第11話 私には信一しかいない
メロンパンを半分ずつする、という真帆乃の提案に、信一は賛成した。
いくら食べても食べても空腹だった高校生のころと違い、26歳になった今はそれほど大食いできるわけでもない。
(それに、デートっぽい気もするし)
いや、信一がそうしたいということではなく、真帆乃がデートらしい雰囲気を望んでいるだろう、と考えてのことだ。
もっとも、それは信一の思い込みかもしれないけれど。
いずれにせよ、真帆乃の提案だから、受け入れることに問題はない。
信一は自然と財布を出して、メロンパンを買う。
紙袋で渡されたメロンパンは、直径15cmだという。驚くほど大きい。
けれど、とても軽かった。ちょうど焼き立てだそうで、熱々で美味しそうだ。
信一は半分にちぎると、紙袋ごと真帆乃に渡す。自分の分は手で持った。
「ありがと……」
真帆乃が嬉しそうに笑う。そして、一口食べて「美味しい……」と真帆乃はきれいな声でつぶやいた。
たしかにカリカリでふわふわで、心地よい食べ心地だ。甘さも控えめでちょうどよい。
二人して、はふはふとメロンパンを食べる。まさに、食べ歩きという感じだ。
「覚えてる? 高校の帰り道で……」
「ああ、大判焼きの店。よく行ったよね」
「あのときと同じね」
ふふっと真帆乃が笑う。まるで高校時代に戻ったかのようだ。
でも、現実には、目の前の真帆乃はもう女子高生ではない。高校生のときよりもぐっと大人びて成長して、美しくなった一人の女性だった。
真帆乃が「あっ」と声を上げる。
「そうだ。メロンパンのお代……信一に払わないと」
「いいよ。大した金額じゃないし、おごるよ」
「でも、私の方が……」
真帆乃はなにか言いかけて、口ごもってしまった。
(まあ、お金を持っているのは、真帆乃の方なんだろうけどね)
真帆乃はもともと社長令嬢だし、実家も裕福だ。もっともそれは真帆乃自身のお金ではないが、自分で稼いでいる金額も、信一よりもずっと高いだろう。
警察での信一の階級は、巡査部長。一方、真帆乃は警視だ。巡査部長の上に警部補、さらに警部があって、その上が警視なので、真帆乃は信一よりも三階級も上だった。
所詮は公務員の安月給なのだけれど、しかし単純な給料でも、真帆乃が信一よりはずっと良い給料をもらっている。
けれど、そんなことは今、問題ではないと信一は思った。
「今の俺は、幼馴染として真帆乃と一緒にいるんだよ」
真帆乃がはっとした表情をして、それから目をふせて「ごめんなさい」と小さくつぶやく。
「なんで真帆乃が謝るのさ?」
「だって……」
「記念すべき『初デート』なんだから、男の俺が真帆乃に奢らないとね」
信一がくすりと笑って言うと、真帆乃が大きく目を見開いた。
なにかまずいことを言っただろうか? 信一は考えて、慌てて手を横に振る。
「いや、こんなふうに男と女、なんていうのは時代的に良くないかもしれないけど」
ジェンダー的な観点から、「男が奢る」なんて考えは、気にする人は気にするだろう。
デートで男性が女性に奢るべき、というのは、女性に対する男性優位を無意識に前提としているのではないか。
特に真帆乃は、わざわざ男社会の警察に飛び込んだ女性だ。そういうことを不快に思ってもおかしくない。
信一は心配になった。
(真帆乃に嫌われたら、どうしよう……?)
そして、真帆乃に嫌われたくない、という自分の気持ちにも気づき、信一は少し驚いた。
八年前に大喧嘩したとき、真帆乃のことは諦めたつもりだったのに。今はもう、真帆乃に好意を持たれたいと思っている。
信一は我ながら現金なことだ、と思う。そして、真帆乃の反応を恐る恐る見つめた。
真帆乃の瞳には嫌悪の色はなく……むしろ、ぽーっとした表情でぼんやりと信一を見つめていた。
相変わらず、真帆乃は顔が赤い。昔から恥ずかしくなるとすぐ赤くなる方ではあったけれど……。
そして、突然、真帆乃はぱっと顔を輝かせ、満面の笑みを浮かべた。
「そっか。信一は私を女の子として扱ってくれるんだ……ちょっと嬉しいかも」
「え?」
「ほら、私、自分で言うのも変だけど、優秀でしょう? だから、周りはみんな私を女扱いしないから、新鮮だったの」
「ああ、なるほどね」
真帆乃は超絶美人の魅力的な女性だが、同時に驚くほど頭が良くて完璧なエリートだ。東大卒のキャリア官僚で、そういう女性を、男は敬遠しがちだ。
男は女性に対して良いところを見せようとする。悪く言えば、上の立場に立ち、支配しようとしている。
だが、ほとんどの男は、真帆乃に対しては優位に立てない。だからこそ、真帆乃にはこれまで恋人がいなかったのだと思う。
ただ、信一は違う。信一は真帆乃の幼馴染で、真帆乃の短所や弱点もよく知っていた。意地っ張りだったり、意外と子供っぽかったり……。
そういうところも含めて、信一は真帆乃のことが好きなのだけれど。
(いや、好きというのは幼馴染としての「好き」だけれど)
信一は心の中で言い訳をする。
そんな信一の内心を、真帆乃は知る由もない。真帆乃はえへへと笑うと、上目遣いに信一を見る。
「だからね、やっぱり、私には信一しかいないんだなって思ったの」
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