第3話

 教授たちとの顔合わせと、最初の講義の後、ルカの席に駆け寄ってきたのは、同じ基礎学校出身のトマシュだった。

「おまっ、おまっ、おまっ」

「どうしたトマシュ?」

「お、おまっ、お前! よく王子殿下相手にあんな……い、い、いくらなんでも、あれはダメだ!」

 そばかすの散らされた頬を紅潮させ、トマシュは何度も吃る。


 王都にあるサン・ド・ナゼル基礎学校は、一般市民のために聖堂の一角に開かれた学校だ。

 つまりトマシュも貴族ではない。と言っても、代々医師の家系で、一般市民としてはかなり裕福だが。

 彼は控えめな性格だが面倒見が良く、基礎学校でもルカの世話を焼いていた。山間の村から王都に出てきた年下のルカを心配してくれたのだろう。

 勉学においても大変優秀で、こうして王立古文書研究学院に揃って入学することができた。


「僕ら以外みんな、貴族や騎士の家の御曹司なんだよ。平民はもっと静かに、目立たないようにしないと」

「あ、また言った。“平民”なんて言葉はないんだぞ、トマシュ。俺たちは“市民”だ」

「実際に使われている言葉なんだから、あるんだよ……」

 ルカが指摘すると、トマシュは不満げに口元を歪めた。


 平民という言葉は日常的に使われているが、国の記録など正式な文書では使わないことになっている。『すべての国民を市民と称する』と定められたのは、二十年ほど前のことだ。

 それは、王立古文書研究学院の誕生と時を同じくしている。


『長かったバザクルとの戦いが終わり、平和を取り戻した我が国では、多くの古文書が発見された。その尊い知識を得て、シュアーディ王国は発展の時にある……知識は宝、学問は未来、探究は世界を変える』

 そう教えてくれたのは、故郷の村の近くの遺跡で出会った学者だった。膨大な知識を持ち、周囲から“賢者様”と呼ばれていた。

 ルカはこの話が大好きだ。

『だからこそ、学院で学ぶことに大きな意味があるんだよ』

 立派な髭を蓄えていたので、幼いルカは彼を老人だと思っていたが、今思い返せば当時まだ壮年といって差し支えない年齢だった。ルカの父親より十歳ほど上だろう。

 賢者様と話をしたのはたった数日の間だけだったが、ルカの才覚を見出し、この学院に入るため王都の基礎学校を紹介してくれたのだ。


「使う言葉を変えることで、世界は変えられるんだから」

「また、それ」

 賢者様の言葉を真似るルカに、すっかり聞き飽きているトマシュは呆れ顔だ。

「賢者様だって、席順を自由に決められるよう提案すると思う。そうだ、今度提案してみよう!」

 ルカはいつも、賢者様ならどうなさるだろうかと考えている。

 今頃あの方はどこで何をしているだろうか。きっと王宮の顧問会議で国政に携わっているか、外国で古文書研究に明け暮れているに違いない。

 この学院を卒業したら、ルカも国政か研究の道に進むのだ。できれば、たくさんお金を稼げる方に。

「賢者様なら、王子相手にあんな無礼な態度を取らないと思うよ」

「むう……そうかも、しれない」

「その素直さが、君のいいところだけどね」

 トマシュがよしよしと頭を撫でるので、ルカはそれを手で払いのけた。

 もう十二歳になったのだ。子供扱いはやめてほしい。


「トマシュだって、世界を変えるためにここに来たんだろ。あんなに頑張って勉強して、入学試験を突破したんだから」

「いや、僕は、医者になるつもりで。別に世界を変えるとかじゃないし」

 同じ基礎学校からふたりの合格者が出たことを、教師である僧たちは泣いて喜んだ。

「うちはずっと医師をやっているから、僕の代で途絶えてしまうのは面目ないからで。それに、勉強は楽しいし」

「医学を発展させて、人の命を救うんだろ? それって世界を変えるってことじゃないか!」

 トマシュは納得していない様子で目を逸らした。しかしルカは力強い笑みを浮かべる。


 この時ルカは、心の底から信じていたのだ。自分は世界を変えられると。














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