第7話 信一がかっこよかった!
結局、事件は順調に片付いた。被疑者の逮捕も順調に進んでいる。残り一人、被疑者がまだ身柄を押さえられていないけれど、本庁の捜査本部は縮小されたらしい。
押上署に現れた際も真帆乃は手際よく指揮をとっていた。警察庁入庁同期のなかでも、出世を期待されているらしい。
女性の登用を進めるという国の施策にも、真帆乃の活躍はうってつけだった。
一方、問題が起きたのは、信一のルームシェアの方だった。急に相手の警察官の都合がつかなくなったのだ。
借りる予定の部屋も、二人で暮らすことが前提だったから、信一は途方に暮れた。
ある日の夜、信一は独身寮の近くの秋葉原外れを歩いていた。仕事が長引いて、帰宅が遅くなったのだ。
23時30分を腕時計は指している。
(疲れたなあ)
よろよろと信一が暗い夜道を歩いていると、そのとき、女性のうめき声がした。
「んっ、んんっー」
見ると、二人組の男がいて、道端のブロック塀の壁に女性を押さえつけている。女性は口を塞がれ、コートを奪われたようで、スーツのジャケットの上から胸を触られている。
どう見ても婦女暴行の現場だった。ほうっておくわけにはいかない。
そのとき女性が抵抗して、男の手が口から外れる。
「や、やめなさいっ! 私は警察官なのよ!?」
信一はぎょっとした。聞いたことのある声だ。
襲われていたのは、真帆乃だった。
男たちは真帆乃の言葉をせせらわらった。
「こんな可愛い警官がいるかよ」
「ほ、本当に私は警察――」
「仮にそうだとしても、拉致ってしまえばわからないだろ?」
ひっ、と真帆乃が女性らしい短い悲鳴を上げる。怯え、震える真帆乃は、いつものエリート然とした雰囲気がなく、ただのか弱い女性にしか見えなかった。
信一のなかで怒りが燃え上がる。真帆乃とは疎遠になったとはいえ、幼馴染だし、今では同じ職場で働く人間でもある。
それに……真帆乃の妹・梨香子を助けられなかった時のことを思い出した。梨香子も誘拐事件のときに、男たちに襲われたのだ。
今度はそうはならない。信一は一歩を踏み出した。
男たちが振り返る。
「何だお前は!?」
「警察だよ」
信一は手帳を見せる。男たちが実力行使に出ても、信一には勝てる自信があった。訓練を積んだ刑事だ。警察学校の武道の成績だって悪くない。
だが、男たちは怯んだ様子を見せると、一目散に逃げ出してしまった。弱そうに見える若い女性を襲うことはできても、男の刑事に歯向かうことはできなかったらしい。
信一が男たちを追ったが、曲がり角で大通りを出たあたりで見失ってしまう。雑踏にまぎれてしまった。
しまったと思うが、これ以上深追いをするべきか?
たぶん一人で追いかけても見つけられる可能性は低い。それに、真帆乃のことが心配だ。
いったん信一は真帆乃のもとへと戻った。
真帆乃はぺたんと道路に座り込んでいた。
「大丈夫?」
信一が手を差し伸べると、真帆乃は手をそっとつかみ、よろよろと立ち上がった。
信一は真帆乃のコートを拾い、渡す。
「怪我はない?」
「ちょっと胸を触られただけ。それ以外は何もされていないわ」
「本当に?」
「本当よ! 何かされていた方が良かったの!?」
「ただ心配しているんだよ!」
心外なことを言われて、語気を強めると、真帆乃がシュンとする。
「ごめんなさい。そうよね」
「いや、こっちこそ無神経な聞き方だったかもしれない。ごめん」
「ううん……」
気まずい雰囲気になる。
(昔のように、とはいかないな……)
「えっと被害届を出さないと」
「捕まえられなかった?」
「ごめん」
「いいの。信一が悪いわけじゃない……」
ともかく信一は真帆乃を連れて近くの交番へと行った。別の署の管轄だし、警察手帳を携行していても、帰宅途中は刑事もただの人間だ。
近くの交番に行って事情を説明する。狭い交番にいた男性の制服警官は、信一が刑事、真帆乃がキャリア警察官僚と知って腰を抜かしていた。
被害届は出したが、すぐに捜査が始まるわけではない。とりあえず警察署からの連絡で周囲の警戒が強まるだろう。それで不審者が見つからなければ、この手の犯罪の犯人の割り出しは防犯カメラ頼みになることが多い。
真帆乃は終始固い表情で、うつむき加減だった。警察官なのに男に襲われたことを屈辱だと感じているのかもしれない。
そんな真帆乃のことが信一は心配になる。昔から真帆乃は思い詰めやすい性格だった。
交番から解放されると、信一は小声で真帆乃に尋ねる。
「家、この近くなんだよね。送っていこうか?」
「あなたにそんなことしてもらうのは……」
「プライドが許さない?」
「そうじゃなくて、あなたに悪いわ……」
「上官を守るのは、警察官としての義務ですよ」
信一が微笑んで言うと、真帆乃は目を見開いた。
全国に30万人いる警察官は、強い絆で結ばれている。警察家族、という言葉がそれを示している。
信一にとって、真帆乃は幼馴染であるのと同時に、同じ警察の仲間だった。一人で家に帰せば、また同じような目にあうかもしれない。仲間が危険な目に合うかもしれないのに、放置するわけにはいかない。
真帆乃の綺麗な目にうっすらと涙の跡がにじんでいたから、なおさらだ。
家の方角を聞こうと思って、そして、気付く。
「ああ、そうか。俺に住所を知られたくないなら、近くまで行ってそこで別れるよ」
信一が気遣って言う。男の同僚に住んでいる場所を知られたくない、というのは当然のことで、配慮が欠けていただろうか。
その言葉に、真帆乃は首を横に振り、ちょっとむくれた表情をした。
「私、そこまで薄情じゃないわ。助けてくれて、送ってくれるっていう相手を信用しないわけない」
「ああ、それはどうも」
「それに信一は……幼馴染だもの。変なことをするなんて思わないわ。言うのが遅れちゃったけど、助けてくれてありがとう、信一」
ちょっと恥ずかしそうに、真帆乃は言う。名前で呼ばれて、信一は不思議な感覚を覚えた。
まるで昔と同じような幼馴染に戻ったみたいだ。
信一は微笑む。
「どういたしまして」
真帆乃は安心したように頬を緩めた。
「カッコよかったわ、信一」
「そう?」
「そうよ。強くなったんだなって思って」
二人は自然と隣に並んで歩き出した。
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