第9話 腕を組むには、まだ早い
照れているのをごまかすためか、真帆乃はくるりと背後の雷門を振り向く。
信一もつられて、そちらに視線を移した。
雷門は、浅草寺の山門――入り口にある巨大な赤い門だ。なかなかの威圧感がある。
東京有数の観光スポットだから、人でごった返している。
とりあえず、信一は真帆乃と一緒に浅草寺へと歩くことにした。
道中は仲見世通りというエリアで、食べ歩きできる店がたくさんある。
歩きながら、真帆乃がふふっと笑う。
「浅草を見ると、東京にいるんだってすごく感じる」
「まあ、もともと俺たちは名古屋人だからね」
「でも、私も信一も、東京に来て八年も経つのよね。ちょっと不思議」
二人とも大学入学と同時に上京しているから、そのとおりだ。
そして、その八年のあいだ、信一と真帆乃は一度も話していなかった。梨香子の事件のせいで、絶縁状態だったからだ。
二人の時間は八年前で止まっていた。
(でも、今は……)
時計の針はふたたび動きだしたのかもしれない。
真帆乃も同じ思いだったみたいだ。
「八年経って、やっと東京で信一の隣にいられるんだね」
真帆乃は小さく言う。信一が思わず真帆乃を見つめると、真帆乃はぶんぶんと首を横に降った。
「ふ、深い意味はないから!」
「そっか。俺も真帆乃と……」
「真帆乃と?」
信一は言いかけて口ごもり、そんな信一を見て真帆乃は首をかしげていた。
なぜ口ごもったかといえば、続きを言うのが恥ずかしかったからだ。
「何言おうとしたの?」
「深い意味のある言葉じゃないよ」
「あっ、それ、私の言ったこと! 深い意味がないなら、言ってもいいんじゃない?」
「……真帆乃と東京でも一緒にいられて、嬉しいよ」
信一は観念して言おうと思っていたことを言った。真帆乃は「あっ」と小さく声を上げると、顔を赤くして目を伏せた。
「あ、ありがと。私も信一とデートできて……嬉しいな」
眼の前の真帆乃が、みずみずしい赤い唇からそんな言葉を紡ぐ。
信一は真帆乃から目が離せなくなり、心臓がどくんと跳ねる。
(ま、まだデートは始まったばかりなのに……!)
これではデートが終わるまでに我慢できずに、真帆乃を抱き寄せてしまいそうだ。そんなことをすれば、ルームシェアどころの話ではなくなる。
(もし、そうしたら……真帆乃はどんな反応をするだろう?)
受け入れてくれるだろうか、なんて信一は考えてしまい、慌ててその思考を脳内から追い払った。
周りにはカップルもたくさんいて、抱き合ったり、腕を組んだり、イチャついたりしている男女もいる。
信一と真帆乃も、周りからはそうしたカップルの一組に見えているのだろう。
真帆乃がちらちらとカップルたちをときどき羨ましそうに見ている。
「恋人だったら、腕を組んだりするのかな」
「え?」
「し、信一とそういうことするのは、まだ早いと思うけど」
「まだ?」
「えっと、だから、その……深い意味はなくてね?」
真帆乃はそんな支離滅裂なことを言う。つまり、真帆乃も信一と似たようなことを考えていたわけだ。
信一は真帆乃を抱きしめることを妄想し、真帆乃は信一と腕を組むことを想像していたから、そこは男女の差かもしれない。
信一は真帆乃が望むなら、腕を組んでも良いと思っていた。というより、信一自身が本能的にそうしたいとも思っていた。
そうすれば、この「お出かけ」はもっとデートらしくなるだろう。
だけど、そうすれば、信一は引き返しがつかなくなる。真帆乃を二度と手放したくないと思ってしまうだろう。
でも、今や、互いの立場は違って、真帆乃は信一よりもはるか高みにいる。その真帆乃を自分の手元に留めておく自信が信一にはなかったし、そうすることが真帆乃のためになるとも思えなかった。
真帆乃は信一を期待するように見つめたが、結局、信一は何もできなかったし、真帆乃もそれ以上の勇気はないようだった。
「そう。今はまだ、早いよね」
真帆乃は小さく、そうつぶやいた。
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