第5話

「ルカ。君は、私に対しては穏やかに話してくれるのに、どうして他の人には同じようにできないのですか?」

 講義のあと、教壇から降りたセレスタン教授にそう問われた。

「先生は俺に丁寧な言葉遣いで話してくださるからです。それに、大変ためになる講義をしてくださいます。だから俺は丁寧に接するし、敬意を示したいと思って、そう振る舞っています。相手が俺を雑に扱うなら、俺も同じようにします」

「ふむ……」

「目上だからとか、貴族が相手だとか、そういうのがあるのは分かってます。でも、歳や身分が上だからって、下の人間は無条件で言うことを聞けって決まりはないでしょ? 俺に言うことを聞かせたいなら、まず俺の言うことを聞いてほしいですね」


「君の正論は、時にやや強引ですねえ」

 教授が穏やかに目を細めた時、ルカの視界の端を光るものが横切った。

 セルジュだ。アルフォンスを従えたセルジュが、金の髪を揺らしながら講堂の扉の方へと歩いていく。

「先生、すみません! 俺はこれで!」

 ルカは素早く机の上の荷物をかき集めた。

 セルジュに話しがあるのだ。言ってやりたいことが。

「君は殿下によくよくつっかかりますね。何がそんなに気になりますか?」

「気に……なるのかなあ。そうですね、なんか変な人だなって思います」

「変な?」

「だって、いつも同じ顔で、ちょっとボーッとしてて。本当にあの方が、将来は国王になるんですか? やっぱり王侯貴族のことは、俺にはよく分からないです」

「ボーッとしている……」

 教授が驚いて瞬きを繰り返しているうちに、ルカは文房具と教材とノートを鞄に詰め込む。

「じゃあ、行きます! 講義ありがとうございました!」




 ルカは見えなくなったセルジュを追って廊下に飛び出した。

 午前中ふたつめの講義が終われば昼食の時間。小さな中庭に面した石造りの回廊は、食事に向かう学生たちで埋め尽くされている。

 屋敷が近い者は家に戻り、それ以外の学生は寄宿舎の食堂に集結する。

 ルカは当然食堂組だ。

 そしてなぜか、セルジュとアルフォンスも寄宿舎で生活していた。

 学院と王宮とは王都の中でも距離があるので、昼食を食堂で摂るのは分からなくもない。しかしセルジュは夜も王宮に帰らないのだ。王宮も学院も警備が厳しいので、出入りが面倒なのかもしれない。


 ともかく、寄宿舎の食堂へ向かえばセルジュに追いつける。ルカは小柄な体を生かして人の間を縫い、寄宿舎へと突進して行った。


「見つけた! 王子、ちょっと待ってください」

 講堂と寄宿舎のちょうど中間あたりで目当ての人物に追いつく。

 ルカがセルジュを呼び止めると、セルジュ本人よりも先に周囲の学生たちがギョッとした顔で振り返った。

「なんだ、あの小さいのは。今なんて言った?」

「あれだろう。噂の新入生の」

「殿下を直接呼び止めたぞ……大丈夫なのか、あれ」

 珍しい動物を見たような反応には目もくれず、ルカは立ち止まった人々の間をすり抜けてセルジュの間近に迫った。そこでようやくセルジュがゆっくりと振り返る。

「何か用か?」

 相変わらず少しも動じないセルジュの隣で、アルフォンスがイライラと歯噛みしている。

「さっきの、トマシュにペンをやったことなんですけど」

 ルカがどれだけ不躾な態度でも、セルジュはそれを指摘しない。まるで敬意も悪意も区別がついていないかのようだ。


 ――なんだか、気色悪いんだよなあ、春風王子。


 春風の君とは、主に上流階級の噂話に使われるセルジュの愛称だ。それがやがて一般市民たちの耳にも入り、第二王子は春風のような穏やかなお方だと知られるようになった。

 春風のごとく麗かで爽やかという意味らしいが、ルカは本人を知ってから、もっと悪い意味で使われていたに違いないと思っている。

 春が来て、もう暖かくなったと思って外に出てみたら、風がまだ冷たくてがっかりした。そんな気分だ。

 そして風は、掴むことができない。騎士言葉を借りるなら「水中を剣でひと突き」か。何をしても手ごたえがなくて、違和感がある。


「持ってない人間に、物をやればいいってもんじゃないでしょう? まさか、あれで自体を解決したおつもりですか?」

「なんの文句があるんだ、あの者は無事講義を受けられたのに」

 問いに答えたのはセルジュではなくアルフォンスだった。それも答えになっていない。

「いちいち横から口を出さないでください」

「自分がどれだけ無礼か分からないのか!」

 アルフォンスは勢い、右手を腰の左側に回した。原則、学院内に武器類は持ち込めないが、セルジュとアルフォンスだけは帯剣している。

「不敬罪だっていうなら、裁判にかけてください。いくら騎士様でもここでいきなりバッサリやっていいんですか? 丸腰の子供相手に?」

「アルフォンス。剣を放せ。その子の言う通りだ」

「子って言うのは、やめてくださいませんかね。俺たち同期ですよ」

 ルカの口答えに再びアルフォンスが鼻息を荒くしたが、セルジュが手を挙げてそれを制したので、剣が鞘から引き抜かれることはなかった。


「別に、無為に与えたつもりはない。教授が来たので言いそびれたが、ペンが見つかるなり、新たに手に入れるなりするまで、貸してやるつもりで渡したのだ」

「そうじゃなくて。もともと誰かが、くだらない嫌がらせでトマシュのペンを隠したのが悪いんですよ。まずはそれを取り締まるべきなんじゃないですか」

「ことは収まったのだから、もう良いではないか。私がお前たちを庇うと分かれば、今後同じような真似はしないだろう」

「はあっ?」

 これにはセルジュも眉を顰める。わずかな変化だが、これだけセルジュの表情が動くのを、ルカは初めて見た。

「王子が見ていないところでは、またやる可能性があるじゃないですか。俺とトマシュが大丈夫になっても、他の誰かが同じ目に遭うかもしれないじゃないですか。それじゃ意味がないでしょう」

 眉を顰めた顔のままセルジュは固まった。

 ルカは反論されるより先にと畳みかける。

「セルジュ様は王太子候補なんですよね? 将来は国王になるかもしれないんですよね?」

「可能性は、ある」

 王家は代々、王が共同統治者を指名し、二人以上で国を治めている。つまり、後継者の指名だ。今はセルジュの父であるユベール国王と、長男のオーレリアン王子が共同統治者だ。

 将来父王が王位を退くことがあれば、オーレリアンにより次の共同統治者が指名される。セルジュは有力候補の一人だ。

 セルジュは国王の第三子だが、第一王妃の子で、長男のオーレリアンと、それ以外の兄弟はみな第二王妃の産んだ子だった。

「もしそういう心構えなら、俺は貴方を王だと認められません。たった二十人の問題を解決できないで、国王が務まるとは思えませんね」

 ここまで言っても、セルジュはほとんど無反応だった。わずかに眉を顰めた顔のまま、じっとルカを見つめ返すばかりだ。


 アルフォンスがいよいよ剣を抜きそうになったので、ルカは食堂に逃げ込んだ。

















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