第34話
ルカはその足でセルジュの居室に踏み込んだ。
外にいた警備兵に取り次ぎを頼むと、扉は中からあっさりと開く。
部屋の中にはセルジュ本人とアルフォンスしかいなかった。他の使用人は人払いされているのだ。
「何ですか、その恰好は……」
ルカは剣呑な声とともにセルジュを睨む。
セルジュは随分と簡素な服を着ていた。
まだサーコートやマントを羽織る前のチュニックの裾から、ブレーとショースの境目が覗いている。普段着ている裾の長い優雅なチュニックではなく、染色もされていない丈の短い庶民のような服だ。
「そんな服で、夜会に行くんですか?」
「……そういう趣向なんだ」
「いくらなんでも嘘でしょう。いくら俺が貴族の夜会を知らないといっても、無理がありますよ」
以前アルフォンスが、ルカを探しに写本工房まで来た時の格好に似ている。
変装だ。
貴族であることを隠すための、もしくは、目立たず街を歩くための。
セルジュは突然部屋に入って来たルカに対して驚くこともなく、何事もないかのような涼しい顔を向ける。
「トマシュと会っていたのだろう。もう良いのか?」
「そのトマシュから聞いたんです。セルジュ様が、何か危ないことをしてらっしゃるんじゃないかって」
セルジュは曖昧な笑みを浮かべただけで答えなかった。
「君の行儀見習いの先が決まった。バザクル国のルエルグ家、とてもいい家柄だ。当主のロジェ殿は私のバザクル滞在中後見人となってくれた方で、信頼に値する」
唐突な話にルカは面食らったが、すぐに眉根を寄せた。
まさか外国まで行かされるとは思わなかった。それも、因縁深いバザクル国とは。
「……随分遠いですね」
「バザクルは良いぞ。私は自由が少なかったが、それでもこの国よりうんと良い経験ができたと思っている。何より学問の発展は比べようもなく、大学での議論には圧倒された。君ならきっと向こうでも歓迎される」
「俺が留学してる間、セルジュ様はどうされるんですか?」
間もなく、セルジュから任されていた草案が完成する。
「君がバザクルへ旅立つ。私は顧問会議に法案をかける。そして、ばっさりと否決されるだろう。その事実を王都城下はもちろん、国中に示すんだ。市民のための法案を、顧問会議は見向きもしなかった、と。私はフォンフロワド伯領に戻り――頃合いを見て反乱の指揮者を王都に送り込む」
ルカは目を閉じて、ひとつ大きく息を吐いた。
トマシュの考えていた通り……それよりもっと大きな動きが、すでに始まっていたのだ。
「蜂起して、その後は?」
「さあ、どうだろうか……バザクルが隙をついて攻め込んでくるかもしれん。しかし彼らは略奪や殺戮を目的としていない。帝国式の法典を持ってきてくれるだろう。バザクルが目論む帝国構想の第一歩になる」
「まさか、バザクルの誰かと一緒に計画したんですか?」
言ってからルカは咄嗟に自分の口を手で押さえた。
万が一にも、誰かに聞かれてはならない。それが戯言だとしても、セルジュの立場上あまりにも危うい発言だった。
「私の独断だ。バザクルでも兄のつけた監視の目が厳しく、有力者と通じるような隙はなかった。だが、世話になったルエルグ家に行儀見習いの口利きをしてもらうことくらいは出来た。実はトマシュには、ロジェ殿への書簡を運んでもらっていたんだ。昨日、承諾の返事が来たところだ」
「俺だけ、バザクルに逃がすってこと……?」
「ああ。大国の貴族の邸宅なら安全だ。うまくいけばバザクル大学で学ぶこともできるかもしれない。我が国が未来の帝国の一部になったとしても、君はそのまま自由に学問を続けられる」
「そんな……ここがバザクル帝国の一部になったら、セルジュ様はどうなるんですか?」
セルジュは無言で首を振る。
「バザクルで協力者を得られれば良かったんだが、仕方ない。我が国が軍事的に敗北すれば、王家は皆処刑か追放となるだろう。この計画は私の身を捧げない限り完遂されないんだ」
「絶対に嫌だ!!」
喉が焼ききれるかと思った。
悲鳴だった。癇癪を起こした小さな子供のような甲高い叫びだった。
「トマシュは、アルフォンスは? 俺一人がバザクルで学者にでもなって、友達をみんな見捨てて、それで喜ぶと思ってるんですか?」
「トマシュのこともなるべく配慮する。他の者もだ。陰ながら私を支えてくれた同期たちは、なるべく巻き込まれないよう手を回すつもりだ」
「だから、どうしてそんなこと」
「君を見つけ出し、今一度学問の道に戻すこと。私の最後の心残りは、そのひとつだけだったから」
「俺は助けてほしかったわけじゃない。俺が、セルジュ様を助けたかったんです……」
それは無意識に口から滑り落ちた。
「賢者様なら、行かない」
賢者様ならどうする? もし賢者様なら、頭を絞る。諦めない。最善の手を尽くす。
ルカの決意はすぐに固まった。
「俺はばバザクルには行きません。セルジュ様が今夜城下に行くこともさせません。反乱も起こさせないし、セルジュ様が破滅するようなことは一切許しません。それが例え貴方の命令でも、絶対にです」
「……君がそうと決めたら動かないことは、私もよく知っている」
セルジュの肩から一度に力が抜けた。脇の椅子にどっと倒れこむように座る。
「君に勘付かれる前に送り出そうと急いだのだが、まさか先にトマシュが気付いてしまうとは……アルフォンス、すまんが今夜の予定は取り消しだ」
「承知しました」
アルフォンスはいつも通り、低く落ち着いた声で答えた。
反乱分子との秘密裏の接触が覆ったのに対して、それはあまりにも冷静すぎる態度だった。ルカですらそう感じたのだから、セルジュには酷く奇妙に思えただろう。
「貴様、こうなると分かっていたのか?」
「……申し訳ございません。トマシュに耳打ちしたのは、私です」
「まったく、誰も私の思い通りにしてくれぬ」
セルジュは珍しく憎々し気な表情を浮かべたが、口元は笑みの形で震えていた。
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