第14話
ルカたちは第二十期生用の講堂に戻って論文を広げる。
まだ講堂に残っていた学生たちも集まってきて、城壁の設計計算の議論が始まった。
「こっちが最初の計算。ウィトル建築書の計算式を応用してるんだけど、途中で計算が狂ってるんですよ」
机に広げた論文を指さすと皆が覗き込み、ルカが書いたやや右上がりの文字を素早く目で追う。
「ちょっと待て、僕も計算してみよう」
「俺も」
数人がノートを持ってきて数式を書き始める。
「合ってるんじゃないか?」
「ここ! 傾斜地に高さ五百リーニュの建築物を立てるなら、幅は同じ五百リーニュになる」
「だから、合ってるだろう」
リーニュは最も基本的な数値単位で、建築でも日常生活でも一般的に利用されている。もとは人間の指先から肘までの長さを参考にしており、地方によって実際の長さが違ったというが、二百年ほど前に正式な数値が統一された。
「傾斜がキツイんです。幅五百リーニュのうち、半分以上に百六十リーニュも盛り土をしてて、その上に花崗岩の土台を積んだら重すぎる。幅をあと百リーニュほど広く取るか、もとの地盤側に重さを乗せるか、もっと他に分散させればいいけど……このままじゃ土台の下の盛り土がだんだん沈んできて、ある日ゴロンっと取れちゃう」
「さすがに、ゴロンっとはならないんじゃない? 城壁はほとんど全部繋がってるから、他の部分が引っ張って、大崩壊にはならないんじゃないかな」
ルカの表現にトマシュが苦笑するが、崩落の危険際は伝わったようだ。
「しかし、盛り土部分が沈んだ場合、土台の石垣が落ちるだろう。レンガの建物部分は縦に崩落しそうだな」
「塔を柱にしてるから、その間の部分が崩れて抜け落ちる感じか」
「塔が建ってる箇所の土台は? 強度は足りてるのか?」
白熱の議論の横で、アルフォンスだけは所在なさげに皆の様子を眺めている。
彼は学問の心得がない訳ではないが、セルジュの護衛、付き人、世話係として同行しているのであり、古代語を読むことはできても専学となるとお手上げだそうだ。
ルカは手持ち無沙汰なアルフォンスと目があったので、軽く肩をすくめた。
以前は全科目最下位のアルフォンスを馬鹿にしたこともあったが、今は彼の仕事を理解している。アルフォンスはセルジュについて学院へ来るために猛勉強の末、きちんと入学試験を突破していたのだ。
「簡単に説明しますと、バチスト様の設計に小さな計算ミスがあって、第二城壁の最初に建てられたあたりが壊れそうってことです。この部分は建設から二十年経ってるので、どちらにしても見直しや修復を考えた方がいい、というのが俺たちの意見です」
「しかし、なんでこんなところに目をつけた? こうして細かく計算しなければ気付けないんだろう?」
「ちょうどその辺りに兄が住んでるんです。最近婚約者も近くに住み始めて、ちょうど講義で設計図を見たから念のため計算してみようかなと」
「念のためで……」
アルフォンスはルカから視線を逸らして目頭を押さえた。
学生の輪の中心で、論文を全て読み終えたセルジュが立ち上がる。
「信頼できる数式だ。から父に進言の書を送ろう」
「え、国王様にですか? バチスト様じゃなくて?」
城壁の設計責任も、この学院の学長も、バチスト・ド・アクィテーヌだ。ルカもバチスト本人への訴状を教授に頼むつもりだった。
ルカが首を傾げると、セルジュはかすかに空色の瞳を揺らす。
「本来ならバチスト殿か、共同王に進言するところだが……私の書が届くには、いささか時間がかかる方々なのだ」
思いがけないセルジュの言葉にルカは息を飲む。
腹違いの王子たちに確執があることくらい分かっている。しかしセルジュの方が第一王妃の子であり、歳は下だが立場はそう低くないと思っていた。共同王である兄君はともかく、王位継承権にかすりもしない外戚の叔父まで書が届かないとは、どういうことだろう。
もう一度何故ときこうとして、トマシュに袖を引かれた。
「ルカ、無礼だよ」
口をつぐんだルカに、セルジュは少しだけ唇の端を上げて見せた。
「どちらにせよ、調査と工事のし直しという話になると、顧問会議を通すのにかなり時間がかかるだろうが」
「そうですよね……冬までに村の柵を直すみたいにはいかないですからね。それまで何もなければいいんだけど」
「心配なら、兄君の住居を他へ移してはどうだ?」
セルジュの提案に、ルカは黙ってしまう。
そうすべきだ。崩落の危険がある城壁にレオンを住まわせておくなんて不安だ。
「自分の兄だけ逃がすのは忍びないか?」
「どこに、引っ越すんですか? そんないきなり、シテの中で住むところなんか」
「シテの中には貸家も多いだろう。探せばいくらでも……」
言いかけて、今度はセルジュが口をつぐむ番だった。
城壁内はその外に比べてひどく人口が密集している。第二城壁の完成で住居は飛躍的に増えたが、王都に移り住む人間の数の方が多く、住宅の建設が追いついていないのだ。長屋の小さな一間すら取り合いで、安い部屋ほど治安が悪い。
レオンは城壁の工事と警備の職にあるからこそ城壁に部屋を与えられ、王都に住むことができたのだ。
「すまない。心ない発言をした。急に解決できることではなかったな」
「いえ」
ルカがなるべく平静を装ってゆるく首を振ると、セルジュは「進言を急ごう」と論文の束を抱えた。
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