第13話

「またその話か! 論文は受理できないと何度言ったら分かる!」

 黒々とした口髭をたたえた年嵩の教授に怒鳴りつけられても、ルカは怯むことなく言い返す。

「中身を読みもしないで不受理と言われて、納得できるわけありません。ちゃんと読んでください」


 またルカが騒ぎを起こしているのか。

 講堂の外の廊下にいた学生たちは、慣れた様子で教授と押し問答するルカを横目に眺めていた。


 中庭に面した回廊には、夏の日差しが燦々と降り注いでいる。白蝶草の小さな白い花が中庭の花壇を覆い尽くす様に広がり、その間に転々と丈の高い白薔薇の木が立ち上がっている。

 白い花の季節だ。

 御曹司たちも重いサーコートとはしばし別れを告げ、紗や絹が織り込まれた風通しのよいチュニックに、涼やかなベルト飾りを揺らして夏の装いを競っている。


「とにかく読んでください。読んでもらえれば、俺の計算の方が正しいと分かっていただけます」

 ルカは立ち去ろうとする教授の前に回り込み、紙の束を押し付けた。教授は顔を顰めてそれを突き返したので、床に放り出されそうになった論文をルカは慌てて受け止める。

「私には立場というものがある。こんな怪しげな論説の肩を持つと思われては困るのだ」

「怪しげじゃありません!」

 すでにこのやりとりは三回目だ。


 最初にルカが自作の論文を持ち込んだ時は、教授もいきなり邪険には扱わなかった。

 多少の問題児でも、学年主席。

 ルカは最近ついにセルジュを振り切って、ほとんどの科目で一番の評価を取り続けている。唯一、詩歌だけは上から数えても下から数えても変わらない位置だが。


 しかし、論文の題名を目にした教授は悪霊を見てしまったかのように嫌悪を露わにし、ルカを追い返してしまった。以来何度読んでくれと頼んでも、害虫のように追い払われる。


 ルカが再び論文を教授に押し付けようとしたところで、横から伸びてきた白く長い指がその紙の束を取り上げてしまった。

「セルジュ様?」

 もう指先だけでも誰だか分かるようになった。ルカも殿下と呼ばず、名前を呼ぶようになった。

 いつも清潔に整えられた爪の先が表紙をなぞる。

「『第二城壁初期建設部分の強度再計算の提案』……相変わらず、興味深いものを作っているな、君は」

 セルジュが論文の表題を読み上げると、教授がサッと顔色を変える。

「で、殿下! も、申し訳ございません」

「何を謝罪する?」

 低い声で問いながら、セルジュは紙を一枚めくった。

 出会った頃より少し声も低くなったが、今日は一層低く聞こえる。わずかな違いだが、どうやらあまり機嫌が良くないようだ。

 いつも無表情に近いセルジュが感情をにじませるのは珍しい。

「はっ、その、はい……第二城壁の設計原案は、バチスト様で」

「だから、なんだ」

 半分栗色、半分白髪の教授はそわそわと手を動かし、こめかみのあたりを拭うような仕草をした。まだ汗は垂れてきていなかったが。


 ルカの書いた論文の内容は、完成したばかりの第二城壁の設計不備を指摘したものだ。

 講義で城壁の詳細設計図を見て、小さな計算違いを見つけた。それは最初期に建設が始まった箇所で、工事が始まってからすでに十年以上経っている。

「バチスト様がお造りになった城壁は、日々我々の身を守り、多くの市民が住まいとしても利用しております」


 バチスト・ド・アクィテーヌは王族のひとり。

 現国王の妻の兄、つまり王の義兄であり、共同王オーレリアンの叔父で後見人だ。王位継承権こそないが極めて高位の王族であり、国王からこの王立古文書研究学院の学長の任を受けている。

 第二城壁の全体の設計をしたのは、このバチストだ。ルカの論文は王族自らの仕事を否定し、ともすれば謀反人と言われかねない。

 しかしセルジュはルカを責めることなく、逆に教授の言葉を否定した。

「妃の兄だからといって、計算を間違わないという保証はないはずだが」

「はっ……はっ。さ、左様で……」

 セルジュの言葉を肯定するだけで、教授はドッと汗をかき、今度こそこめかみを拭った。


 それが何を意味するのか、ルカにも分かっている。

 王族の、それも共同統治者の後見であるバチストへの批判と取られかねない発言をすることに、教授は強い抵抗を感じているのだ。だからルカの論文も表題を見ただけで突き返してしまう。

 ルカは隣に立つセルジュを見上げた。

「教授が受け取らないのなら、私が先に読ませてもらおう」

「は……はいっ、それは、結構にございます。どうぞ」

 論文を手にしたセルジュはさっさと歩き出す。離れることのない影のごとく、アルフォンスがその斜め後ろを着いて行く。


 今日の講義はもう終わりだ。


 ルカは一度だけ教授の方を振り返った。

 教授は額にびっしり浮かんだ脂汗を手のひらで何度も拭い、寒さを耐えるかの様にその両手を擦り合わせていた。















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