第36話
ふたりは並んで窓の外を眺めていた。帳を上げ、カーテンも開けたままでは夜の冷気が流れ込んでくるが、今日は雲ひとつなく月も星も輝いている。
「ありがとう、君のおかげで、星が良く見える」
「ルイス・ヴァン・ヴィートンですね。セプティマール詩集第三篇収録。バザクルとの終戦直後に編まれたもので、詩歌自体はもっと以前に作られています。セルジュ様のお祖母さんが国王だった時の編纂で、全部で十二篇」
「うん……さすが、よく勉強してる」
ルカの補足は間違っていなかったのだが、セルジュは困った様子で頬をかいた。
「君は詩歌をきちんと覚えているが、使い方には無頓着だ」
「詩歌に使い方が?」
セルジュの部屋には大きな窓があってバルコニーに繋がっている。透明度の高いガラスは磨き上げられ、一見すると素通しのようにも見える。
秋は日が落ちるのが早く、眠るにはまだ早い時間。
「今のは夏の歌ですよね。季節がズレていますが、それに意味が?」
ルカは照れ臭くてわざと無粋な物言いをした。
詩の意味はこうだ。
今まで星空を見上げることも忘れていたが、君と出会ったことで、美しいものを美しいと感じることを思い出した……反乱の先導などという破滅的な道へ突き進もうとしていたセルジュが、実際に今は精神的に落ち着いているということを伝えようとしたことは分かっている。しかし、本来これに応えるべき歌の作法を、ルカは知らなかった。
「うん。落ち着いたら本当に、一度どこかで行儀見習いをするといい」
「……お世話になります」
セルジュの肩の向こう、ガラス越しに満点の星空が広がっている。
「家の中で、星を見ながら長椅子でくつろげるなんて」
王宮の生活はまるで夢のよう。
毎日グリーンの美味しいお茶を飲み、肉を食べ、広い風呂に浸かることができる。灯りの油の量を気にすることもないし、毎日手入れされる庭は美しい。
「そういえば、生活する場所での嫌がらせはないんですね。もっと日陰の生活かと思ってました。小説ではよくあるじゃないですか。継母にいじめられて、外套を布団がわりにしていた王子の話」
「ははっ、布団を使えないほどの嫌がらせはないな。ただ、他の王子たちの部屋には行ったことがない。私が知らないだけで何倍も贅沢な暮らしをしているのかもしれないな」
「この何倍も? 想像がつかない」
椅子には均一な詰め物が、クッションは絹製で、背もたれの毛皮の手触りもこれ以上高級な品などないと思うほど上質だ。
それにセルジュの世話をする使用人たちも、冷遇された王子に仕えているという感じはしない。それが一流の王宮の給仕なのだろうが、セルジュの部屋で過ごしていると、外の喧騒や未来への不安などすべ忘れてしまいそうになる程居心地が良い。
「共同王は、本当に何を考えてうんでしょう。あからさまな嫌がらせはしないけど、立太子はさせない。王立学院閉鎖して、古文書を独り占めして、でも王族をバザクルに留学させたりして」
「バザクルへの留学は向こうの王族との交換だったからな。国力からして、断ることはできなかった。バチスト殿やバザクルに反発する者たちは最後まで抵抗したが」
バザクルと国境をめぐって争った戦いは、六十年前に決着を見ている。
ルカやセルジュはその後の友好同盟下での両国しか知らないが、バチストたち五十代くらいの年齢だと、幼いながらに戦火を味わっている。だから未だバザクルを隣国ではなく敵国だと考えているのだ。
「私は兄とまっすぐ向き合って話したこともない。人となりを知る機会すらなかった……悲しいことだ。同じ人を父にもつ兄弟なのに」
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