第2話

「では席を交換しよう」

「えっ!」

 予想だにしなかったセルジュの言葉に、突き出していたルカの唇が引っ込む。


「確かにこの中で君が一番年若く、まだ体も小さい。前の席の者に隠れて教材が見えないこともあるだろう。私は問題がないので、席を代わろう」

「えっ、ほ、本当に……?」

 ほとんど表情を変えず淡々と言うセルジュに、ルカは元気よく立ち上がり、頭を下げた。

「ありがとうございます!」

 しっかりと深く腰を折ってから、頭を上げると、セルジュがまた口を開く。

「私はセルギウス・ド・セプティマール。シュアーディ国王の第三子で、フォンフロワド伯の地位を賜っている」

「……はい、存じています」


 王族の、それも直系の第二王子の名前くらい、誰でも知っている。

 セルジュの上に王子と王女がひとりずついて、セルジュは早くに亡くなった母の跡を継いでフォンフロワド伯領の領主になっていることも。


 ルカが戸惑っていると、セルジュの隣でアルフォンスが顔をしかめているのが目に入った。そちらを見ると軽く顎をしゃくられる。


 どうやら、何かを訴えているようだ。


 そこでようやく気付いた。ルカも名乗るべきところなのだ。そのためにセルジュが先に名乗った。

「ルカです」

 はっきりと名前を口にしたが、なぜか講堂は静まり返り、妙に気まずい空気になってしまった。

 王子とのやり取りを見守っていた同期生たちも困惑気味で、中にはヒソヒソと囁き合う者もいる。


 痺れを切らしたアルフォンスがルカの前の机に手をついた。

 今度は大きな音は立たなかったが、顔は相変わらずひどく怒っている。

「まったく、どこまで不作法なのだ! どこの家の第何子で、どの土地から来たのか、爵位や親の身分は何か、そういうことを教えよとおっしゃっているのだ!」


 ――いや、全然おっしゃってないじゃん!


 唾を飛ばすアルフォンスに、ルカは隠すことなく、なんならわざと、大袈裟に憮然とした顔を作る。

 聞きたいことがあるなら具体的に聞け。そう思うのだが、それが作法だと承知している貴族たちに囲まれて、ここではルカが圧倒的少数派だ。

 ルカは言い淀むふりをして、小さくため息を吐いてやった。

「強いて言うなら、ケレテス山、ルシノ村の石工の父と、機織りの母の第二子。兄がひとり。今年十二歳で、サン・ド・ナゼル基礎学校出身です」

 ルカが思いつくままに身分らしきものを並べると、それまで静かにしていた同期生たちからどよめきが起こった。

「あれがサン・ド・ナゼルの僧が推薦した子供か」

「歴代最年少で主席入学の……!」

「ケレテス山ってどこ?」

「西の山の一つですよ。採石場と、帝国遺跡がある」


 外野の声は無視して、ルカはセルジュを見上げた。

「そして今日から王立古文書研究学院、第二十期生になったルカです。歳も身分も違いますけど、同期生ですね。今日からよろしくお願いします、王子様」


「歳も身分も違うと分かっていて、なぜそんな態度なのだ⁉」

「アルフォンス、でしたっけ? ここにいるってことは、あなたも学生でしょう? 『学院において、徒はすべからく、たいらかなり。魂を柔らかくして、起伏をならすことにより、学びの歩み始まらん』……この学院の入り口に書いてありましたが、ちゃんと読みました?」

 ルカが淀みなく反論すると、アルフォンスは唇を引き結んでセルジュに視線を送る。


 王立古文書研究学院は創立より二十年。少ないながら毎年、貴族以外の一般市民からも学生を受け入れてきた。創立者である現王の理念が反映されている。

 ただ、学院の管理が現王から別の王族に移ってからは、少々様相が変わってきていると噂されているが。


「ルカ。ルシノ村の石工の息子ルカ。君の言う通りだ」

 セルジュに肯定されても、ルカはいまいち素直にその言葉を受け入れることができなかった。セルジュの表情が一切変わらないからだ。どうしてこの王子はこんなに無表情なんだろう。

「アルフォンス、他の皆も、聞いてくれ。彼の言った通り、我々は同期生だ。勉学において上も下もない。もとより我が国は平かなる均衡を掲げ、今日まで長く平穏を保っている。どうか私に気後れすることなどなく、学院で有意義な時を過ごしてほしい」


 その言葉は、シュアーディ王国の模範的な言葉でしかなかった。

 均衡を重んじ、平穏を目指し、山におわす神の見下ろすこの地で、人々は等しく命を与えられる――それを象徴するのが天秤を象った王家の紋章だ。セルジュの纏う高級そうな服にも描かれている。


 ルカはセルジュ王子の正面きって、フンッと荒く鼻を鳴らした。

 侮蔑の態度は即刻アルフォンスの鉄拳により断罪され、ルカは入学初日から王子を馬鹿にした問題児として学院中の噂となったのだった。















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