第11話

「ほら、あそこ。殿下よ!」

「本当だ、見えた、素敵」

 学生たちが通りを歩くと、街中で黄色い悲鳴が上がった。


 王立古文書研究学院の狭き門を潜り抜けた、将来輝かしい若者たちは、憧れの的だ。今年はその中に王子までいるのだから、見物人たちは例年以上に盛り上がっている。

 セルジュは他の学生に混じって、ルカのすぐ近くを普通に歩いている。馬や輿を用意させることもなく、いつも通りアルフォンス一人だけを従えて。


 一年前よりセルジュの髪は伸びた。

 騎士の装いをたもつため定期的に髪を切る貴族も多いが、セルジュはそこにこだわらないようだ。長い脚で静かに歩く速度に合わせて、肩につくほどに長くなった金髪の毛先が揺れる。

 屋外でセルジュを見るのは、そういえば珍しいことだった。いつも講堂か食堂でばかり会っているから。


「どうした。そんなにミ・パルティが気に入らなかったか?」

 ルカはいつの間にかセルジュの姿を見つめていた。視線に気付いたセルジュが、睨まれたとでも思ったのか呆れ顔を見せる。


 この一年間で、セルジュとはかなり打ち解けたと思っている。

 みんなで法典編纂を始めた日から、ルカは同期生たちに、そしてセルジュに少しずつ受け入れられ始めた。

 何度か行われた試験ではどの科目もルカかセルジュが主席となり、次はどちらが勝つかと同期たちが賭けている。全科目一位を目論んでいたルカとしては不本意だが。


「もしかして殿下が十三歳の時って、俺より背が低かったんじゃないですか? ほら、こんなに丈が短い」

 そんなはずないのは着ている本人が一番よく分かっていたが、憎まれ口を叩かずにはいられない。

 もらった衣装はルカより肩幅が少し大きいし、袖丈は長い。本来膝の少し上まで覆うショースが太ももの半ばまで届いている。

「それは私が十二歳の時の衣装だ」

 腹いせに失敗したルカは、いっそう大股の早歩きで学生行列の前に出る。


 向かう先は聖堂前の広場だ。

 春祭りの催しは色々あるが、ルカたちは広場での寄付奉仕活動の手伝いをする。


 シュアーディ王国の都は二重の壁に囲まれた城壁都市だ。

 ベスヴィルヴァルド・メリメ・ヴィオレ・ル・デュック――千年前にこの地に都を築いた偉人を連ねた名前は長すぎて、誰も正式名称で呼ばない。なので、ただ王都と言われれば、このベスヴィルヴァルド・メリメ・ヴィオレ・ル・デュックの街の城壁の内側を指すのだ。

 学院は内側の壁、第一城壁の中でも西の端にあって、聖堂は街のほぼ中央に位置している。天に聳える尖塔は街のどこからでも、さらには壁の外からだって見える。


「あ、先生! マルティネス先生!」

 ズンズンと先頭を歩いていたルカは、広場で恩師の姿を見つけて駆け寄った。聖堂の隣に建つサン・ド・ナゼル僧院の僧たちだ。

 ルカとトマシュが学んだ基礎学校は、この僧院に間借りしている。

「ルカ?」

 足の先まで隠す白い祭服を着た中年の僧が目を見開く。

 その姿が変わっていなくて、とても懐かしくて、ルカはマルティネス僧の胸に飛び込んだ。

「先生久しぶり!」

「見違えたな、ルカ。大きくなった」

「えっへへ、背、伸びたでしょう」

 マルティネス僧は学院の入学試験を受けるため、まだ十歳で親元を離れたルカの面倒を見てくれた恩人だ。二年間、食事も寝る場所も僧院が用意してくれた。

「その立派な衣装はどうしたんだ? まるで貴族の坊っちゃまみたいじゃないか」

 僧が感嘆と共に漏らした問いに、ルカは軽く肩を上げた。

「殿下から下賜いただいたんです。子供の頃のもので、もう着ない衣装があるからと」

「殿下って……まさか、セルジュ王子殿下のことか?」

 ルカは再び、今度は大きく肩をすくめた。

「確かに立派な衣裳で、着心地もいいけど、貴族って変な服を着るんですね。色が多すぎて目がチカチカするし、染めはすごく綺麗だけど、丈が短くてお尻が出ちゃいそう」

「な、なんてことを言う。そ、そのセルジュ様もいらしているのだろう」

「そこに」

 ルカが学生たちの集団を指差すと、僧は慌ててそちらへ駆け寄って膝を折った。

「殿下、皆様、本日は聖堂の活動にご助力いただき、まことにありがとうございまする」

 マルティネス僧に続いて他の僧たちも一斉に礼の姿勢を取った。

 胸の前で両手をゆるく組み、長い祭服の裾を地面につけてしゃがむように深く膝を折る。聖堂で神に仕える僧の礼だ。

 対して学生たちは騎士の礼を取った。右手を左胸の前にかざし、浅く腰を折る。

 ルカにとっては僧たちの礼の仕方の方が見慣れている。騎士教育を受けるのは上流階級の子息に限られているので、縁が遠い。


 皆がそれぞれの作法で頭を下げる中、ただひとり真っ直ぐ立っている者がいた。膝を折ることも、頭を下げることもないのは、この場で最も身分が高い人物。

 セルジュはマルティネス僧の挨拶にゆっくりと頷く。

「今年もつつがなく春祭りが行われていることに、深い感謝を。山におわす我らの神に」

「まことに、ありがたいことにございまする」


















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