第25話

 王都の路地裏で、ルカは石畳に這いつくばっていた。


「わ、分かった! 金は全部渡すから!」


 少ない持ち物を金に換えて安宿に戻ろうとした時、ガタイのいい男ふたりに体当たりされて、ルカの体は道に転がった。男たちはお決まりの因縁をつけて金を出せと脅してきた。

 ルカは怯えた表情を作って見せ、肩を震わせ呼吸を浅くし、恐怖に身が竦んで動けないかのように男たちを見上げる。

 暴漢共が覆いかぶさるようにルカを覗き込むと、慌てて財布を差し出した。それをサッと取り上げられると、か細い悲鳴を上げて身を低くする。

「だから、殴ったりしないで、お願い」

 自分を抱くように胸の前で腕を交差し、縮こまって許しを請うた。自分の身を守るために体を小さくしているように見せる。

 下着に巻き付けた小物袋を隠していることがバレないように。

「殴っても金が出て来ねえなら、無駄に殴らんよ」

「こっちも手が痛くなるからな」

 因縁をつけてきた男たちはすぐに背を向けた。もうルカの存在など忘れてしまったように。


 そのままルカは道に座り込んだ。服の下の小物袋を庇ったまま。遠ざかって行く男たちの足音に耳を澄ませ、一連の些細な騒動を目にした人々の反応を窺う。

 ルカは大金を晒して歩くほど世間知らずではなかった。

 街を歩く時は、貴重品はすべてチュニックの中、下着の腰のあたりに小物袋を紐で巻くようにしている。学生時代は大事なものは寮の鍵付きの長持ちに入れていたが、今は安宿を転々とする身だ。

 今ちょうど換金した分以外はすべて服の下に隠している。小銭を差し出して暴漢が去るのなら、早々にくれてやった方が安全だ。

 ――よし。今日も気付かれなかった。

 膝を抱えるようにして座ったまま、そっとチュニックの腹の部分を撫でる。小物袋に隠しているのは少しの銀貨……そして、セルジュから貰った銀のペン。




 村を飛び出して十日――ルカは第二城壁の中、安宿と長屋と食堂が並ぶ地区で、なんとか命を繋いでいる。

 街ですぐ仕事が見つかると思っていた。

 読み書きができるし、どこか商家にでも潜り込んで金勘定をしてもいい。そうやって体を落ち着けて金を溜めて、これからどうするか考えようと思っていたが、ルカの計画はすぐ断念することになる。


 いっこうに仕事が見つからない。


 持ち物を換金したり、聖堂の施しで食いつないで来たが、そろそろ宿代も尽きてきた。さっき着替えを売った金で何か売り抜ける商品を仕入れようと思っていたが、計算が狂った。

 あと金になりそうなものは、銀のペンしか残っていないのだ。

 ――でも、これだけは売れない!

 ルカはいっそう強く、服の下の小物袋を手で押さえる。


 そうして焦りばかりが募る中、人々から聞こえてくるのは王宮の動向や噂話。

 どこぞの貴族が帝国派の疑いで捕まった。

 検閲と城壁の出入りがさらに厳しくなった。

 第二王子――セルジュ様が、国を出てバザクルに留学するらしいが、体のいい人質だ。

 などと言った噂だ。


 セルジュの名前を聞くたびに、彼のもとに逃げて行こうとする気持ちと、とてもそんなことできないという気持ちが拮抗する。

 会いたいけど、会えない。王宮に行っても不審者として追い返されるだろうし、こんな風に街を彷徨い歩く自分を知られるわけにはいかない。


「坊や、大丈夫か? どこか痛ぇのか?」

 じっと地面に座り込んでいると男に声をかけられた。警戒しつつ顔を上げると、四十歳くらいの痩せた男が眉を下げている。


 小柄なルカはまだ坊やと呼ばれることがある。兄さんというには幼いのは確かだ。しかし完全な子供かと言えば、それよりは成長している。

 狭間の存在だ。

 ルカは村を逃げ出して以来、自分が何者であるのか分からないまま過ごしている。

 貴族のような豪華な衣装を着て王立学院に通っていた自分。のどかな山間の村に家族がいる自分。こうして路地裏にうずくまり、帰る家もない自分。

 自分が何者であるか、分からなくなる時間が増えていく。これから何をして、どこに行くのか。その指標を失ってしまった。


「お腹、空いた……いちゃもんつけられて、お金取られちゃって」

 ルカは男の顔色を窺いながら喋った。か弱い子供がいいか、知識を持ち出して言い負かすのがいいか、走って逃げるのいいか。

 王都を彷徨うルカの頭は常に考えていた。

「気い付けな。最近は変なのが増えた。第二城壁ができてしばらくは、街に来るのは商人だとか職人だとかで、随分賑わったんだけどな。最近は王都に来たはいいが伝手のない怪しいヤツか、色んな規制で職にあぶれちまったヤツばかりだ」

 男はルカに気の毒そうに声をかける。

 注意を促しながら、自分は見ず知らずの人間に無防備に声をかける。お人よしだ。身なりは普通の町人――口八丁の人さらいという可能性も残るが――ルカは前髪の隙間から男の顔を窺う。

「俺も、仕事、クビになっちゃって。読み書きが得意だからって雇ってもらってたんだけど、急に追い出されて……住み込みだったから行くとこもないし」

 いくつもの嘘を吐いて、人の善意にぶらさがった。

 お人よしとお喋りの言葉を集めて、潜り込む先を探した。


 ルカの手はもう何も持たない。金を稼ごうとも、いい暮らしをしようとも思わない。家族に合わせる顔もない。

 しかし、他のすべてを失っても、まだ銀のペンだけは残っていた。


 このペンが手元にある限り、本を読み、文字を書こうと思ったのだ。


















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