第12話 二足の靴

 佳奈の言っていた友人は、梨香子のことだったらしい。それにしても、何の接点もないはずの二人がどこで知り合ったんだろう。


 梨香子は地方出身のお嬢様大学生で、佳奈はずっと首都圏育ちの警察官だ。何の共通点もない。


 もう一人、落ち着いた感じのきれいな声が聞こえてくる。


「ちょっと気分が変わったんだ。広いところだし、佳奈ちゃんなら、きっと気にいると思ったから」


 小学生のときよりずっと大人びているけれど、たぶん梨香子の声なのだろう。声のトーンが昔と近い。


「ありがとうございます、梨香子さん! 六本木の高級プールに行けるなんて、夢みたいです……」

 

「そう言ってくれると、わたしも嬉しいな。水着もここで買って行こう」


 梨香子が柔らかい声で佳奈に言う。

 だんだんと声がクリアに聞こえるようになっている。

 つまり、信一と真帆乃のいる試着室に近づいているのだ。


(万一でもバレたらどうしよう。こんなところを見られたら、言い訳できない)


 信一は佳奈に問い詰められるし、真帆乃も梨香子に信一と会っていることを知られてしまう。


 二人の足音がぴたりと止まる。ちょうど試着室の目の前に来たらしい。


「どうしたの、梨香子さん?」


「ううん、何でもない。……ただ、靴が二足あるな、と思ったんだ」


 急なことだっとはいえ、試着室に入るにあたり、信一もさすがに靴は脱いだ。

 ところが、それが仇になった。


「女物の靴と、男物の靴ですね……」


 佳奈が警察官らしく分析的なことを言う。


「つまり、この試着室には、男女が二人いるわけだね」


 梨香子が淡々と述べた。そのとおり。中には男女の幼なじみ――信一と真帆乃がいる。

 そして、信一は佳奈の先輩で、真帆乃は梨香子の姉だ。


「水着の店で、男の人と女の人が二人で試着室にいるなんて、どういうことでしょう?」


「カップルなんだと思うよ。きっとイチャイチャしている」


「い、イチャイチャ!?」


「女性が男性に水着を選んでほしいって言って、連れ込んだんだよ。大胆だね」


「ちょ、ちょっと、梨香子さん。中にいる人に聞かれちゃうかもしれませんよ!?」


「二人ともイチャイチャすることに必死で、気づかないんじゃない? それに聞こえてもいいし」


 ばっちり聞こえている。真帆乃はぎゅっと信一の腕を握ったまま、固まっていた。

 このまま嵐が過ぎ去るのを待つしかない。


「で、でも……他人の恋愛を邪魔しちゃ悪い気がします……」


「他人じゃないかも」


「え?」


「ううん。なんでもない。イチャイチャどころか、これはエッチをしているかもね」


 エッチ、という言葉を聞いて、真帆乃がびくんと震える。信一は声を出しそうになって、慌てて止まった。

 それにしても、梨香子はまるで、試着室にいる信一たちに聞かせるように喋っているような気もする。


「え、エッチって……」


 佳奈がうろたえた声を上げていた。

 梨香子がくすりと笑う。


「18禁の漫画だと、こういうところでエッチをするのはありがちだけどね」


「現実でそんなことする人間はいません」


「いると思うけどな」


「だ、だいたい、梨香子さん、そんな漫画読むんですか!?」


「へえ、佳奈ちゃんって、そういう話題に耐性ないんだ?」


「ぜ、全然あります!」


「でも、男性経験もないみたいだし。付き合っていた男の人なんていないんでしょう?」


「い、いませんけど、あたしはモテるんです! そ、それに今は好きな人もいますし……」


「ふうん。……佳奈ちゃん、可愛い」


「からかわないでください。そういう梨香子さんはどうなんですか?」


「付き合った男の人なんていないよ。でも、私は――」


 梨香子はその続きを言わなかった。佳奈はきっと何も知らないのだろう。

 代わりに梨香子は言う。


「私も好きな人がいたんだ。小学生のころ、初恋の人がいて……もうすぐ再会できるはず」


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