第16話
「実は、父の体調が良くない」
セルジュはそれまでの会話と変わらない、何でもないことのように淡々と言う。ルカは一瞬、息が止まった。
「父?」
「私の父だ」
「国王様?」
「ああ」
国家の一大事ではないか。どうしてセルジュはこんなに落ち着いているのか。
「いつから、なんですか?」
「数年前からだんだんと。以前は国中を飛び回っておられたが、この一年ほどは城の外にも出られていない。夏からは顧問会議もオーレリアンに任せている」
「すごく悪いじゃないですか。ご病気、なんですか?」
「……おそらく」
セルジュは俯いて目を伏せた。
「病ではなく、何者かに毒を盛られたのではないかとも、言われている」
「毒⁉」
咄嗟にルカの脳裏に浮かんだのは色鮮やかなキノコだった。身近な毒物といえば、毒キノコと野草だ。山で遊ぶ時、年長の者がこれは食べられないと教えてくれた。
「でも、王様には毒見役もいるでしょう」
「私の母が毒で死んだのではないかという噂を、聞いたことがあるか?」
ルカはコクリと喉を鳴らした。
急に話しが飛んだが、セルジュの目は真剣だ。
「聞いたことは。その……第二王妃が、何かしたんじゃないかって」
ルカが生まれてすぐの頃だ。セルジュの母である第一王妃が流行病で亡くなったが、実はアクィテーヌ家による謀殺だったのでは、という噂だ。
「でも、それさすがに作り話でしょう? 流行り病があって、伯領でもたくさん人が死んだと聞いてますけど」
「ああ。母は自領の病院で患者の世話をしていて、病をもらったのだ。しかし、まことしやかな噂のせいで、父も毒なのではと」
「医者はなんと?」
「原因は分からないと」
セルジュが首を振ると、肩を覆うまでの長さになった金髪がランプの灯の中で色を変える。透けるような金から、蝋燭のオレンジ、濃いベージュ。
「国王様の体調と、殿下がアクィテーヌから疎外されていることに関係が?」
「どうやら毒を盛ったのは私だということになっているらしい」
「はあっ?」
アクィテーヌとフォンフロワドは常に張り合っている。それは立場上必然だが、セプティマールの王が間に立つことで、王族の力を高めつつ両家の均衡を保つことができていた。しかし、父王が体調を崩すのと同時に、王宮内で数の多いアクィテーヌが発言力を増してきたのだ。
「私が乱心して父に毒を盛り、次王になろうと目論んでいるらしいのだが」
「あり得ない! 馬鹿じゃないですか、そんなの信じるヤツがいるとは思えません」
ルカがセルジュの言葉尻を遮る勢いでそう吐き捨てると、セルジュは目を丸くしたあと、ふわりと微笑んだ。
白い頬が丸く盛り上がり、空色の瞳を縁取る金のまつ毛が、灯りに近い右目だけ白く光った。ふわり。ほんのりと暖かい風が通り抜けていく。
「信じられないか?」
「当然でしょう。セルジュ様がそこまで狡猾に見えますか。そもそも父君に毒を飲ませて王位を狙わなくても、オーレリアン様の次はセルジュ様が順当です。やる意味がない」
「問題なのは、実際に誰がやったのかではなく、本当に毒が用いられたのかでもない。このような醜聞を流され、それを跳ね除ける力を持たない私は、弱いということだ」
「弱いって……」
セルジュは笑みを崩さない。いつも表情なんてないような、どこか上の空に感じるほど、淡々と冷静で動じないくせに。微笑みの意図がわからない。実はこの会話が、セルジュにとって愉快なものなのだろうか。
「君は入学当初、他の学生から嫌がらせを受けていた。しかし、それを跳ね除け、今や君は同期の輪の中心にいる。王宮内でも同じことだ。私は弱く、力ある兄たちから嫌がらせを受け、仲間外れにされ、今にも追い出されようとしている」
そこでセルジュは言葉を切った。話はここまでらしい。
ルカは法律などの制度的な国政には興味があり、こうして学院で学んでいるが、王侯貴族の勢力争いには関心がなかった。縁遠いのだから仕方がない。
しかし、なるほど、理解できてきた。
政治は国内の陣取り合戦だ。敵は国境の向こうの隣国ではなく、王都を挟んで東西に睨み合う二大公家。そして、そのどちらに着くかという貴族たちの読み合い。さらにそれを見極め、実務を動かす文官や武官たち。
紙の上の文字と、耳で聞いた知識が具体的に頭の中で立体に起き上がって来る。
「あと三年くらい、我慢できますか?」
ルカの問いかけにセルジュがまた首を傾げた。
「卒業したら、俺は文官になります。いずれは法律顧問になる予定です。他にも第二十期生から王宮に上がる者はそれなりに多いはずです。少なくとも、十人くらいはセルジュ様の味方が出来ます」
セルジュが空色の目を見開く。大げさな反応ではない。しかし、ルカにはセルジュの心の揺らぎが伝わってきた。
空色の瞳の中で、ランプのオレンジが揺れている。
「でもやっぱり、それじゃ少ないですね。しかも俺たちが議会で何か言えるようになるまでには、そこから何年かかかるし」
そもそも卒業後にすぐ文官に登用してもらえるかも、まだ分からない。貴族の息子たちはおそらく可能だろうが、ルカが一気に官職に就けるかはなんの保証もなかった。
「それまで、待てますか?」
「待とう」
セルジュの声は深く落ち着いていた。
「なんと心強い。何年でも待とう」
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