第22話
夏が終わると短い雨季が来る。
雷雨の日が続き、ここで雨が降らないと秋の収穫までに果樹や穀物の水が足りなくなるが、あまり降りすぎても根腐れを起こす、
ほどよい雨が降るよう、農家や聖堂が熱心に祈りを捧げる季節だ。
「また貴様か、いい加減にしろ!」
「なんで教授は黙ってるんですか! 学問の危機、知識継承の妨害ですよ。それでも学者ですか」
「知ったような口を聞きおって」
今日もルカは教授に噛みついていた。
講義後の担当教授を追いかけて、中庭の回廊で掴まえて問い詰める。長雨が吹き込んで、足元の石の床はところどころ濡れている。
「公共図書館からの古文書回収反対! 国で一番の王立学院が声を上げずに、誰が抗議できるって言うんだ」
すっかり見慣れた光景に学生たちは素通りするかと思えば、内容が耳に入るとギョッとして振り返る。
「学院の図書室には古文書がある。それでなんの文句があると言うんだ」
「俺たちは良くても、市民は誰も読めなくなったんですよ。写本も翻訳本も全部撤去だなんて、なんの意味があるんですか。顧問会議は一体何を考えてるんだ」
五日前、王宮の顧問会議が王国全土に向けて布告した律令だ。
国内の古文書はすべて王宮の図書館所蔵とし、個人、聖堂、その他いかなる者も古文書を所持することはできない。
現在所有している古文書、写本、現代語翻訳本は、一か月の猶予の間に必ず王宮へ献上すること。
今後新たに古文書が発掘された場合、速やかに王宮へ献上すること。
「理由も布告に書かれていただろう」
「帝国派の危険思想の芽を摘むため、ですか? 古文書を読んで危険思想に目覚めるなら、ここにいる全員、帝国主義者になってなきゃおかしいと思いますけど」
「それ以上の王宮批判には耳を貸さんぞ。また同じことを言ったら反逆者として通報してやる!」
教授はルカを押しのけてほとんど走るように回廊の向こうへ消えて行った。
オーレリアン共同王とバチストが牛耳る王宮顧問会議は、次々と新たな律令を布告していた。
国外への渡航禁止、手紙の検閲、許可を受けない発掘調査の禁止など。市民の生活と、学術研究の締め付けばかり強化されていく。
ルカは歯を食いしばりながら寄宿舎へ向かった。
食堂には夕飯を待つ間、友人と雑談しながらお茶を飲む学生で溢れている。彼らの話題も、このところの弾圧的な律令についてだった。
「うちの司書、全員王宮に召し上げになったよ」
「君のところは大きな学問所をやっていただろう。堪らないな」
「医学書も半分以上古文書関連だから、医師も相当大変らしいぞ」
古代語を現代語に翻訳できる翻訳家や、書籍の管理を生業とし文筆が得意な司書なども、古文書と共に王宮に献上させられているらしい。
ルカが世話になったサン・ド・ナゼル聖堂の基礎学校や、その近くにあった公共図書館も騒然としているだろう。
「これじゃ、金のない人間はどんどん勉強できなくなるじゃないか」
ルカは指定席になった壁際の二人掛けのテーブル、ドア側の椅子に乱暴に腰かける。
世界が暗くなっていく。
以前から古文書の管理をもっと独占的にすべきという話は上がっていた。隣の大国バザグルへの情報や人材の流出を防ごうというのが趣旨だが、これでは国内での研究もままならない。
王立古文書研究学院の学生はひとりも増えず、大学は作られず基礎学校は増えず……日を追うごとに王都は、このシュアーディ王国は、閉鎖的で抑圧的な世界になっていく。
「正直、やる気がなくなってくるよ」
重苦しい空気の中、誰かがそう呟いた。
「学ぶことは、褒められることだと思ってた。古文書からたくさんの知識を読み取って、人の役に立てて、喜ばれるんだと思ってたのに」
「歓迎されないんじゃ、なあ……」
「なんでこんなことに」
王立学院で学ぶことが、学生の苦痛になり始めていた。
「まあ、でも、逆らえないだろう。アクィテーヌ家の決めたことだ」
「この調子だと、セルジュ様もどうなることか……」
「あ、おい!」
慌てて静止する者がいたが、遅かった。
食堂のドアを開けて入って来たのはアルフォンスだ。今日はセルジュは王宮で用事があり講義を休んでおり、珍しくアルフォンスひとりだけ。
「王宮批判とはいい度胸だ。外は土砂降りだが、決闘ならいつでも受けて立つぞ」
ルカは剣呑な声に身構えたが、アルフォンスの顔を見て体の力を抜いた。
アルフォンスは本気で決闘などする気はない。本当に王宮批判に怒っているのなら、すぐに剣を抜く体勢を取るはずだ。
「王家に重用されるガーランド家はいいよ」
「ボクみたいな下級貴族は、必死に学んで、自分で仕事を取らなきゃいけないんだ。家柄だけで安泰の人には分からないだろうけど」
「そうだよ。オレたちは家名を背負って学院に入ったんだ。なのに学院の意義がなくなるんじゃ、困るんだよ」
ルカは同期生たちの苦し気な声に、なんと言葉をかけていいか分からず、じっと下を向いて座っていた。
アルフォンスは無言で食堂の奥へ向かい、その場で一杯だけ水を飲み干し、すぐに出て行った。
夕食が配られる時間まで、食堂でそれ以上なにも会話はなかった。
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