第33話

 トマシュと会うのは王宮図書館の前に決まった。

 午前中は仕事があるトマシュが、王宮の敷地内の文官宿舎で昼食を終え、西の宮の近くまで来てくれるのを待つ。

 待ち合わせ場所にはルカの方が先に着いた。

 煉瓦の小道の横では、遅咲きの濃い赤茶色のダリアが花びらを落としていて、庭師が箒を持って道や建物の周辺を掃いて回っている。


 秋。

 間もなく、万聖節の季節だ。


 村を飛び出してから、ルカは第二城壁の聖堂に頼んでレオンの護符を作ってもらい、毎年一人で兄の弔いを続けてきた。


 ――今年は、どうしよう。


 サン・ド・ナゼル聖堂にはずっと顔を出していない。そんな不義理も、そろそろ終わりにしなければならないだろう。


 ――セルジュと、トマシュに相談しよう。


 一番思う相手はセルジュだが、同じくらいトマシュを頼りにしている自分に気付く。王都に来てからずっと、実の兄に負けないほど世話を焼いてくれた兄貴分だった。

 ふたりなら、きっとルカの背中を押してくれる。






 図書館の壁際を掃いていた庭師が建物の角を曲がった時、ついにトマシュが現れた。

「トマシュ!」

 ルカはすぐさま小道を駆け出した。

 呼びかけを聞いたトマシュの方は、ルカを見つめたまま足を止めてしまう。

「久しぶり!」

 あっという間にトマシュの目の前にたどり着いたルカは、三リーニュの距離を開けて向かい合う。


 トマシュは煉瓦色と黄土色のミ・パルティを着ていた。

 下級の文官、つまり貴族ではない者のお仕着せだ。

 かつてルカがセルジュのお下がりで着せられた貴族の子供服よりは、ずっと落ち着いた色の組み合わせで大人っぽい。あれはやはり色が強すぎてちぐはぐに見えたのだ。

「ルカ」

 焦茶色の懐かしい瞳が見開かれる。

 華奢な顎と薄い肩、細い声まで、何も変わっていない。頬のそばかすだけは、少し薄くなったようだ。

「本当に、ルカ?」

「俺、そんなに変わったかな?」

 トマシュは茫然とルカの全身を眺めた後、泣き出しそうな、笑い出しそうな複雑な顔をして、怒鳴り声を上げた。

「お前は! 今まで、一体どこで何をしてたんだよ!」

「ご、ごめん。色々あって」

「馬鹿!」

 トマシュは叫んだ後、勢いよくルカに抱き着いた。ルカより少し低い背丈。相変わらず細い腕。

 ルカはしっかりとその体を抱きしめ返した。

 ふたりはしばし、再会した家族のごとく、じっと互いを確かめた。


 近くの噴水のある庭に移動し、石のベンチに並んで座る。

 日差しに温められているかと思ったが、灰色の石は冷たかった。


「あのあと、村には帰ったの?」

「帰ったんだけど、すぐ飛び出して来ちゃったんだ。今思えば、もっとちゃんと話をすれば良かったんだけど」

 トマシュに訊ねられるまま、ルカは今までのことを話した。


 両親の期待に反発してしまったこと、王都に戻ったが皆に会いに行く勇気がなかったこと。

 アルフォンスがルカを見つけて王宮に連れてきたことはトマシュも当然知っていた。


「第二城壁の怪しい通りにいたって聞いたよ。何して暮らしてたの?」

「怪しい通り、か。否定できないなー。写本工房で、違法翻訳の仕事とかしてた」

「お前ってやつは! もう、そんな危ないことして!」

 予想通りトマシュは声を荒げた。無茶や無謀をしでかすたびにルカを叱るところも変わっていない。

「今は何を?」

「んー、毎日、本読んでる」

「そこの図書館で?」

「うん。端から順番にね、もう一棚と半分くらい読んだよ。結構読んだことある本もあるから、この調子なら今月中に次の棚まで読み終えると思う」


 それを聞くとトマシュは渋い顔になった。


「本を読んで、どうするの?」

「今はそれだけしか……急に役職をもらったりはできないだろ。どこかに行儀見習いに行かせてくれるってセルジュ様が言ってたけど、それも少し先なんだと思う」

「君は図書館通いするためにここにいるの?」

「いや、それだけじゃない。新法の草案を任されたんだ」

「……新法?」

「そう。セルジュ様が顧問会議に提出するんだよ」


 トマシュに問われてルカは慌てて言葉を重ねた。

 自分は呑気に暮らしているわけではない。セルジュの役に立ちたい気持ちは変わっていないのだと、トマシュには分かって欲しかった。


「基礎学校の拡充とか、各地の病院の増設。それに古文書の流通回復も考えてる。条文の草案を任されて、もうほとんど出来てるんだ」

「お前はいつまで学生気分でいるんだ! そんなもの……本気で顧問会議を通ると思ってるの?」

 トマシュは顔を真っ赤にして叫んだ。

 そして、泣き出しそうに顔を歪める。

「トマシュ……?」

「場所を変えよう。ここじゃ話せない」

 今度はささやくような小声で告げ、トマシュはベンチから立ち上がる。


 歩き出すトマシュにルカは大人しくついて行った。

 さっき通って来た煉瓦の小道を戻り、図書館の中へと入っていく。


 図書館の二階には読書室が並んでいる。

 ルカはいつも書棚の前に立ったまま本を読んでいるので、読書室を利用したことはなかった。

 中は机と椅子が一揃い置かれているだけで、男二人が入るとかなり狭く感じられた。

「大きな声を出さなければ、外にはそう聞こえないよ」

 トマシュはそれでも小声で前置きし、ルカを一脚だけの椅子に座らせる。


「基礎学校の拡充とか、古文書流通回復の法案を顧問会議に提出したら、どうなると思う?」

「……まあ、否決される、かな」

「そうだろうね。お前が今一生懸命考えてる草案は、通らないことが決まってるんだよ」

「でも、まずは考えをちゃんと伝えて、そこから話し合いをしようってことじゃ」

「それが出来る状況だと思う?」


 ルカは黙り込んだ。

 話し合いに応じてくれる相手なら、セルジュが長年王宮内で孤立させられるようなことはなかったはずだ。


「でも、じゃあどうしてセルジュ様はわざわざ草案なんか作らせたんだ? 俺が暇だったから?」

「そこは……僕にも分からないんだけど」

「何か根回ししてるんじゃないかな? セルジュ様、今日も夜会に出て協力者を増やすんだって言ってた」

「夜会? セルジュ様が夜会になんか、行ける御身分だと思う?」

「え? だって……」


 ルカは言いかけて言葉を飲み込む。


 確かに、トマシュの言う通りだ。

 オーレリアンとバチストが掌握した顧問会議では、誰もセルジュの話に聞く耳を持たない。

 今やフォンフロワド家は王都ではなんの力もなく、懇意にする貴族などそういるとは思えない。いたとしても、大っぴらにセルジュと仲が良いと言えないはずだ。バチストの機嫌を損ね、共同王オーレリアンの権限で地位を落とされるかもしれない。

 一体どこの家が夜会に招待するというのか。


 しかしセルジュは実際に、外出のための支度の話もしていた。衣装や馬車、護衛の手配などもしていたのだ。

 貴族の夜会に出席するのでないなら、セルジュはどこに出かけるのだろう。


「きっと……城下に行かれるんだと思う」

「城下に?」

「ぼくは詳しくは聞いていないけど、多分セルジュ様は……反王室派に繋がりを持っている」


 最後の部分は聞こえるか聞こえないかという小さな声で告げられた。


「身分を偽って接触してるんだと思う。王宮や会議での情報を反王室派に流して、決起を促してるんだ」

















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