第1話
思った通り。
講堂にいるのは、自分より体格のいい年上の少年ばかりだ。
ルカは十二歳。王立古文書研究学院に、歴代最年少で入学した。通常は十七歳くらいで入学する者が多いので、周囲はみんな年上。
数人ずつ集まって談笑している彼らを横目に、ルカは教壇側の一番前の席に座る。年季の入った革鞄を机の上に置き、中の教材や筆記具を取り出そうと覗き込んだ。
「そこは私の席のはずだが」
顔を上げたルカの目にまず刺さったのは、煌めく金色の髪だった。
耳の下で切り揃えられたそれは、本当の金で作った糸のようで、持ち主がルカの顔を覗き込もうと頭を傾けると音もなく揺れた。
ルカは完全な金髪を持つ人間を生まれて初めて見た。
講堂のそっけない石壁が、急に王宮の一角に見えてくる。王宮になど、ルカは行ったことがないのだが。
「席って決まってるんですか?」
ルカが問い返すと、金髪の麗人はわずかに驚いた顔になった。
肌は雪の白、瞳は晴れ渡る青空と同じ色。
チュニックの袖から覗く手首はほっそりとしていて、ルカと比べれば十分大人だが、端々にかすかな幼さが残っている。
金髪の麗人とは、すなわち王族だ。
王家とその周囲の有力貴族は代々血統を守っているため、金髪碧眼の子ばかりが産まれる。逆に貴族階級にない一般市民に完全な金髪の者はそうそう生まれない。希少な色なのだ。
彼はおそらく、この国の第二王子。
ルカと同じく今年、王立古文書研究学院に入学すると聞いていた。
同期に王子がいると知った村のみんなは腰を抜かして、畏れ多い、おりがたいと手を合わせた。ルカ本人は、どうせ学院は王侯貴族ばかりなのだからと、あまり気にしていなかったのだが。
とにかく、今、目の前にその王子様がいる。同じ講堂にいるのは当然だが、いきなり話しかけられるとは思っても見なかった。
普段はそこらの大人より冷静で判断の早いルカも、驚きに思考が遅れた。見事な金髪と、抜けるような空色の瞳に目を奪われていたのも確かだ。
「貴様、なんという口の利き方をしている!」
怒声と共に他の男が文字通り首を突っ込んできて、セルジュ王子の姿が半分ほど見えなくなる。
至極まっとうな指摘だ。彼は正しい。
ルカはそう思いながら、叱られた子供らしく首をすくめた。男の声がやたらと大きいのだ。
おそらく彼は王子の従者だろう。セルジュ王子と歳が近いように見える。少しだけ上だろうか。二人分の荷物を抱えているところを見ると、従者も学生としてこの学院に入学したらしい。
――ちゃんと入学試験受けたのかな?
ルカは首をすくめたまま従者の男の顔を盗み見た。貴族には推薦制度があり、一般市民よりずっと楽に入学できる。
「おい、聞いているのか?」
男は眉間に皺を寄せてルカを睨みつける。
裾の長い優雅な服装のセルジュと違って、従者らしき男は明らかに騎士の装いだ。腰に帯剣までしている。
「アルフォンス、いい。下がれ」
王子が片手を上げて指示すると、アルフォンスと呼ばれた男はすぐに身を引いた。
「学生には番号が与えられただろう。それで席が指定されている。ここは私の席のはずだが」
「え、そうなんですか? 誰もそれ、聞いてないんですが」
「いい加減にしろ! それがセルギウス殿下に対する態度か!」
アルフォンスがルカの前の机を拳で叩いた。ダンッと大きな音が立ち、講堂にいる周囲の学生たちが静まり返る。
セルギウス・ド・セプティマール。第二王子の正式な名だ。
王族には正式名と呼び名がそれぞれあり、セルギウスは正式名。
呼び名はセルジュ。
普通は呼び名に敬称を付けて「セルジュ様」もしくは「殿下」とお呼びすることになる。
アルフォンスがわざわざセルギウスと正式名を口にしたのは、畏まれという意味だ。
意味は分かるが、ルカはこういう威圧が大嫌いだった。
ルカがアルフォンスを睨み上げると、アルフォンスの方もしっかりルカを睨んでいた。
「アルフォンス、机を叩くのは感心しない」
セルジュ王子は淡々とした声で従者を諫める。
表情があまり動かない人だ。歯並びが良く、唇は少し分厚い。
「学生番号は?」
「二十六番、です」
静かな声で問いかけられればルカは素直に答えることができた。
「ならば一番後ろの席だ」
セルジュが指差したのは講堂の後方だった。
「えー、せっかくいい席取れたのに……」
ルカが陣取っていたのは教授席に向かって少し右の最前列。
学院へ上がる前の基礎学校でもこの位置が好きで、いつも誰よりも先に席を取っていた。
「この席が良いのか? どこでも、あまり大差はないと思うのだが」
セルジュがわずかに首を傾げる。金髪が揺れる。シャラシャラと音が鳴らないのが不思議なくらい、美しい金色だ。
第二王子はルカより四歳上の十六歳。入学前に、貴族の慣わしである騎士叙任の儀式を済ませたと聞いている。
叙任式のために断髪したのだろう。不自然なまでに毛先がまっすぐに揃えられている。
「全然違います。教授の手元の資料とか、後ろじゃほとんど見えないし。声がよく聞こえないとか、前の席のヤツが邪魔になるとか、色々あるでしょう?」
「口を慎めチビ!」
三度、アルフォンスの怒声が飛んで来た。今度は机は叩かれない。
ルカはわざと子供っぽく唇を尖らせて見せた。
「おっしゃる通り、俺はチビなので。他の皆さまはそんなに背が高くていらっしゃるのだから、哀れなチビに最前席を譲ってくださってもいいじゃないですか」
「では席を交換しよう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます