第37話

 その日、ルカは生まれて初めて馬車に乗った。

 車窓からうしろに向かって景色があっという間に流れて消えていく。

 馬車の前後には護衛の騎士が馬に乗って連なり、窓のすぐ近くにアルフォンスの姿が見える。いつでもぴったりセルジュに付き従っている彼は、本当にオーレリアンの寄越した監視者なのだろうか。


「寒くないか?」

 窓を開けて顔を出しっぱなしにしているルカに、向かいに座ったセルジュが笑いの混じった声で聞いた。

「すいません、寒かったですよね。ついはしゃいでしまって」

「いや、私は大丈夫だ。閉めなくていい」

「……じゃあ、あともうちょっとだけ」

 ルカは馬車からの眺めをもっと見ていたくて、窓を閉めずに再び外を見た。


 ふたりは旅支度をして王宮から出ると、東へと向かった。通り道だったので、レオンの眠る墓地に寄って祈りを捧げる。

 目指すはフォンフロワド伯領。

 セルジュの母の故郷であり、セルジュ自身も幼少期を過ごした土地だ。


「馬車では二日くらいですよね」

「ああ、途中オク・カパンデュとデラスで宿を取る予定だ」

 ルカは生まれた村と王都以外の土地へ行くのも始めてだ。遊びに行くわけではないと分かっていても、わくわくと胸が躍るのを止められない。


 フォンフロワドに行くのは、セルジュの立太子のための地盤固めと、反乱を起こそうとしていた計画の完全な中止を伝えるためだった。

 もともと法案提出のあとセルジュが伯領へと戻り、時期を見て王都に指揮者を送るという手筈だったが、もうその必要はない。セルジュのために無謀な計画に手を貸してくれた部下に、今度は立太子のための地道な計画を伝えるのだ。


「葡萄はほとんど収穫してしまったから、畑は見ても面白くないかもしれないな。だが、新酒の季節だ。話がまとまったら皆で飲もう」

「セルジュ様、意外とお酒好きですよね」

「食事にワインは欠かせないだろう?」

 城下の裏通りの食堂で出されるワインは水増しされていて不味いが、王宮で飲んだワインは同じ名前で呼ぶのも憚られるほど美味しかった。


 馬車は速度を上げ、ガタガタと車輪を鳴らしながら東へと走る。王子専用の馬車でも揺れは激しい。やはり、街道の舗装は早く手をつけるべきだ。

 予定通りオク・カパンデュとデラスという小さな町で宿を取り、三日目の昼前にはフォンフロワド城とその城下町が見えてきた。


「これが全部葡萄? 小麦は作らないんですか?」

「小麦はもう少し下の方に畑がある。葡萄は斜面で、小麦は下の平地で作る。その間に様々な他の果樹もある」

 葡萄畑が広がる丘陵地帯のなだらかな丘の上、広い高台に街が築かれている。


 フォンフロワド城へ繋がる街道は人の往来も激しかった。ルカたちと同じように城に向かう者、反対へ向かう者。馬やロバを引いている者も多い。空の荷車を引いているのは、城下の市場で商品を売り切った野菜売りだろうか。

 馬車が通ると畑仕事の手を休めて遠くからも農民が手を振ってくれる。


「セルジュ様が帰ってきたって分かるんですね。大歓迎だ」

「帰郷の報せは届いているだろうからな」

「入市式はしないんですか?」

「自領ではやらないものだ」


 城門を潜ると市民の歓声が増した。

 フォンフロワド伯の姿を一目見ようと通りに市民が押し寄せ、護衛が道を開けさせながらゆっくりと進まざるを得なかった。

 セルジュが窓から顔を見せ、手を振ると、更に歓声が上がる。


「タピストリーも飾ってありますよ。もうこれは式も同然ですね」

「ありがたいことだ」

 ルカは周囲を見渡し、熱烈な歓迎に素直に驚く。

 王宮で冷遇され、他の王族と交流を断たれていた状況とはまったく違う。伯領の人々はセルジュを自分たちの主人と仰ぎ、尊敬し、親しみを持っている。

「副伯がよく治めてくれるおかげで、留学中も安泰だった。おかげで私はとても良い領主だと思われている」

「副伯って、共同王が指名した新しい人ですよね?」

「ああ。私には辛辣だが、市民には誠実だ」


 領地を治めるというのは、楽なものではない。

 王宮への税の管理、街の警備や兵の訓練。どの土地を耕し、どの場所に道を通すのか。市場が手狭だと聞けば広げる算段をし、聖堂が古くなれば修繕し、飢饉に備えて食糧の備蓄をする。

 それらすべての責務を負うのが領主である伯だ。上手く回らなければ大勢の市民の反感を買い、石を投げられることになるだろう。


 ルカは市民の歓声を聞きながら、胸に喜びが込み上げてくるのを感じた。

 セルジュは愛されている。王都では孤独だが、セルジュにはちゃんと居場所があったのだと知れて、嬉しくて仕方がない。


「何より、前伯である母が愛されているのだ。この地のために命をかけて戦った人。私はその息子でしかないが」

「流行り病の人の看病もしていたんですもんね」

「ああ、あとで病院にも行こう。聖堂にも」

 ルカたちは二十日ほどフォンフロワドに滞在する予定だ。その間にセルジュの故郷をよく知りたい。


 城門から街の奥へと進み、城へ近づいてくると、通りに連なる建物の様子も変わってくる。間口の小さな雑多な建物から、大きく立派な屋敷へと。

 セルジュに向かって頭を下げる人々の装いも明らかに上等だ。

「この辺は貴族の住まいですか」

「大きな屋敷が多いからな。貴族や大商家、あとは兵舎や官僚舎、図書館もある。聖堂と広場は反対側の、あの尖塔の下だ」

 セルジュが指差した方角、二階建て三階建ての屋敷の屋根の向こうに、聖堂の尖塔の先が見えた。どの街でも尖塔は一番高く、遠くからでも分かるようになっている。


 それと同じ方向に、一際大きな屋敷があった。門前には若い騎士がズラリと並び、左胸の前に右手を翳してこちらに礼をとっている。

「あれは警備兵の宿舎ですか?」

 それにしては煌びやかだ。おそらく三階建てで、いくつものバルコニーがある。

「ガーランドの別邸だ。若い騎士がたくさんいるだろう? 地方からの行儀見習いも多く受け入れてくれているんだ」

「ガーランドってことは、アルフォンスの家? 大豪邸じゃないですか」


 まっすぐ横一列に並んだ騎士たちの近く、使用人や他の通行人も足を止める人混みの中、見たことのある金髪の持ち主が視界に入ってきた。

 セルジュと少しだけ似ているけど、まったく違う。忘れもしない、あの中庭でじっと観察した。


 ――なんで、オーレリアンがここに?


 並ぶ騎士たちより地味なマントを羽織った男は、熱狂する市民たちの間を縫ってそっと屋敷に近付く。


「ルカ、どうした?」

「えっ、あ、えっと」

 セルジュに呼ばれ、ルカはその人物から目を離した。もう一度ガーランドの屋敷の門を見ても、マントに金髪の男は見当たらない。


「いえ、なんでもないです。アルフォンスの家が大きくて、驚いてしまって」


 オーレリアンは、ガーランドの屋敷に入って行ったのではないだろうか。

 手のひらにじっとりと汗が滲み、ルカはそれを握りしめた。


















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