事件の件で手が離さず、申し訳ないと仰っておいででした。こちらへどうぞ」


 オウルが促す手の先には、デスクに向かって右側に小さい丸テーブルと2脚の椅子があった。

 彼の部下たちが、彼の仕事を待つ時などに使われるスペースだろう。

 モーガンは「どうも」と軽く頭を下げ、入り口に近い方の椅子を引き腰を下ろした。

 モーガンが座ったのを見届けると、オウルも深く頭を下げてもう一脚に腰を下ろした。


「捜査に全面協力して頂き、男爵には感謝しています。随分と人格者なようですね」

「ええ。私たちにもよくして下さいます」


 オウルは微動だにしない表情で、目を伏せて頭を下げる。

 モーガンは、一瞬、ほんの一瞬だけ、オウルの言葉が詰まったのを感じた。

 普通の人間であれば気付かないであろう。

 それほどまでに、巧妙に隠し慣れている。


 オウルは幼い頃から男爵家に支える忠誠心厚い男だと聞いているが……違うのだろうか。


「申し遅れました。私はモーガン・クロウと申します」

「貴方が……。いえ、失礼しました。私はオウル・ロビンと申します」


 モーガンが名乗る度、毎度同じ様な反応をされることに苦笑する。

 それだけ有名になってしまったということだろう。

 いつものことながら、自分で着けてしまった枷は重い。


「ロビンさんは、マリーさんが湖に行くことを知っていましたよね?」

「ええ、もちろん。アデルお嬢様の予定は全て把握しております。マリーが付いて行くことも、承知していました」

「そうでしたか。では、マリーさんが出掛ける前、何か変わった様子はありませんでしたか?」

「いえ、特には……」


 オウルはほんの少しだけ眉尻を下げ、首を傾げる。

 まるで何か困惑している様に見える。


「例えば何か悩んでいたり、トラブルがあったとは聞いていませんでしたか?」

「それも……特には」


 オウルは顎に手をやり考える仕草をする。

 何故そんなことを聞くのかと、不審がっているように見える。


「あの、あれは事故だったのでは……?」

「ええ、そうですね、署の考え方はそうです。けれど、私は他の可能性も考えています」

「それは、マリーが誰かに殺されたと云うことですか……?」


 オウルは目を見開き、驚愕に固まっている。

 それまで大きく表情の変わらなかったオウルにとっては、驚くべき変化だった。


「いえ、まだそこまでは。あらゆる可能性を検討する為にも、色々な情報を収集している所です」

「そうですか……」


 モーガンは真っ直ぐオウルを見つめ、観察する。

 流石に困惑を隠しきれない様子だが、それでも『娘が殺されたかもしれない』と聞かされた父親は、もっと取り乱すものではないだろうか。

 アデルやクリフと同じく、オウルまでも何かがおかしい。

 いくら職務に忠実だと言っても、今この場では「公」でなく「私」のオウル・ロビンとして接しているはずなのに、唯一の一人娘を失った悲惨さが、どこにも感じられないのだ。

 モーガンは不審に思いながらも、もう一つ確認しなければならないことを思い出した。



「あの、宜しければマリーさんの部屋を見せていただいても?」

「はい、構いません。ご案内いたします」


 オウルは深々と腰を折り、モーガンを導いて部屋を出た。

 モーガンは黙ってその後に続く。

 歩きながら、後ろからオウルを観察する。

 オウルの足取りは迷いなくしっかりとしていて、動揺も困惑も悲しみも、何も感じられなかった。

 果たしてこれは、訓練された使用人のそれと片付けて、良いものだろうか。



 階段を再度登り、屋根裏にある東側の角部屋が、マリーの部屋だった。

 執事長の家族は他の使用人と同じ扱いになるのだろう。

 オウルが鍵を開け扉を開くと、中は簡素だがきちんと整理整頓の行き届いた部屋だった。

 広さは、リンジーの部屋と同じくらいだろうか。

 ただマリーはメイドたちの上司になる為か、個室だった。


 入って左手にベットが一つと、窓側に書き物机が一つあり、右手には飾り棚やワードローブが置かれている。

 リンジーの話の通り、飾り棚にはいくつか異国の品と思われる物があった。

 中でも、精巧なタイル張りの小物入れが目を引く。


 モーガンが小物入れの蓋を手に取り開くと、中には掌大の紙に書かれたデッサンが収められていた。

 マリーが描いたものだろうか。

 女性の横顔が描かれており、右下に「親愛なるお母さん」と書かれている。



「まさかこんなものが……」


 オウルはその紙を見ると、酷く驚いたようだった。


「これはどなたです?」

「……亡くなった、私の妻です。いえ、マリーの母親と言いましょうか」


 なるほど。

 確かにマリーに似ている、とモーガンは思った。

 しかしよく描けている。

 画家が描いたと言っても遜色ないだろう。


「これはマリー・ロビンさんが描いたものですか? 普段から絵を描かれるのでしょうか」

