第40話

 国王の病床は、随分と質素なものだった。

 王宮、中央の宮の北側の塔の一室。看病のためにベッドはあまり幅がなく、立派な装飾が施された天蓋に上等な布で帳をかけられているが、それだけだ。

 室内には医薬品を置くために小さな机、窓辺の椅子。他には何もない、寂しい部屋だった。


「トマシュ? なんでここに」

 最初に口を開いたのはルカだった。

 王侯貴族の前で市民が勝手に口を聞いてはならないと、頭では分かっていても、実践できたためしはない。

 国王のベッドの横に、文官のミ・パルティを纏ったトマシュが立っていた。


「セルジュ様から頼まれた仕事だよ」

「国王様のお世話をしてたのか」

「まあ、そんなところ。ちょっと、勝手にこっちに来たらダメだよ」

 トマシュに近付いたつもりだが、端から見れば許しもなく国王の寝台に近付いたことになってしまう。

 慌ててもといた入口近くに下がろうとしたルカを、オーレリアンが手を挙げて制した。

「良い。父上の許可は取ってある。近う」


 まず、オーレリアンとセルジュが寝台の両側に立った。ルカは促されてセルジュの隣に並ぶ。

 透ける絹地と、厚い綿ビロードの帳は両方とも上げられ、リボンで結わえて天蓋の柱に留められている。


「久しいな……オーレリアン、セルジュ」

 国王は枕に頭を乗せたまま息子二人に視線を送る。


 かつては金色だったのだろう頭髪も、手入れされた長い口髭も真っ白だ。顔中に深い皺が刻まれ、布団の上に置かれた手は指先が不自然に交差し、小刻みに震えている。病の症状なのだろう。

 湖面を思わせる蒼い瞳だけは輝きを失わず、オーレリアン、セルジュを見た後、ルカを真っすぐに射抜いた。


「賢者様……?」


 僅かな期間、それも十年近く前のことだが、ルカはその目を覚えていた。

 村の近くの山の遺跡で、ルカの頭を撫でてくれた。

 古文書を見せてくれて、読み方を教えてくれて、見込みがあると言ってくれた。あの賢者様だ。


「懐かしい、呼び方を……してくれる」

 声はすっかり掠れている。普段あまり話さず、体を動かすことも出来ないのだろう。唇はひび割れ、軟膏を塗った跡がある。


「テレケス山の遺跡で、古文書が見つかって……その調査団に、賢者様が」

「ああ、懐かしい。いかにも、ケレテス山には、かつて視察に赴いた」

「ル、ルカです! 覚えていますか? 賢者様の紹介でマルティネス様にご支援いただき、王立学院に入学することができました!」

 頬を紅潮させるルカの横で、セルジュが嘆息する。

「父上だったのか……ルカを見出したのは」


 かつて村に来た賢者様のおかげで王都に出てきたことは、セルジュに話してはいた。しかしその情報だけでは自分の父とは結び付かなかったのだろう。

 ルカもまさかあの学者が国王陛下だったとは、いまだに信じられない。

 しかし顔にも面影があり、ユベール国王本人もルカに向かってゆっくりと頷いてくれた。あの時の、あの賢者様なのだ。


「陛下の御病気は、恐らく振戦麻痺です。加齢と共に少しずつ体が動かなくなります」

 トマシュはいくつかの資料を見せながら説明した。

「毒による麻痺であれば、多くの場合もっと視力に影響が出るはずです。顔の硬直もありますが、言葉は問題がない。これは毒による症状ではありません。料理人や世話人を何度も変えたと聞いています。少量の毒を定期的に飲ませるのは難しい……もし毒物であれば体内に溜まっている時と、抜けた後で体に違いがあるものです。しかし陛下の御体調の記録にはほとんどそれがない。これは振戦麻痺です」


 トマシュの言葉を受けて、ユベール国王は疲れたように瞼を閉じる。

「左様……人であるが故、老いと病は、避けられん」


「これで欲しい証拠はすべて揃った。アニエス妃の死も、父上の病も、何者かの悪意による毒などではない」

「オーレリアン、陛下は、ずっとその証拠を探していたんですね?」

 呼び捨てにしそうになって慌てて敬称を付けたが、寝台の向こうのトマシュと部屋の隅のアルフォンスが揃って眉根を寄せる。

 オーレリアン本人も目を眇め、文句を言いたげな顔をしたが、嘆息だけに留めてくれた。

「叔父上の任を解くことだけなら、私ひとりでもどうにでもなる。しかし、この数年ですっかり甘い汁を吸い慣れた一部の貴族連中を黙らせるために、色々と準備が必要だった……それが下らない噂の否定であり、不正の証拠であり、根拠となる律令でもある」


「大丈夫、大丈夫だ」

 国王が震える手をゆっくりと、ほんの僅かだけ布団から上げた。セルジュとオーレリアンがそれを片方ずつ、同時に握る。


「我々は、人間だ」


 ルカはその光景を、瞬きも忘れて見つめた。

 憧れていた賢者様の言葉。そして、セルジュの孤独を溶かしてくれる、家族の声だった。


「欲がある、偏見の目を持つ、目先の利益に、目がくらみ……一時の感情に流される。病に勝つことができず、怪我をすれば血が流れ、人を傷つけ、己を傷つけた相手を恨む……そうして、日々、生きている。なくそうと、することはできない。人として生まれた、我々は、人として、死にゆくその時まで、人として生きる他ないのだ」


















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