第24話

 ルカは荷物をまとめ直した。

 セルジュに驚かれるほど少なかった旅支度は、四年の学院生活で少しずつ増えた私物を全て持ち出す大荷物に変わった。


 無理やり受けさせられた試験の結果は五日後に発表される。それまで全員寄宿舎での待機を命じられたが、ルカはそれに従うつもりはなかった。

 ――出ていってやる、こんな所。

 城壁が崩れてから、この国はおかしくなってしまった。いや、その前からおかしかったのだ。


「ルカ、入るぞ」

 夢中になって部屋をひっかきまわしていたルカは、廊下から聞こえたセルジュの声で動きを止める。

「入るぞ?」

「あ……」

 ルカが迷っている間にドアが開き、ベッドの上に集められた荷物を見たセルジュが空色の瞳を見開く。

 セルジュはすぐ後ろ手にドアを閉めた。


「帰らなきゃいけないんです……万聖節に間に合わなかったら、レオンも、みんなも悲しみますから」

 学院の理不尽な所業に煮えたぎっていた頭が冷えて行く。ここを出て行くということは、セルジュと離れるということだ。

 荷物は少ないと思っていたが、いつの間にか鞄に収まりきらないほどに増えていた。

「今から出ればギリギリ間に合うので、寝ないで走れば、多分」

 ルカは服の下に巻いたままだったレオンの護符をぎゅっと両手で押さえる。

 万聖節の数日だけ、帰るつもりだった。終わればまたここに戻って来て、土産に新しく見つけた石をセルジュに渡して……そんなことを思い描いていたのに。

「もし、試験に受かっても、文官になりたくないし」

 今文官になれば、仕える相手は国王……セルジュの父ユベールと、共同王のオーレリアンだ。そしてオーレリアンの伯父で後見人のバチスト。

 病床のユベール国王はともかくとして、オーレリアンとバチストに仕えるなど、ルカにはどうしてもできなかった。


「君の力なら高級官僚も夢じゃないと思っていたが」

「そのつもりです。頑張って勉強して、王宮に勤めるつもりでしたから。でも、今は」

「君の考えは正しい。兄上と叔父上のやりようは常軌を逸してきている……すまない」

 セルジュはゆっくりルカに近付き、肩に手を回した。お別れの抱擁だ。王子であるセルジュが誰かと体を密着させているところは見たことがない。家族や近しい人物なら挨拶の身体接触はあるのだろうが、彼はこの宿舎で、アルフォンスひとりだけを従えて、静かに過ごしていた。


 ルカの身長は他の少年たちと変わらないほどに伸びた。体格のいいセルジュやアルフォンスには適わないものの、小柄なトマシュの背はついに追い越した。

 ふたりが隙間なく寄り添うと、ルカの額はセルジュの喉元に擦りつけられる。

「逃げ出すのは、悔しいけど……でも、俺はもうここにいたくないんです」

「私も息の詰まる王宮から逃げ出してしまいたかった。学院で静かに勉学ができれば、その間は心穏やかでいられると思い、ここに逃げてきたんだ」

 セルジュの手がぎこちなくルカの襟足のあたりを撫でた。怜悧な容姿と違って、セルジュの手はとても温かい。

「必ず王都に戻ってきます。ここを卒業して文官に推薦してもらうのは、もう無理だけど、別の方法を探します。必ずセルジュ様の下で働きますから」

「私も君の力になれるよう努力する。村に使者を送るから、連絡をくれ」









 道と呼ぶのも心許ないような砂利の上を歩く。人々が踏み固め、草が生えなくなった土の上に砂利を敷いただけの道だ。砂利が敷かれた道は街道と呼ばれるが、大きな馬車が通るのは難しい場所もある。

 ――街道の敷設はすぐにでもするべきなのに。

 隣国のバザクルは全土に石畳の街道網を完成させている。シュアーディは早馬のための駅舎や公共宿は増やしたのだが、肝心の道そのものがまだ追いついていない。

 ――城壁を拡張して人を増やしたけど、病院や学校はなかなか増えないし。

 オーレリアン共同王と叔父バチストの治世は矛盾だらけだ。何かを始めたと思うと、突然立ち止まる。


 幸にして天候の悪化はなかった。

 好天の中、急げば丸二日で村につけるのだが、ルカはなかなか足が前に進まない。

 飛び出してきて良かったのか、本当に最善の選択だったのか、早くも後悔が押し寄せてくる。その度にぼんやりとしてしまい、故郷への歩みは遅れに遅れた。


「ああ、良かった。帰ってきたよ!」

「無事だったか」

 予定通り出発できていれば、万聖節の前夜祭に間に合うはずだった。それが出発が一日遅れとなり、さらに歩みが遅れて二日の遅刻になってしまった。

 去年はルカは前夜祭の日の昼には村につき、祭りの間ずっとレオンの魂に祈ることができた。

「ごめん、レオン。遅くなって。一晩しか家にいられないね」

 大事に服の下に巻いて運んで来た護符を、家の西側の祭壇に置く。

 万聖節は前夜祭の賑やかな宴を目印に、先祖の魂が護符の元へと帰ってくる。その後三晩を地上で過ごし、三日目の朝にまた神のもとへ戻っていくのだ。

「ずっとルカと一緒にいたんだ。寂しくなかっただろう。な、レオン」

「おかえり、レオン」

 両親が祭壇に向かって静かに祈りを捧げる。

 万聖節の護符は、埋葬した地の聖堂でしか作ることができない。これからも毎年、ルカが王都の聖堂で護符をいただいて、村に連れて帰るのだ。


「実は学院で急に試験があって、予定してた日に出発できなかったんだ」

 ルカは絞り出すように、しかし両親を心配させないよう、なるべく歩い口調で話す。

「そうかい。大変だったね」

「それが、外出届も春から出してたのに、当日になって急にダメになったって言われて」

「いいんだ、いいんだ。学校のことの方が大切だから」

「そうそう、気にしなくていいの。試験の方が大事だよ。お前は王立学院の学生なんだから」

「レオンの方が大事だよ!」

 ルカが思わず叫ぶと、家族は皆、笑った。

 朗らかに。何も苦しいことなどないように。

 ルカは目眩を覚える。何故だろう、一年ぶりに再会した両親と、同じように笑えない。

「本当に優しい子だね。レオンも喜んでるよ」

「お前が王宮勤めになってくれればレオンも安心するだろうさ」

「それで、試験はどうだったの?」

 呼吸の仕方を忘れてしまったかのようだった。喉が塞がって声が出ず、心臓は早鐘を打ち、ドッと冷や汗が噴き出した。

「王宮にはいつ上がるんだ?」

「なにか必要な物があるかい? 銀貨はなるべく蓄えておいたんだよ。お前のためにね」

 レオンの死の際に送られた見舞金のほとんどが、手付かずで残されていた。

 家族はルカが王都で官職に就くと信じているのだ。まさか、息子がその権利を投げ出して、逃げてきたなどとは思わずに。


 ――逃げなきゃ。


 ルカは何かに追われるように走った。

 時の流れが違う。

 ここは、自分の居場所じゃない。

 酷い焦燥感を抱えて、故郷の村を逃げ出した。

















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