「……さあ、どうでしょう。聞いたことはないですが……」


 オウルはなんとも歯切れの悪い返事をする。

 右下の文章から見るにマリーが描いたもので間違いないように思うが、マリーが絵を描いていたことを知らないようだ。

 彼女は隠れて絵を描いていたのだろうか。


「……確か奥様は、事故で亡くなっているのですよね」

「ええ。メイヴィは……妻は、16年前に馬車の事故で亡くなっています」

「16年前というと、マリーさんは6歳ですよね。それなのに、とてもよく描けていますね」

「そうですね……」


 そう言ったきり、オウルは黙ってしまった。

 モーガンは暫し無言でオウルを観察すると、デッサンを元に戻して、他の置物に手を伸ばした。


「どうやらマリーさんはこういった異国の品がお好きだったようですね」

「そのようですね。娘の部屋には久々に入ったので、初めて見るものばかりですが」


 この品々は、そんなに最近手に入れたものばかりなのだろうか?

 そうとは思えないが……。


 そうですか、とモーガンは頷きながら、再度部屋を見回す。

 そしてワードローブが目に止まった。


「こちら、開けても?」

「ええ。どうぞ」


 オウルの言葉にモーガンがワードローブを開けると、中にはいくつかのドレスが収まっていた。

 どれもこれも地味で目立たない色のものばかりだ。

 これまで聞いてきたマリー・ロビンの印象そのものといったドレスだ。

 ふと、ワードローブの中に小ぶりな箱が入ってるのを見つけた。

 何の装飾もなく、まるで隠すように収められていたそれが、モーガンは何故か気になった。


 モーガンがその箱を手に取り、蓋を開けると、中には髪飾りが収められていた。

 これも異国の品だろうか。

 鮮やかな彩りのガラス細工が施され、とても美しい。


「マリーさんはよくこれを身につけていたんですか?」

「いえ……。一度も見たことはない、と思います」


 オウルは物珍しそうに髪飾りを眺める。

 確かに、「マリー・ロビン」という為人に、この髪飾りは酷く浮いた存在だ。

 あまりに華やかで、あまりに目立つ。


 何となく、マリーはこれを身につけたことはないのではないか、とモーガンは思った。


「ではどちらで手に入れられたかは?」

「いやそれも……」


 オウルは酷く困ったような顔をしている。

 モーガンは漏れそうになる溜息を既の所で呑み込んだ。


「マリーさんはよく買い物に行っていたのですか?」

「アデルお嬢様の買い物にはよく同行していました。大体週2日程度でしょうか」

「いえそうではなく、私的な買い物のことです」

「どう、でしょうか……」


 マリーの「公」の部分はすらすらと言葉が出てくるのに、私的な話になると途端に歯切れが悪くなる。

 オウルはきっと、マリー・ロビンのことを何も知らないのだ。


「父親……ですよね」


 思わず漏れてしまったモーガンの言葉に、オウルは顔を顰める。

 不愉快だと顔に書いてあるようだ。


 モーガンは軽く咳払いをして、髪飾りを箱に戻し、ワードローブを閉めた。

 努めて丁重に、ゆっくりとそうした。

 まるで、マリーがひっそりと隠していた想いを、大事に仕舞っておくかのように。


 そのワードローブを何処かぼんやりと眺めていたオウルを振り返り、モーガンは頭を下げた。


「本日はありがとうございました。ああ、そうだ。最後に一つお聞きしたいことが。マリーさんとクリフ・ミルヴァスさんとのご関係は如何でしたか」

「良好な関係だったと思います。彼は仕事熱心ですし、私も教え甲斐があります。結婚したら、良き夫婦になったでしょう」


 これまでの歯切れの悪さとは異なり、オウルはしっかりとした言葉で頷く。

 モーガンはなるほどと思う。

 オウルにとってクリフは、娘婿であると同時に自身の直属の部下に当たるのだ。

 今の言葉は、娘の父としてではなく、上司として部下を評価するものだろう。


「そうですか。では、マリーさんから、彼に対する相談や悩みを打ち明けられたりということも、なかったということですね」

「ええ。あの、彼に何か?」

「いいえ。単なる確認です。では、お仕事中にお時間をとって頂き、ありがとうございました。また伺うことになると思いますが、その際もよろしくお願いします」

「……はい。こちらこそ、ありがとうございました」


 オウルは釈然としないながらも、折り目正しいお辞儀でモーガンに返した。







 門まで見送ろうとするオウルを断り、屋敷の入り口から頭を下げるオウルに軽く会釈をして、モーガンは屋敷を後にした。

 門を潜り、しばらくした所で屋敷を振り返る。


 実に瀟洒で立派な屋敷だ。

 ジェニーレン家の素晴らしい評判を、そのまま表しているかのようだ。


 しかし何故だろう。

 どうにもモーガンには、居心地が悪くて仕方なかった。

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