第10話

 シュアーディの地に、春はある日突然やって来る。

 それまで寒さに身をすくめていた木々がその日を境に一斉に芽吹き、あっという間に花を咲かせる。朗らかな南風が吹き始めれば人々は毛皮を手放し、小鳥たちが囀り、家畜の嘶きすら高らかに変わる。


 今年も春祭りの季節がやって来た。


「こ、これって、本当に昔、殿下が着てたんですか!?」

 ルカは鏡に映る自分の姿を見て叫んだ。


 チュニックの右半身は薄い赤紫色、左半身は若草色。サーコートはその色が左右反対になっている。足先から太ももの半ばまで覆うショースは、右が若草色、左が黄色だ。鏡を見ていると目がチカチカして落ち着かない気持ちになる。

 あげくチュニックの丈が、ショースと足の境が見えそうなほど短い。サーコートがそれよりわずかに長く、辛うじて足を隠している。


「私が騎士見習いとして他家へ出る前、最後の春祭りに着た衣装だ」

「ミ・パルティという子供用の意匠だ。まさか、初めて見るのか?」

 淡々と答えるセルジュと、いつも通り小馬鹿にしてくるアルフォンスに、ルカは頬を膨らませる。

「知らなくても仕方ないでしょう。貴族の子供服のデザインまで、本には書いてないですから」

 ふたりはルカとは違って、全身緑色の服を着ている。裾の長いチュニックと刺繍入りの立派なサーコート、そこにさらに緑色の飾り布であちこちにリボンをつけている。


 緑の衣は春祭りの衣装。


 王立古文書研究学院に入学して、初めての春祭り。昨年は入学の少し前に祭りの時期が過ぎてしまったため、学生として迎える春はこれが最初だ。

 厳しい冬を耐え忍び、温かな春を迎えこれから豊かになる大地の恵みに感謝し、喜びを分かち合う。一年を通して最も盛大な祭りのひとつ。

 家々はドアに黄色のスイセンの花を飾り、春を表す緑色の衣を纏う。


 ルカのいた村では小さな子供は衣装を作ってもらえず、緑色の布をスカーフやマントのように身に着けて祭りに参加していた。十五歳を過ぎる頃になると、祭り用の衣装を作ってもらえるのだ。

 あれは大人の仲間入りの証のようなもので、ルカは心ひそかに春祭りで自分の衣装を持つことを楽しみにしていた。


「なんだ貴様、セルジュ様の衣装を下賜いただいておきながら、まさか気に入らないと申すのか?」

「こんなだと思わなくて。気に入らないとかの前に、どうしてこんな色なんですか? 春祭りなのに、緑が半分だけじゃないですか。あと、丈が短い! まさか布をケチったんじゃないでしょうね」

 今年も襟もとに緑の布を巻いて祭りに参加しても良かった。

 しかしセルジュが昔の衣装をくれると言うので、期待したのだ。きっと格好いい衣装を着ることができるに違いないと。

「子供のうちはそういう服を着るものなのだ」

 セルジュの説明にならない説明を聞きながら、ルカはサーコートの襟の先を指ではじく。ご丁寧に、襟まで半分だけ緑、もう半分は黄色だ。

 つまり“半人前”ということだ。


 新年を迎えて、ルカは十三歳になった。確かにまだ子供の年齢だが、分かっていても気に入らない。

 仏頂面のまま寄宿舎の表に出ると、先に集まっていた同期生たちからドッと笑いが起こった。

「よく似合っているじゃないか」

「ちゃんと貴族の坊ちゃまに見えるよ」

「殿下の御衣裳を賜るなんて、光栄だな」

「笑うな!」

 ルカの他に左右色違いのミ・パルティを着ている学生はいない。皆十六歳を超えた成人で、大人の服を着ている。


 入学から一年が経ち、第二十期生一同は王立古文書研究学院の第二学年に進級した。

 十三歳のルカもこの一年で随分と背が伸びたが、年上ばかりの集団に囲まれると明らかに見劣りする。細くて小さい、まだまだ子猿とからかわれる、子供扱いだ。


「なんでトマシュはちゃんと緑を着てるの。ずるい」

 聖堂前の広場へと歩きながら、ルカは腹いせにトマシュに噛みついた。

 皆に遅れまいと大股で歩くと、裾の短いチュニックがバサバサとはためいて太ももがスース―する。

「え、だって僕はもう十七歳だもの。これが普通だよ」

「俺もそういうのがいい」

「何言ってるの。そんな立派な衣装をいただいておいて」

 トマシュが呆れ顔で溜息を吐く。




「しかし、後輩が入ってこないのは、寂しいものだな」

 一人が呟くと、周囲の学生もそれに同意して頷く。

 春を迎え、ルカたち第二十期生は第二学年に進級したが、第一学年は現在ゼロ人。新入生選抜試験が行われなかったからだ。

「再編なのだから仕方ないが、な」

「学生の数自体かなり減らしていたから、ボクたちは同期も少ないもんね」

「寄宿舎が全員一人部屋になったのは良かったじゃないか」


 王立古文書研究学院の再編、組織改革は王宮顧問会議の決定だ。昨年末の卒業生が寄宿舎から退去したため、共同部屋をひとりで使えるようになった。


「このままじゃルカがずっと最年少だね」

「早く再開してくれないかな。俺も後輩欲しいよ」

「後輩が入ったとしても、ほとんど年上なんじゃない?」

 トマシュがやんわりとルカをからかう。それを聞いて、また同期はみな笑った。

















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